第8話

「こんな夜更けに散歩とは、悪い子だ」


月が傾きかけた頃、静まり返った郷。月明かりに照らされる部屋を前に俺は立ちすくんでしまった。エルフの長は起きていたのか。それに来たのが俺だと気づくとは。


「エルフの長、折り入って話がしたい」


「ほう、やけに歳いった口調だな。まあ、よい。入れ」


部屋に入ると、月光が部屋を満たしていた。その青白い光がエルフをさらに神さびたものにする。


「昼間と比べておおよそ幼児とは思えぬ雰囲気だな。それに。よく今まで隠し通せたものだ」


さすが叡智の結晶。ある程度は見透かせるか。俺に眠る邪怨を。


「隠していたわけじゃない。誤魔化していただけだ。偽りの夢でな」


「ふふ、それで話とは?」


「これから話すことは秘密にしておいて欲しい。1つ、今ここで話を終えたあと、俺の魂を取って薬の制作に移ってくれ。同意書の代わりに俺の手紙だ。2人に渡してくれ」


「なるほど、な。成熟した精神と希薄な生存欲と母を生かす判断。何となく察しがついたわ。しかし、現実にそれが起こりうるか?」


奇異の瞳で俺を見つめる長。


「1つ、察しの通り、俺は未来を知っている。というよりは、過去を繰り返している。この現象について今知る限り情報を教えて欲しい」


「それとなく思いつくものはあるがそれだけでは今ひとつ分からん。詳しく話せ」


俺は長に今まで起きたことを簡潔に伝えた。そう、簡潔に。事実だけを。


「ふむふむ。聞く限りだと当てはまるのは『幽魂の旅』か『胡蝶夢症候群』だと思われる。可能性は前者の方が高いが後者もそうでないと言い難い」


「簡単に説明してくれ」


ダメ元で聞いてみたがまさか答えが返ってくるとは!


「お主が言うには爆散して死んだのだろう?その爆発によって時空に歪みが生まれ、器を失った魂が肉体を求めて時間軸を駆け回っているのだ。『幽魂の旅』とは魂が器を求めて彷徨う現象のことだ。未練がましい者がなりがちだな。お主であるなら仕方のないことだ」


「胡蝶夢症候群は?」


「その名の通り、今ここで起こっていること全てが夢であることを指すのだがお主の場合は少し特殊だ。お主の場合、夢でもあるがおそらく。お主が見て感じているものは全てにしか過ぎない。この私の言葉も己の意思も、一切総じてな。む?だとすればお主の行動が不可解だ。いや、まさかな...?」


「どうした?それも何かまずいのか?」


「小僧、その腹の中身うちを見せろ」


エルフの長は慈しい殺気を帯びる。それは恐れよりも安心感を覚えるような奇妙なものであった。


「一体、何を考えている? 母の完治? 家族の幸福? 平穏な日々? 笑わせるな、そんな生易しい願いならばこんなことになるはずがない」


「まさにその生易しい願いが1番なのだが......煽っているのか?」


臭いものには蓋をするとは良い教訓だ。触らぬ神に祟りなし。これもまた、よい。わざわざ触れなくとも良いものに手を出すから、また燻りだすのだ。いつか、瘴気が抜け出して己も成仏できたかもしれない。満足したかもしれない。訳の分からぬ言葉ばかりを並べて、結局、俺の生傷を舐め回すのか。俺の願いをコケにするのか。


お前も!


お前も!


お前も!


「死んでしまえ」


「それが根源か!!!」


溢れ出した怨念は止まらない。身体中からドロリとドス黒い物が湧き出る。痒いいいいいい!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!


「アワレなり。お前の生に幸せなど有りはしなかったのだ。幾千の道を歩んだとしても、最期はウラんで死んでいく。その念たちが放り出された魂を引き寄せたのだ。1つとなるために。その願いを果たすために!」


幸せはすぐに忘れてしまう。不幸はいつまでも奥底に溜まり続ける。1つ不幸をかき消すために10の幸せが必要だ。いや、それでも完全に消すことなど出来ない。怨恨うらみというものは、ひとたび生らるるば、けっして消えてしまうものではない!!!


「死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!」


今すぐに死ね!お前は生きてなどいけないのだ!存在してはいけなかったのだ!


「あぁ、違う.....。お前のウラみは


長にはもはや殺気はない。しかし、仁海は──。


「なんという事だ。自ら怨恨の永久機関となりうるとは。それに矛盾した願い。赦せ、本当に救われぬぞ」


赦せるものか!俺は絶対に赦さない!存在自体が不幸の塊であるこの愚者を!


「いつか晴れ渡る日が来よう。それまで貴殿の幸せを願おう。きっと、この世界ではもうおしまいだから。貴殿が救われる時が来るまで、私は唄い続けよう。我が真名はエリス・リデル。窮する時が来たならばこの名を呼べ。せめて、我がその波止場とならん」


もし、幾千の世界線に己が存在したとして、したとして、したとして。


世に与える利などあろうはずが無い。


父母は狂い、己は嗚咽を吐き散らかして。


他人に転嫁しても、結局は己が最たる悪だと理解しているから。


最初から生まれてこなければよかったのに。


誰に言われるまでもなく、その祈りは忽然と胸を充たしていた。


消えたい。逃げたい。楽になりたい。


もう、疲れ果てた。


ごめんなさい、母さん。


僕はもう

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