第27話「かのエンプレスPart2」
この物語はもう既に完結している物語だ。だからここから何があるとかは無いし、今の僕達はこの物語からしたら後日談の存在なので、ここで起きた問題に対して何が出来るという訳でもないのだ。
「これは中学二年生のころの話だ」
その頃の僕は、今と比べるとかなり前向きで、漠然としたものだが、将来に対する期待とか希望に似たようなものを持っていた。
授業の成績も右肩上がりに伸び続けていたしな。という話をしていると西園さんが信じられない物を聞いたと言いたげに口の前に手を当てていた。
「まさか有村君にも成長する時期があったなんてね」
「人は成長する生き物だぞ!」
「いえ、まあ……それはそうなんだけどね」
何とも歯切れの悪い上に失礼な態度だった。
中学二年の時、僕と四十万鹿乃は同じクラスだった。四十万鹿乃はクラスの有名人で、常に笑顔で、人に囲まれ、困っている人がいたら手を差し伸べる、そんなヒーローみたいな奴だったのだ。下手な悪役ムーブをする今とは大違いの善人だったのだ。
そして僕はそんな四十万鹿乃に憧れていた。それと同時に彼女に強い嫌悪感を抱いていた。
「ねぇ、四十万さん。一緒に行こうよ」
そんな時期の、十月のある日の帰り道だ。今日と同じやけに暑い日だった。
僕はクラスメイト(その時の僕は分かっていなかったがクラスメイトらしい)に囲まれている四十万鹿乃を見かけた。見たところ、カラオケの誘いの様だった。クラスメイトは全部で約十人。男女混合で、クラスでも一番大きいグループの連中だった(らしい)。
「……」
僕が見かけた時、四十万さんは誘いを断ろうとしていた。しかし押すに押されて断わり切れていない感じだった。完全に無視して立ち去ればいいだろうに。それをしないのは自分のクラスでの立ち位置を理解しているからだろうか、まあそんな訳ではないのは今は分かるのだが。
四十万さんは「用事は無いんでしょ?」とずけずけと言ってきた女子の言葉を聞いて口を開く。一瞬、僕を見ていたような気がした。
「私、彼氏いるから」
口をぽかんと開ける、グループの連中を尻目に彼女は、頬を赤らめて、遠くで見ていた僕の方へとやって来る。そして僕の腕を取ると、信じられない力で僕の体を引っ張る。
僕はグループの連中の前に連れて来られた。状況が理解できない僕では無かった。反射的に、「そりゃ嘘だ!」と言おうとしたのだが、僕の背中にチクリと何かが刺さるような感触がして止まった。恐る恐る後ろを見ると、どこから取り出したのか、四十万鹿乃がナイフを僕の背中に突き付けていた。
「ども、彼氏です」
命の危機には逆らえないのか、突発的に僕は口を開いていた。今にして思えば、僕はここで逆らうべきだったのだ。だって四十万鹿乃に僕を殺す気はないのだから。
クラスメイトの訝しむ目に晒されながら、僕と四十万鹿乃は腕を組んで、逃げるようにその場から去った。
「何で、僕を巻き込むんだ……!」
限りなく怒気を含ませた僕の言葉に、四十万鹿乃は全く動じた様子はない。
「こういうの君は好きなのかと思っていた。ノリもよかったし」
「好きじゃねえよ。さっさと帰って勉強がしたいんだが」
「女の子と遊ぶのも、勉強の一つだと私は思うよ」
「そういうことは聞いてねえ。僕の腕を離せ」
四十万鹿乃はクラスでの有名人になるだけあって、容姿も綺麗に整っていた。肩まで伸びた黒髪に青いバラが刻印されたカチューシャ。中学生とは思えない発育の持ち主。腕を取られているので、彼女の髪が僕の頬に当たっていた。
と語っていると(女の子相手に何語ってるんだよ僕は)西園さんが、僕のことを殺気のこもった目で見ていた。
「……君はあれだね。女の子なら誰でもいい人みたいね」
「人を女たらしみたいに言うな!」
「言われたくないなら、言動とか気を付けてほしいものだけど……」
「そんなに僕はセクハラ発言かましてるか」
「自覚ないのね。で、君と四十万さんはその後、どうしたの?」
「ああ、そのまま適当な喫茶店に入ったんだ」
「喫茶店?」
どうやら四十万鹿乃は割と本気で、僕にカップルのフリをさせる気満々だったようで、とりあえず自己紹介をしようということになったのだ。
僕はその時、丁度読みかけの本もあるしいいかと付き合うことにしたのを覚えている。
同じクラスとはいえ、僕と彼女は一度も会話をしたことはない。お互いに名前や大体どんな奴かは分かっているが、それ以上には何も分からない。
「私の名前は四十万鹿乃。遠慮なく鹿乃ちゃんとでも呼んでくれ。趣味は特に無い。好きな食べ物、嫌いな食べ物も無い。得意科目は強いて言うなら全てだ」
「……で?」
「で、とは?」
「お前はこんなことに僕を突き合わせて何をさせたいんだ。言っておくが僕にはあまり時間が無い」
「……可愛い女子と二人で喫茶店にいるというのに、君は勉強のことしか頭にないようだな」
「学生の本文は勉強だろ。恋愛なんて一過性の精神異常だ」
この頃の僕は、自分を伸ばすことだけを考えていた。自分で自分のことを可愛いと言った四十万鹿乃にツッコむ余裕もない程に。
「へぇ君は随分と面白い思考をしているみたいだね」
四十万鹿乃はぐいとテーブル越しの僕へと近付いてきた。
「どれ少し君のことを聞かせてくれたまえよ」
「有村匠。趣味は無いし、好きな食べ物も嫌いな食べ物も思いつかない。得意科目もない」
「それだけ勉強してるのにか」
「お前に比べたらそうなんだよ。嫌味か」
「嫌味さ」
「嫌な奴め」
肩をすくめながら四十万鹿乃は椅子に深々と座り直した。
全国模試で全教科満点を取るような奴の前で、ちょっと自信がある程度を得意と言えるほど僕は命知らずでは無かった。
四十万鹿乃は首をかしげながら言った。
「君はどうして勉強をしているんだ?」
「……」
答えられなかった。将来役に立ちそうだから、絶対必要な時が来るから、そんな当たり前すぎる曖昧な回答はきっと四十万鹿乃は望んでいない。彼女はそうするべき理由ではなく、そうする理由を聞きたいのだろう。つまるところ夢とかそういうのを聞いているのだった。
「人は目的があってこそ努力が出来るものだと私は思うのだけど、君は少し違うみたいだね」
四十万鹿乃は店員が持って来たホットケーキに目を輝かせながら言った。フワフワなホットケーキにナイフが滑るように入っていくのを見ていると、僕もついつい喉を鳴らしてしまう。
「かのアルフレッドアドラーは全ての行動には目的があると言っていたそうだ。それを正だとすると果たして君の行動は何を目的にしているんだろうね」
「さあな。昔の哲学者サマでもただの一介の高校生男子の心は分かんねえんじゃねえか」
「アドラーは心理学者だ」
「……」
僕は目の前に出されたブラックのコーヒーを一口啜った。
「元は精神科医だったそうだけどね。だとしても心のエキスパートの言葉を、ただの一介の男子高校生程度が足蹴にしていいものではないだろう」
「じゃあ僕にも何か夢があるってお前は思うのかよ」
「さあね。私は君じゃないんだ」
ここまで散々引っ張ってきて、最後に突き放す様な言葉だった。僕は仕切り直すように、話題を変えた。
「将来の夢って、どういう感じで決まるんだろうな。物語とかだと恩人がいたりするけど、僕にはそんな人間はいなかったし」
「両親の影響とかは考えられないかい?」
「脚本家の父と女優の母親はいるけど、どっちにもなろうと思ったことはないな」
「知ってるよ。有名だものね。君の両親。君としてはどうなんだい? テレビの中に知っている人物がいるというのは」
「あんま嬉しい話じゃねえぞ。しかも有名となるとな。どこの番組のドラマにも、ほとんどの映画にも、母親が映っていると、正直見る気が無くなる」
昔はそうではなかったのだが、高校生にもなると、誇らしいというより、見せつけられている気がしたのだ。凄い近くにいるはずなのに、実際は遠くにいたというのを理解してしまう。
「まあそうだろうね。君の立場なら私も同じことを思うだろう」
何を白々しいことを、と僕は思った。この天才サマならば、演技だってなんだって完璧にして見せる癖に。もしかすると今この瞬間も完璧な演技の真っ最中かもしれないのだ。
コーヒーはもうなくなっていた。
「おかわりはいるかい?」
「いやいいよ」
「そうか。私も丁度食べ終わったところだ」
四十万鹿乃は立ち上がると伝票を持ってそそくさとレジへ向かおうとした。
「待てよ。僕が払う」
僕の言葉に四十万鹿乃は不思議そうな顔をした後、堰を切ったように笑い出した。
「何がおかしいんだよ」
「いやね、恋愛は一過性の精神異常とまで言ってのけた人間が、こういう時の男性の作法を知っているのが面白くてね」
「別に。常識だろ」
吐き捨てるように言った僕の言葉に四十万鹿乃は楽しそうに笑っていた。
「お前もそういう風に笑うんだな」
「意外かい?」
「クラスじゃ見たことないからな。お前が笑ってるところ」
「……そうなのかい? 私は一切笑わない訳ではないのだが」
「本気で笑ってないだろ」
何となく、そういうのは分かるのだ。女優の母親がいるからなのかもしれない。喫茶店から出る時に、四十万鹿乃は呟いた。
「君を選んでよかったと私は思ってるよ」
僕を選んでよかった。僕も彼女の思わぬ一面が見れて少し得をした気分で、彼女も僕と同じ人間なのだと知ることが出来た。いつも人外扱いをしていた訳ではないが、天才でどこか機械的な彼女を本気で人造人間じゃないかとか思っていたことはある。
「私は人造人間じゃないぜ、匠君」
今まで見たことがないくらいに楽しそうに言う彼女を見て、僕は始めて思ったのだ。
四十万鹿乃も僕と同じ高校生で、普通の女子なのだと。
僕と四十万鹿乃の偽カップル関係が出来てから一か月が経った。
この訳の分からない関係は僕はともかく彼女には、有効に働いていたようで、遠目に見るだけでも彼女に寄りつく男子が減ったのが分かる。
便利扱いされているようで嫌な気分になるが、偽カップルだからってデートのフリをしなくてはならないなんてことも無いし、学校で一緒にいなければならないなんて強制もしてこないのだから別にどうでもよかった。クラスメイトから遊びに誘われたら僕を使うくらいだ。
そして僕は僕で、着実に成績を伸ばしていた。実感が見えると勉強も楽しいものだ。最近妹がアイドルになるとか何とか言っていたが、そんなことよりも勉強をした方がより将来の為になるぞと僕は思っていた。
今にして思えば、どっちが将来の為になるのかは、明白だ。
「なあ、僕は何と答えればいいんだよ」
僕は四十万鹿乃に相談していた。
というのも下駄箱の僕の場所に、手紙があったのだ。それは冗談でもなんでもなく、ラブレターだった。
「君の好きにしたらいいじゃないか」
「僕達は一応付き合ってるってことになってるじゃねえか。僕が誰かと付き合ったりしたら、別れたと思う奴が出てくるだろ」
「ああそうか」
四十万鹿乃は他人事の様に言った。僕に彼女が出来て困るのは彼女だろうに。
「……そういうことなら好きにさせてもらうぜ」
「ちなみに君は何と答えるつもりなんだ」
「もちろん断るよ。フリならともかく本気で付き合ってくれってのは……な」
「どちらにせよ断わるなら私に聞く必要はなかったのでは?」
「一応だよ。そういう話もあった程度にお前の耳に入れておいた方がいいかと思ったんだ」
「やれやれ律儀な奴だよ、君は」
四十万鹿乃は満足そうに笑う。
「そういやしばらくは学校でイベントも無いんだよな」
「ああ。十一月の中学は暇そのものだ」
「その方がいいぜ。勉強に集中できるからな」
「仕方ない。私が見てやるか」
最近、僕達は勉強会を開くことが多くなった。四十万鹿乃からしたらカップルのフリが出来て、僕からしても全国模試で一位を取るような奴から教えてもらうのは大変価値のあるものだったのだ。
「まさか……有村君にそんな過去があったなんて……」
長々と話して喉が渇いた僕が水を飲んでいる間、西園さんが顔を青ざめながらそんなことを言っていた。別にまだ何も衝撃の事実なんて一つも出していないのに、何でそんな反応をするのか。不思議だった。
「不思議よ。だって有村君に告白してくれるこの世に女の子がいるなんて思いもしなかった」
「失礼にもほどがあんだろ!」
「しかしでも有村君如きに振られてしまうその子が不憫で仕方ないとも思うわ」
「……それは……まあ悪いことをしたとは思……って如きって何だコラ!」
「君はその一世一代のチャンスを掴み損ねたが故に、独身でしかも孤独に死ぬことになるのね」
「僕が孤独死するのはもう決まってるのかよ」
「ええ、私が成功人生を歩むのと同じようにね」
「しかも自分は成功してるだと?!」
何て身勝手な預言だ。微妙に当たってそうな気が少しはするのだが。
「まあとにかくそんな感じの話さ。続き話すぜ」
「分かったわ。ただ君と四十万さんがちゅっちゅラブラブしている所はぱっぱと飛ばしてちょうだい」
「ちゅっちゅラブラブってなんだよ」
聞いたことねえぞ。そんな言葉。
僕は気を取り直して話し始めた。
実はこの時期から僕は少し勉強に追いつけなくなってきていた。四十万鹿乃の教え方が下手だとかではない。僕の実力の限界だ。
今はもうそれについて思うことはないけど、この時期は結構色々と悩んでいた。それもあったのだろうか。事故が起きた。というか僕が事件を起こした。
中学二年の頃の数学の教師は週一で小テストを出してきたのだが、その点数が目に見えて落ちたのだ。平均80~90くらいだったのが50点台を二週連続で。それを変だと思い、四十万鹿乃に相談したのだ。
「なあ四十万。これはどうしたらいいんだ?」
割と必死だったのだろう。僕は珍しく声を荒げていた。それは彼女も分かっていたのだろう、だが彼女はこう答えたのだ。
「さあね。私には分からないよ」
と。いつものように。君の好きにしたら、君のやりたいように、という行動や意志の決定に自分は一切関わる気が無いというようなものだ。それまでの僕なら軽く流せただろうが、この時の僕は焦っていたのもあって、軽く流せなかった。
「……」
しかし今ならば分かることもある。この時の四十万鹿乃は本当に分かってなかったのだ。天才が故に凡人の気持ちが分からない。天才の苦悩を僕らが理解できない様に、僕らの苦悩を彼女は分かることが出来ないのだ。
思えば、僕は彼女のことを嫌っていたのだ。それを改めて知ることになった。
それから僕は彼女と話すことはなくなった。彼女からも僕に話しかけてくることも無く、僕と彼女の偽カップル関係は自然解消となったのだ。
「って感じだ」
「何て言うか解消までとんでもなく早かったね」
「ちゅっちゅラブラブしてるところすっ飛ばしたら、後はそれしかイベントがねえんだよ」
すっ飛ばした中には、彼女との楽しかった思い出も一つや二つはあったのだ。
「そう。そういうことなら、いいけど」
それ以来、全然話していないので、あの時のことを引きずってるのか引きずってないのか不思議な状態で、僕は彼女のことを嫌いだと言ってはいたが、本当に嫌いなのかどうかも正直謎なのだ。
「一つ思ったのだけど、君と彼女の関係は本当に解消されているの?」
「されてるだろ」
「でも解消しようって言って解消している訳ではないのでしょう」
「まあそうだけどよ」
だが二年もその件で話をしたことも無いのだ。今更確認を取るのもバカらしいものだ。
「これの解決は結構大事なことだと私は思うよ」
「……やっぱり?」
「ええ。でないと君も四十万さんも前には進めないわ」
ラスボス宣言をしてきたあいつのことを僕は理解できなかった。考えてみればそうなのだ。僕は一度だってあいつを四十万鹿乃という人間を理解していない。僕と彼女にはきっと意思疎通が足りていなかったのだと今になって思えた。
太陽の日差しが強くなってきたので、僕と西園さんは屋上から出た。
四十万鹿乃と話をしよう。腹を割って、秘めたものもそうでないものも全て。
僕はそう心に固く決めた。
この僕の人生に青春は存在しない Naka @shigure9521
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