第9話


予定調和の醒。行うべきは年代の特定。


掛軸に垂れる数を見れば母は既に逝っていた。


その事実に心做しか、精神が凪いだ。


ブツブツと口から溢れるが思考が反芻されない。


「いつまで生き続けるのだろう」


ただそれだけははっきりしていた


まとまらぬ思考に弛緩した唇。


ここでするべき事は何かと手繰るが未だに見えてこない。


「父さん......」


既に父は狂っているだろう。愛した父は己の顔を見る度に暴力を振るうに違いない。それでも、脳裏に焼き付いたあの甘美な日々がその予想を鈍らせる。


今一度会おう


たとえ、殴られたとしても気付けにはなるだろうから。



部屋を出るが人の気配は一向に感じない。母が亡くなった今、この離れに居るのは己のみだろう。最低限の衣食だけが自室に送られてくる。


覚束ぬ足運びで父の執政室へと向かう。その間、使用人達の嘲りが聞こえたがそれに気を取られるほどの余裕は無かった。


部屋の前に着くと、どうやら父は丁度執務中のようで扉には『在席』の札が掛けられていた。扉を叩くと


「入れ」


と重く冷たい一言だけが帰ってきた。


「ッ! 貴様! 何しにここへ来た!」


父は俺の顔を見るなり、顔を紅潮させ、激昂した。


「父さんはどのような気持ちで俺を生かしているのでしょうか?」


その言葉を聞いた父は翔ぶように席を立ち、己の顔を思い切り殴り飛ばした。


「ハァ、ハァ、ハァ!」


父は息を切らすだけで何も言わない。怒りのあまり、言葉を失ってしまったのだろうか。


、俺を糧としていれば母さんも父さんもこんなに苦しまずに済んだはずでしょう?」


俺は体を起こして、言葉を続ける。


「憶えているのか......!?」


父の表情は驚愕へと転換する。先程の形相とは打って変わってなんとも弱々しいものだ。


「どうして俺なんかを生かしているんだ!!」


何の価値もない俺を生かしたがために2人の人生は狂ってしまった。もう取り返しのつかぬところまで。


「黙れ!! 俺と咲蓮があの時どれほど苦しんだのかをお前は理解できるか!? 己の命と子の命を天秤にかけて、愛に殉じたお前の母の気持ちが!」


「ならば何故!母を捨ておき、冥藍に手を出した! お前なんぞが愛という言葉を口にするな!母から真っ先に目を逸らしたのはお前だろうが!!!」


あぁ、かつてこのように気持ちをぶつけ合った事があっただろうか。部屋に引きこもり、現実から目を逸らし続けた日々。追い出されるまで繰り返してきた日々からは想像がつかない。


「あ、ぁぁ。 そうだ。 俺は、俺は咲蓮を、愛する妻を、どうして、どうして最期まで───」


膝から崩れ落ちる父の姿はもはや国最強の威厳はない。残酷な運命の鎖に絡み疲れた、哀しき男。


「......お前を生かしたのは咲蓮の意思でもあり、俺の意思でもある」


俯く父は力なく言葉を紡ぐ。


「確かにあの時、お前を糧とすれば咲蓮は生き永らえた。元のように共に戦場を駆けていたに違いない。だが、それでも、それでもだ」


顔を上げた父の顔は涙でぐしゃぐしゃに崩れていた。


「仁海、お前に生きて欲しかったんだ」


灰燼が再び熱を帯びるように腸が煮えてくる。落ち着くことのない怨恨が燻りを抑えきれない。


どうして


どうして俺なんかのために


皆、苦しんでしまうのか


しね


死ね死ね死ね死ね死ね!!!!!!


身体の疼きが酷すぎる。かいてもかいても痒みが増してくる。


「止めろ!仁海、気を保て!お前まで死ぬな!お前まで、俺をおいていかないでくれ!」


懇願する父。その哀愁漂う姿は己の脳髄を滾らせる。


「エリス・リデル!!! 俺は、俺はどうすればいいんだ!!!どうすれば皆をこの地獄から救い出せる!! 教えてくれ!!!」


─ならば、断ち切れ。複雑に絡まり捻れた全ての因果を─


頸椎はポキリと折れて、意識は再び闇へと至る。この終わらない無間迷路に新たな岐路が生まれることを、否。己が切り拓く。これは己がケリをつけなければならぬ。決意を秘めて、今生を後にした。


||||||mori||||||


─カツン、コツン


高下駄の音。開国以前の恒ではよく街中で響いていたと聞く。


「もし、けい殿。そこを退いてくれんかね。荷車が通らん」


嗄れた爺の声でようやく己の意識が定まる。


「つかぬことを聞くが、今は何年だ」


「はぁ、楼魏三年ですが?」


共歴にして1232年。先程の年から40年前。これは父が生まれた年か?


「どういうことだ? これはの仕業か? でなければ、俺がここに居るということはありえない」


「おい、いい加減にしておくれ。この荷物は早く運ばんといけんのだよ」


「あ、すまない」


場所を退くと、爺は溜息を吐きながら去っていった。


「因果を断ち切れ、か」


ここに事の発端が眠っているということ


それを解き明かし、悲劇を防ぐということ


たとえそれが時間的逆説に繋がろうとも


それにより俺が消えようとも


必ず成し遂げる


その為にここへ来たのだ

















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眠れぬ幽鬼は怨嗟に踊る 肉巻きありそーす @jtnetrpvmxj

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