中華戯劇譚
敦煌
月の出前の小宴
北京の宵は美しかった。
その中でもひときわ太師
松や竹に囲まれた池の対岸には、苔生した白亜の大岩が聳え立ち、石燈籠は黄や橙に灯っている。その四方に石橋が渡されていて、燈籠の光が揺蕩う黒の水面に、金銀錦の鯉が遊んでいる。
その中央に浮かぶ赤屋根の亭に幾つかの赤提灯を吊り下げ、席を
「いやはや、こうして三人で酒を酌み交わすのも何日振りかね」
白髪頭に頭巾を被り、はだけた山吹の着物から恰幅の良い腹を覗かせた男が、立派な白い顎髭をしごきながら感慨深く言った。彼こそ太師の
「全くだ。俺なんざ最近は特に忙しいんでろくに寝てもいないさ」
こちらも小冠を戴き、ゆったりした赤い着物を召した太傅
その隣に座る太保の
「今日とてどうせ束の間の休息になるだろうがな」
それを聞いた
「おおい、月の出は何時じゃ」
若い侍女が気怠げに亭の柱の辺りに佇んで、柄の長い芭蕉扇でゆると三人を扇いでいたが、その問いかけを聞くと顔を上げて答えた。
「戌の刻ごろでございましょう。さいきんは陽が長うございますので」
「あと半刻か、まあよいわ」
「時間の許す限り飲もうではないか。『酒に対ひては当に歌うべし、人生幾何ぞ』これはかの曹操の歌じゃ」
そうして暫くはあれこれ賑やかに話しながら盃を交わしていた三人であったが、ふと
「それもこれも全て
それを聞いた
「仕方あるまい。我らは与えられた仕事をただこなすだけじゃ。今宵の王子とてどうせ結果はわかっておろう、なあ」
「そう、首斬り!」
「
「むろんさ。白い棺に弔いの白提灯だろう、それから没薬に供物の果物や肉、凶事の坊主。全て万端だよ」
「これだけ己から死を選ぶ馬鹿な男が多いとなると、姫のおかげで処刑人どもも丸儲けだろうな」
「おい
「もちろんだとも。赤い輿に祝いの赤提灯、それから伽羅に供物の果物や肉、吉事の坊主。
そう答えて愉快に笑う
「やれやれ。それで今宵死ぬのは
すると
「ああ、俺も見たさ。あの鈴の耳飾りをつけた
三人はそうとも、じつに愚かだと笑っていた。朝鮮や、
「しかし、姫は変わってしまわれた。幼き頃の
そして譫言のようにそう呟いた。
「そういえばそうであったな。私としたことが、すっかり忘れていたよ」
「姫は年々お美しくなられている。それこそ、異国の王子達が一目見だだけで恋に落ち、命を投げ打ってしまう事すら厭わぬほどにだ。しかしそれと同時に、年々そのお心は氷のように冷たくなっておいでだ」
「わしは姫が怖ろしい。何があの方をそうさせたのであろうか、
白髪頭を抱える
「否、違うだろう」
すると今度は
「馬鹿を言え。姫が謎かけを出される前、異国の男どもによくその故事をお話になるだろう。きっと
顔を赤く腫らした
「いいや。ただ、真の愛を知らぬのだ。それだけさ」
「どういう事だ、やはりお前の言うことは変に透かしていて俺には良く分からんね」
一面の深い青に、石灯籠の灯りが星のようであった。鮮やかな鯉の遊ぶ水音だけが聞こえていた。
「お三方、そろそろ儀式のお支度をなされませ。まもなく月の出の鐘が鳴りまするぞ」
侍女は東の空を窺うと、芭蕉扇で扇ぐのを辞めて告げた。
「まことか。全く宴の時間の経つのはすこぶる早いものだ」
暫く臥していた
「また一人の男の死を見届けに行くのか」
「さあ、忙しくなるぞ。急ぎ礼服に着替えねば」
「何が真の愛だ。愛とはこうも死を呼ぶものなのか」
それから四半刻もしないうちに月が出て、紫禁城の広場には、あの三公と文武の百官、それから数万の民衆が集められた。
目に焦燥の色を滲ませた
「北京の民衆よ
掟を知らせおく
高貴なる
これより
全て解いた者の妃とならん……
中華戯劇譚 敦煌 @tonkoooooou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。中華戯劇譚の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
記録帳/敦煌
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 2話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます