第7話

健康そのものだった者が、唐突に重病を患うことは珍しいことではない。だが、俺にはどうしても、陰謀じみた考えがまとわりつく。


父は何時、母を見限った。


そこに、何か見いだせないか?


俺はお前を疑ってるよ、冥藍。


「仁海、どうした?何か見えるのか?」


虚空に目を放る俺に父が話しかける。


「おま─父さんは、もし母さんが治らなかったらどうする?」


思わず口が悪くなりそうになるが、この父とはまだ険悪ではない。進んで関係を悪くさせる必要もないだろう。


「何としてでも、お前も、お前の母さんも俺が治してやる。だから、心配するな」


わしわし と乱暴に頭を撫でる父。この男はこんな表情もできるのだな。 そうか、狂ったのだ。この男も。母も。俺も。人生そのものが。


奪われた。


奪われたのか。


俺たちの幸せが。


過ごすはずだった日々が。


俺たちの家族は皆、地獄の底に落とされた。


キリキリと奥歯が軋む。


瞳孔に闇が湧き、虹彩が鈍る。


見えない。暗くて、白い。


聞こえない。轟々と耳鳴りが鼓膜を打つ。


「かの淵真太師はこのように説きました。『この世に渦巻く卑劣な謀略が1番浅ましく、恐ろしいものなのです。それは人、人非ざる者を問いません』。その太師も結局、信徒に謀殺されるのですから身をもって体現したのですね」


知らぬ記憶。存ぜぬ声。学び舎など行ったことも見たこともないというのに。隣には気になるあの子。今では好意を寄せる余裕もない。白昼夢であることは何となく感じている。しかし、現実は既に見失ってしまった。


「少し疲れたか。まだ小さいと言うのによく歩いたからな」


笑い合う父と母の声。待ってくれ。置いていかないで。俺もその場所へ──



目が覚めたのはその日の深夜だった。


隣には父母の顔。窓から入る月光が妖しげで不安になる。 目を閉じて、頭の中で子守唄を流す。母の声を、父の手を、想うて。


翌日から、父は仕事を休むことにした。国の皇から直々に許可を得て、俺と母を連れて各地を飛び回った。それも、国を跨いで。


やはり、特1級皇衛士だけあってどの国でも来賓扱いを受けた。まず、財力と領土のエスノール公国。ここでは大層なもてなしを受けたが、何の成果も得られなかった。次にフラリダ帝国。同上。魔法都市エラリーダ、打つ手なし。さらには、非同盟地であるエルフの郷まで出向いた。当然、門前払いだったが。


日に々に父の目の隈が窪む。患った母よりむしろ父の方が病人かと思われるほど窶れていた。


「大丈夫だ。必ず方法はある」


国境を越える度、父は微笑みかけた。それは俺たちに対してというよりは─


「宗尊、少し休んだらどうだ? 私も仁もまだそこまで症状は見られない。これでは、私たちよりも先に宗尊の方が死んでしまう」


母は涙ぐみ、父は大丈夫だと笑う。父の顔に死相が浮かんでいることは物知らぬ稚児でも察せる。きっと、俺たちが眠っている間にも1人で研究をしているのだろう。専門外の書物を漁って、苦手な医療術を昇華させようとしている。俺もそれを確かめたいが身体がどうにも。精神こそ、だが、やはり身体は幼児のようだ。


「父さん、僕は今日だけでも皆と一緒に寝たいな」


「そ、そうか。仁がそういうなら今日ぐらいは俺も2人と一緒に寝よう」



それから2年半、父は俺たちに付きっきりだった。驒祖父が資金を惜しみなく援助してくれたため、働かなくとも生活に困ることは無かった。


研究の合間に父はよく俺と遊んでくれた。虹鯉の釣り方、華鬼蜻蛉の捕まえ方、ズルして速く走る方法、楽に木を登る方法、そして、簡単な護身術を楽しげに教えてくれた。


「虹鯉は見た目に反して悪食だ。物が大きければそれだけ食い付きがいい。だから、釣り餌は爆ガマガエルを使うんだ」

「華鬼蜻蛉はちいさいだろ。馬鹿にみたいに追ってたら一生捕まらん。見てろ、この桜の枝を使って父さんが捕まえてやる」

「肉体強化は掛ければ掛けるほどいいってものじゃない。如何に効率よく気を循環させるかが大事だ。父さんは学び舎時代の走力試験でな、先生にも気づかれないくらいの極小の肉体強化を掛けて走ったものだ。おかげで1番以外知らん」

「ようは、木登りに腕力も脚力もいらん。かといって浮いてたら風情もない。とにかく体重移動だ」

「いいか、筋力も巫力もない人間は相手の力を利用するしかない。今から教えるのは俺が知る受け流しの極意だ」



こんなにも疾く日が過ぎる。もっと、ゆっくりと、牛のように動け、時よ。


「仁、お前の父さんはああ見えて笛の名手なんだ。私も久しく聞いていないが今度頼んで聞かせてもらおう」


母はもう自力で歩くことが出来なくなっていた。杖をついて、日常を過ごしていた。どうやら筋肉は下半身から徐々に衰えていくらしい。


さらに、半年。病発覚から3年。なんとエルフの郷から入郷の許可が降りた。粘り強く交渉していた努力が遂に実った。世界でも最高峰の知恵と技術を持つエルフならばその叡智で母の病の原因が分かるかもしれない。


父の瞳には活気と希望が満ち溢れていた。


「貴方たちがムネタカとサクレンとジンカイか。中に入れ、長がお待ちだ」


エルフの門兵はやけに愛想が悪い。それもそうか、エルフはその知性が故、他の種族を見下しているとも云うしな。


「ようこそ、ムネタカとその妻子よ。お主の名声はこの郷にも届いておる。何でもあの小煩い黒龍をその身一つで打ち倒したというではないか」


「それはどうも。しかし、それでも愛する妻と子を救うことすらできなんだ。どうか、貴殿らの叡智を貸して欲しい」


「いいだろう。あの黒龍には我らも手を焼いておった。その御礼としてお主たちの力となろう」


父は研究の傍らで、世界を揺るがしたであろう怪物を2体倒した。一体は先程の会話で出てきた黒龍。もう一体は帝国との国境に現れた政争に敗れた皇子の怨霊。


この入郷も黒龍を倒したことで叶ったようだ。


「原因不明の病とはその女子が患っているのか」


「俺の妻だ。それに子供も見て欲しい。どうか頼む」


「少しだけ時間がかかるやも知れぬ。その間はここで寛ぐがよい。エルフの間ではお主はかなり有名だ。もてなしは期待しておけ」


それから、エルフの長による検診が始まった。長は「う〜ん」やら「ほー」やら「ぬむぅ」と唸っていた。


「これは一筋縄でいかないのー」


それから長は俺たちに触れては唸り、診ては書物を漁り、半月ほどそのような日々が続いた。


そうして、ある日、強ばった顔で父を呼び出した。


「結論から言おう。我らの力を持ってしてもお主の妻子両方を救うことは出来ぬ」


絶望の宣告。瞬間、父は膝から崩れ落ちた


「原因は判明した。端的に言うと原因はそのわっぱじゃな」


長は俺を指差す。訳が分からない。俺だと?俺に非があるのか?俺が全ての元凶だと言ったのか──


「気の毒になぁ。魔力、お主の国で言う巫力が肉体と過剰に反応して体内に毒素を生成しておったようだ。胎児の頃からな。恐らく器が強大すぎる力に耐えきれんかったのだろう」


「どういうこと、だ?」


父が声を絞り出す。枯れた声にかの力強さは見られない。


「要するに、その子に才がなかったのだ。お主らの力を受け止める才が。肉体が耐えきれぬから強制的に巫力を弱らせた。肉体が耐え得る力となるようにな。モンスターの異種交配でよく見られる現象だが人間の間で起こるとは珍しいな。それほどお主ら夫婦がそれほど異質で強大だったということか」


未だその事実を誰一人として飲み込めていない。


「話が逸れたな、戻そう」


お構い無しに長は話を続ける。


「そして、その毒素が母体であったお主の妻にも臍の緒を通して流れ込んだ。人間の妊娠期間は凡そ40週ほどか、それから胎児形成まで差し引いて20週、その間に毒素が延々と流れ込んでいたのだ。よくこの程度で済んだものだ」


「どうにかできないのか!」


「もとより、この毒素は生成した者にしか分解出来ぬ。お主の妻の身体には今なおそれらが巡り蝕んでいる。このままでは時間の問題だろうな」


「方法はないのかと聞いている!」


「焦るな、ムネタカ。今から、お前に酷な選択を迫らなければならぬのだ。それを告げる我の心情も慮ってほしい。それに、聡明で博識なお主なら薄々勘づいているのでは?」


「頼む!どうにか!どうにかして2救ってくれ!」


「すまぬな、ムネタカ。今の技術や文明ではどうやっても救えるのは1人だ。息子の魂を元として薬を作るか、妻をそのまま死なせるか。幸い、先は短くない。この郷での無期の滞在を認める。して、ゆっくりと考えよ。不甲斐ない我のせめてもの償いだ」


あぁ、このようにして両親は結局、己を選んだのだな。なぁんだ、やっぱりそうなのか。俺が1番悪くて業が深い。俺さえ、俺さえ生まれて来なければ全て丸く収まったんだ。ここで俺が薬となって、もう一度、子を為せばいいものの、出来損ないが見捨てられぬからみーんな地獄に落ちた。連座制もいいところだ。落ちるのは俺一人なのに。俺と心中してしまったから、狂って狂って不幸せ。


「長よ、その心遣いに感謝する」


父も母も涙を流して、哭き叫ぶ。俺はぼうっとつっ立ていた。幼児に命の選択など出来るはずもなかろうに。こうして、父は悩んで母に押し切られ、己は呆けて生き長らえたのだな。


その日の夜はまるで通夜だった。母は黙って俺を膝に乗せて、頭を撫でてくれた。父は一瞬だけ俺を恨めしそうに睨んだ後、いつもの優しげな父に戻った。


「悪い。先に眠る」


背中を丸めて、父は床に向かった。


「私たちも湯浴みしてもう寝ようか」


夕食を終えて、すぐに寝た。それ程、2人はこの現状に疲弊してしまったのだ。だから、夜中に寝室から抜け出す俺に気づくことが出来なかったのだ。




ひとまず、終わらせようか

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