エピローグ
独楽が神雷結界を張り終えるまでには二時間ほどかかった。神雷結界の効果範囲にカザミ区画を含めたため少し長くかかったようだが、その間に他区画が攻めこんで来たりなどという事は起こらなかったようだ。
見回りに行っていたイナカマチ区画の住人たちから報告を受ける若利を見ながら、独楽は縁側でだらりとだらしなく寝転がっていた。
神雷結界を張り終えると、独楽は若利と一緒に屋敷まで戻って来ていた。神力の使い過ぎでふらふらのへろへろだったためである。
独楽自身も、パオロたちの事が残っているのでもうひと仕事しようと思ってはいたものの、それどころではなく。若利と天津から「いいから休め」と言われたため、こうしてひと足先に戻って休んでいるのだった。
「結構人数いたけど、甘栗さん一人で大丈夫ですかねぇ……」
空を見上げながら独楽は呟く。
残っている仕事というのは、パオロたちを区画の外へぽいっと捨てて来る事。もう一つは、カザミ区画の解放である。イナカマチ区画に敵意や害意を持っている者ならば、神雷結界を張っている最中に押し出されるはずだが、そうでない者もいる可能性がある。
なので若利が要石を塗り替えた事と、神雷結界での事で騒ぎになっている間に、さっさと追い出してしまおう、という事だった。
天津一人でも大丈夫か独楽が心配していたが、
「某は浴衣の女子を見られただけで元気いっぱいでござる!」
などと訳の分からない事を言って走って行った。
恐らく祭りの時の事を言っているのだろうが、独楽たちに気を遣っての冗談なのか、ただの本心なのかが実に分かり辛い。
独楽と若利からの微妙な視線を受けた天津だったが、走ってくその背は彼の宣言通り元気そうだった。恐らく精神面が良い影響を与えたのだろう。
「…………それにしても神力切れで目がまわ――」
「独楽さまー」
独楽が疲れたように息を吐くと同時に、その腹の上にドスンとした衝撃があった。思わず独楽が「ぐえ」と蛙が潰れたような声を漏らす。
呻きながら独楽が自分の腹の上を見ると、土や砂で汚れた信太が尻尾を揺らして乗っていた。
「……信太、腹へのダイレクトアタックはやめましょうね」
言いながら独楽は信太に手を伸ばして頭を撫でる。ふわふわとした毛並みに、土や砂のザリザリとした触感が混ざった。
「何かしてきたのですか?」
「小夜さまのお手伝いですー」
「そうですか。信太は良い子ですね」
「えへん」
どうやら独楽に褒めてもらいたかったようで、信太は嬉しそうに胸を張った。誇らしげなその様子に独楽は苦笑する。
「独楽さま、お疲れです?」
「ええ、神力切れでへろへろです。今のわたしはポンコツです」
「独楽さまはポンコツラーメンです?」
「わたしはラーメンではありませんよ」
独楽と信太がそんな会話をしていると、住人達と話の終わった若利がやって来た。
「何だ、ラーメンでも食べに行くのか? 俺は味噌が良いぞ」
「わたしは塩が良いですね……って、ラーメン屋、あるんですか?」
「あるぞ」
それは初耳だ、と思いながら独楽は体を起こした。動きに合わせて信太はぴょんと独楽の膝へと移動する。
その隣に若利は腰を下ろした。
「それは是非食べに行きたい……餃子は! 餃子はありますか!」
「フッ当然だ。白飯もあるぞ! 大盛りも可だ!」
「何と! イナカマチ区画の美味しいお米に、ラーメンに餃子なんて……最高じゃあないですか!」
想像して独楽のお腹が鳴った。その音に若利が噴き出す。
「はっはっは。きみは本当に良く食べるのだな」
「獣人は大体こんなもんですよ。燃費があんまり良くないんですよねぇ。それが金欠の一因です」
「そう言えば、出会った時も空腹だったな」
そう言って若利は空を見上げた。
独楽が若利と出会ったのはつい先日の事だ。だが、独楽にはもう半年くらいはここにいるような感覚にもなった。それだけ色々あったのだ。
若利につられて独楽も空を見上げた。そろそろ午後の三時くらいを時計の針が指しているが、まだまだ空の色は濃い。
そうしてしばしの時間、静かに空を見上げていると、ふと若利が口を開いた。
「ああ、そうだ、独楽。俺に何か言う事はないか?」
「え?」
何を、ともなく曖昧にそう言われて、独楽は目を瞬く。
何かいう事があっただろうかと首をかしげていると、膝の上から信太の可愛らしい声がした。
「信太はもう言いましたー」
尻尾を揺らす信太を見て、独楽は少し考えたあと、目を見開いた。若利が何を言おうとして、独楽が何を言っているのか何となく察したからだ。
だが本当にそれで良いのか分からず、独楽は視線を彷徨わせる。だんだんと思考が「そうだったら良いな」になってくると、動揺して手で口を覆った。
「…………」
言って良いのか、言うべきか。そう悩んだ独楽の頭に、かつて真頼に言われた言葉が蘇る。
――――ちゃんと言葉にしな。でなきゃ、誰にも分かるもんかい。
独楽は手を下ろすと、若利の目を見た。
「若様。あの、えーと、その」
天津と対峙した時よりも緊張するような気がする。そんな事を思いながら独楽は口を動かした。
「………………わたしも、ここにいていいですか?」
言った。言ってしまった。
間違っていたらどうしようとか、駄目だと言われたらどうしようとか、そんな言葉が独楽の頭の中でぐるぐる回る。
だが、思っていたよりもずっと心がスッとするのを独楽は感じた。
そんな独楽に若利は破顔する。
「もちろんだとも!」
そして手を差し出した。
独楽はその手を握り返す。
「独楽さま、耳が赤いですー」
「そういう事は言わないのが格好良いんですよ、信太」
照れ隠しに口を尖らせると、信太が楽しそうに笑った。
「…………あ、そう言えば、引きこもっておった分は給料差っ引くからな」
「のおう!」
若利に思い出したようにニヤリと笑って言われ、そう言えばと思い出した独楽は頭を抱えた。
そんな独楽の様子がおかしかったのか、若利や近くにいたイナカマチ区画の住人たちが噴き出す。
その笑い声は、小夜が「お茶の時間です」とスイカを持ってきてくれるまで続くのだった。
イナカマチ番犬奇譚 石動なつめ @natsume_isurugi
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