第燦章「かのエンプレス」

第26話「かのエンプレスPart1」

 10月だというのに今日は暑い日だった。暑いとは言っても、猛暑ではなくせいぜい春のちょっと暖かい日程度だが、段々と冬仕様になりつつあるこの季節で、急にそんな天気になれば暑くも感じるものだ。

 昼休みの屋上、見上げれば雲一つない青空だ。僕は何故かその景色に懐かしさを覚えていた。


「空に何があるの?」


 そんな僕を見て声をかけてきたのは西園さんだった。昼休みに屋上で会おうなんて、そんなカッコいい約束はしていないので、きっと偶然だろう。偶然だからこそ信じられないのではあるが、まあそういう意味では最近の僕は昔では信じられないくらいに刺激のある生活をしている。


「いや、何か懐かしい風景だからさ」

「君に懐かしめる過去があるとは思わなかったわ」


 それはまるで僕が過去を懐かしむのがおかしいみたいな言い方だった。


「バカにしてるだろ」

「バカにはしてないわ」


 バカにしていないという彼女の口は笑っていなかった。多分、本当にバカにしている訳ではないのだろう。


「私から見て、君は常に今を生きている人だからよ」

「褒められてるのかそれ」

「少なくとも、褒めてはいないわね」


 西園さんはそう言うと笑った。やっぱりバカにしていたのかもしれない。

 例え人をバカにする意図があろうと無かろうと美人が笑うのは絵になるものだ。バカにされてる側からしたらたまったものじゃないが。

 日差しに照らされている長い金髪は不思議な光沢を纏っていた。本当に何で僕なんかとまだこうして一緒にいてくれるのか不思議だ。


「私や花音ちゃんのように、君にだって過去があって、考えがあるのは分かるわ。でもせめて何か問題があるのなら言ってもらいたいのよ。だって私は君の部活の部員であって、友人なのだから」


 西園さんの言葉にはどこか強迫観念に駆られている様なものが見え隠れしている様に僕には見えた。まるで一度助けられたから、僕が困っていたら助けなくてはならない、みたいな。


「別に困ってることは何もねえよ」


 部活に入ってから、西園さんの弓道の腕はどんどん上達していた。もう迷いなんて無いと言いたげな彼女の射は圧倒的で、人目にトラウマを抱えていたあの日までの彼女はどこかへ行ってしまったようにも思える。

 彼女はきっとどんどん上に行くだろう。僕はそれを遠くから見ているだけでいいのだ。彼女みたいな強い人間の人生には、僕みたいな弱者は不要だ。彼女が僕の近くに来たのも、小休止みたいなものだ。


「君は、君が思う程、弱い人間じゃないと私は思うわ」


 例の如く、僕の思考を読んだのか西園さんは言った。


「でもまあ君はそう言ったところで納得はしないんでしょうけど」


 屋上には僕達以外に誰もいない。こうして西園さんと二人きりになるのもここ数日では珍しく思えた。


「弓道部も人数は確保できたし、これでしばらく安泰だといいんだけどな」

「そこは大丈夫なんじゃないの? 部活としてやっているなら、生徒会だって手を出せないと思うけど」

「うちの生徒会って結構強硬な所あるから怖いんだよ」


 今は恭弥がいるので、多少安心ではあるが、それでも何をしてくるか分からない怖さは残っている。そういう意味ではもっと部員を増やしたいものだが、弓道部に入ってくれそうな人なんてもう他にはいない。


「クラスメイトにならあの人がいるじゃない」


 西園さんは、僕の一番聞きたくない名前を出した。


「四十万さん」

「知り合いなのか?」


 この時、僕は相当に嫌そうな顔をしていたのだろう。西園さんはぷっと笑った後に言った。


「彼女、中学から弓道をやっていたのよ。だから知ってるわ」

「……」


 同様の理由で四十万鹿乃は西園遥を知っていると言っていた。逆もまた真なりということか。


「でも君って彼女に妙に苦手意識みたいなの持ってるわよね。どうして?」

「話したくはないな」

「人の過去に土足で踏み込んだ前科があるのに、自分の過去は明かさないなんて。ミステリアスキャラは君には似合わないわよ」

「失礼な。僕にだってミステリアスくらいできらぁ」


 出来るだろうか。いや無理だ。


「そういえば聞かせてはくれないの? 君の懐かしい話」

「覚えてたのかよ」


 とっくにその話は終わっていたと思っていた。僕は口を噤んだ。西園さんは腕を組み言った。


「四十万さんに関係のある話だと私は予想してるけど」

「まあそうだが、でも話したらバカにするだろ」

「……しないわよ」

「今の間は何だ」

「バカに出来る話なのか、測りかねているのよ」

「ふーん」


 そっか。そういう事ならば


「そういうことなら話すよ。僕のつまらない物語を」

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