第6話

灼けつくような不快感が肌に張り付く。


「今更、何を言いに来たのやら」


母は未だ平静を保ち、飄々としている。俺は嫌悪感で今にも朝食を戻しそうだ。


居間の扉が勢いよく開かれると、そこにはあの父の姿があった。


「なぜ、黙って出ていった」


その声は怒気を含み、また少々の困惑と寂寥を感じさせた。


「夫への不信に妻が実家へ帰るなど茶飯事だろう?」


母は父を一瞥することもなく、編み物に目を向ける。俺はただ黙って食器を棚に戻していた。


「ガキを連れてか?もう、そいつもそんな歳ではなかろうに」


鼻を鳴らして俺を嘲る。正直、今すぐに消えて欲しい。どうしてこの残り少ない平穏をぶち壊そうとする?


「この子が来ると言ったんだ。私のためにな。見捨てた貴殿よりも、よっぽど人が出来ている」


「何だと?」


「もう先は長くない。捨てたのだから限られた時間ぐらい好きにさせてくれ。貴殿は、かの妹と乳繰りあっていればいいだろうて」


「俺はお前を捨てたつもりはない」


どの口がほざく。では、なぜ今、母がここに居て、あの女が本家にいるのだ。この大ホラ吹きが。思わず口に出そうになるが、これは母と父の問題だ。俺が横入りする訳にはいかない。ただし、母が正気でいるうちだけだ。


「貴殿が最後に私を見舞いに来たのは何時だったか?」


「見舞いには毎日行っている。お前が寝た後に......」


「呆れた。赤子でももう少しマシな言い訳する。なぁ、もういいじゃないか。私など忘れて、貴殿は貴殿の人生を歩めばいい。どうしてそんなに未練がましいんだ」


母の大きな溜息はこの場を支配し、一瞬の静寂をもたらした。これ以上、母に負荷を掛けたくないのだが─。


「あの女はお前の代替にしか過ぎない。俺はお前しか見えていない」


きっとこの男は正気ではない。今の言葉を素面で言ったのならば、コイツは人間とは呼べない。強欲に溺れた悪魔だ。


「あぁ、怒りで頭がおかしくなりそうだ。私だけでなく、妹までをも侮辱するのか!」


怒りに任せて編み物と共に両手を机に叩きつける。これ以上はまずい。


「母さん、落ち着いて」


俺はすかさず、母の背を擦りながら庭で取れた茶葉を煎じた茶を手渡す。


「はぁっ、はぁっ、すまないな。ありがとう、仁」


少し声を荒らげただけなのに、肩で息をする。それほどまでに精神と体力が削られているのだ。


「一旦、帰りなよ。そうして、己が何を言ったのか省みたらいい。もし、まだ少しでも正気が残っているなら分かるはずだよ。どんなにとち狂った事を言っていたのかということがね」


「屑が偉そうな口を聞くな!」


父は極小かつ鋭い気弾を俺に向けて放つ。あくまで、母に被害が及ばないようにするその気取った偽りの配慮に喉の毛が逆立つ。


「去ね!この惨めな道化が!お前のせいで全て台無しだ!ようやく、望んだ日々を送ることが出来た─」というのに!貴様のせいで!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね! お願いだ。本当に、本当に死んでくれないか。お前さえ、お前さえ────!


その気弾は俺の喉を貫いた。視界はゆっくりと落ちていく。俺の身体能力では父の激情に任せて放たれた弾など避けられるはずもない。だから、せめて半ば恨み言をだけでも遺そう。


「かはっ!」


「仁!」


「咲蓮。お前はその悪魔に唆されただけだろう?そいつは息子なんかじゃない。息子なら、俺たちの息子なら、あんな気弾なんて避けられるはずだろ?いや、息子だとしてもだ。俺が愛されないのに、なぜ出来損ないのお前なんかが〜〜〜」


「この気狂いが!」


激昂した母を窘めるように袖を掴む。


「っ!仁!死ぬな!今治してやるから、な!大丈夫だ!」


「こ゛め゛ん゛」


また、幸せに出来なかった。なれなかった。俺が我慢できずに余計なことを言ってしまったから。ずっと黙っていれば、もしかしたらもう少しだけ─。


「喋るな!駄目だ!目を閉じるな!仁!仁!─!」


lllllllmorillllllll


次があったとして、母はどうなる?否、の母はどうなんだ?もし、万が一、次の母が奇跡的に完治したとして、今までの母に救いはあるのか?


狂った母、殺した母、早逝した母、残された母


世界線を跨ぐ度に、時間軸を巡るたびに、救われぬ母が増えていく。世界は俺をどうしたいのか?もし、これが俺の業による罰だとするならば、なるほど覿面てきめんだ。地獄の責め苦よりも、よっぽど堪える。唯一、救われて欲しい者が救われぬ。少しだけ甘い夢を見させて、谷底へ突き落とす。


それをこのまま甘んじて受け入れると


思っているのか


この身に宿る憎悪と怨恨は


確かにこの魂にも染み付いてるぞ


誰か存じぬがこのくだらぬ物語を繰り返す者よ


貴様は俺以上にこの世の苦しみ味わわせてから


殺してやる


何度だって殺してやる


楽になりたいと思っても


消えてしまいたいと願っても


終わらぬ苦しみの連鎖で縛り上げてやろう



llllllll


「奥様とご子息様に全身の筋肉と気伝達器官に異常が見られます」


「は?」


「お気の毒ではございますが、現段階では治療は望めません。所謂、不治の病です」


「ふざけたことを抜かすな!金はいくらでも出す!なんとかしろ!」


激昂する父と呆然とする母。今度はここに来たか。 俺はチラリと医師が示した全身を透過させた写真を見る。なるほど、比較対象として置かれた常人の写真と比べると大分小さいようだな。


「仁......」


不安そうに俺の手を握る母。 母さん、俺は決めたよ。まず、何としても母さんの病気の原因を突き止める。そして、このふざけた惨劇を繰り返す愚者を後悔させてやる。

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