第25話「かのんシャドウ其ノ決」

 この件について一つだけ僕は忘れていたことがある。

 それは昨日、花音の護衛の為に帰る直前に西園さんに言われたことだ。


「彼女はファンとそうじゃない人間の区別はついてないみたいよ」


 この言葉が、花音が西園さんに言ったこの言葉が真実だとするならば、今回の犯行は実行不可能だ。だって花音には誰がファンか分からないのだから。花音の犯行は全員が彼女のファンだ。当てずっぽうでそれは難しいだろう。それにただのミーハーならば花音に騙されたと感じた時にすぐに告発する。

 だから僕は思ったのだ。花音に誰がファンなのかの情報を流した奴がいると。そう思うと、そいつはすぐに分かった。全校生徒の中から有栖川かのんのファンを探すよりも簡単なことだっだ。


「なあ四十万鹿乃」


 放課後の屋上にそいつはいた。まるで僕を待っていたかのように。


「西園さんの過去をやたらと知っていたように、どこかで有栖川かのんのファンの情報を知ったんだろ。で、そいつを花音に流した」


 鹿乃は何も言わない。ただ僕を黙って見ているだけだ。夕焼けをバックにしているので、彼女の表情は見えない。


「僕が知りたいのは何で花音にその情報を流したんだってところだ。僕と違ってあいつはお前とは一切関係が無いだろ」


 兄の知り合いと言ったところで、あの妹は信じないだろう。だからあいつが情報を求めているタイミングで、四十万鹿乃は現れたに違いない。

 そこまで言うと、ようやく鹿乃は口を開いた。

 しかしいつもの甘ったれるような声音ではなく、まるで少年の様なそんな声音だった。


「……確かに。私は君の妹に情報を流したさ。でもそのおかげで君の妹は平穏な学校生活を送れているだろ? 迷惑をかけた側も迷惑をかけられた側も後に残るものは何も無い。いいことずくめだ」

「そりゃ結果だけみたらな。だけどお前が情報を流した段階じゃこの展開は分からない。もっと最悪な可能性だってあっただろ」


 花音が僕より先に恭弥に情報を流していたら、僕が彼女の頼みを引き受けなかったら、色々な展開があるというのに。冒頭から終わりが分かる様な物語は存在しないように。

 四十万鹿乃にはこの状況までは読めなかった筈だ。


「まあそうだね。私もここまで良い終わりを迎えるとは思ってなかったよ。そういう意味では予想外だ。花丸をあげよう」

「そういうことを言ってんじゃねえ。つかお前、今の口ぶりから察するに別の終わりが見えていたってことかよ」

「そうだよ。そう言ってるじゃないか」


 どうやら彼女の中で一つの答えはあっての行動らしい。それが一番最悪の解答だ。だって彼女は始めからその悪い終わりへ向かうつもりだったのだから。

 まだ適当な世間話のノリであってくれた方が良かった。


「西園さんの件もか」

「うん。まあそっちはどうなってもベターな終わりだったよ」


 西園さんの過去を僕に話したのは、あの状況で話すのが適切だと彼女が思ったから話してきたのだ。実際にそうだったのが何とも腹立たしい。あそこで僕が四十万鹿乃から西園さんのトラウマについて聞かなければ、僕は何も出来なかっただろう。

 どうやって知ったのか。それは謎だけど。


「万能知恵袋的なキャラを目指してるのか?」

「目指してないよ。私が目指すのは『ラスボス』さ」


 鹿乃は『ラスボス』らしく、悪役らしく、両手を広げ、天を仰ぎ見ながら言った。顔の角度が変わったことで、これまで見えなかった部分が見えてきた。


「ラスボス……ねえ」

 

 何の冗談かと思ったが、どうやら本気らしい。僕にはそれを笑えない。


「私はね天才なんだよ。それは比喩でも奢りでもなく、ただ漫然とした事実だ」


 眼鏡はしていなかった。顔が隠れるほど長い髪も三つ編みもそこには無い。髪は肩の位置で切り揃えられており、カチューシャを付けている。彼女の目を見るのは久しぶりだった。西園さんに負けず劣らずの綺麗な目。しかし一体どういう風の吹き回しか。イメチェンとでもいうのだろうか。


「君だってゲームはするだろ匠君。ゲームのラスボスは大抵変身するものじゃないか」

「つまりそのイメチェンは変身したってことなのか? 正直言って似合ってるぜ。前のよりこっちの方が好みだ」


 中学時代の四十万鹿乃に似ているから。

 僕と会話し、曖昧にでも笑っていたあの頃を思い出すから。


「ふふ、ありがとう。でもそういうのはもっと後で聞きたいな。今はそういうパートじゃないだろ」

「……なあ四十万鹿乃。一つ聞いていいか」

「どうぞ。私の3サイズでも、男の趣味でも、一週間内の自慰の回数でも好きに聞いてくれ。ちゃんと包み隠さず答えよう」


 色々と気になるものはあったが、今はそんな時ではない。僕は少し悩んでから言った。


「弓道部を潰したのはお前なのか」

「……」


 根拠も手がかりも全く無い。弓道部の部員が退部していった原因はどこにもない。あるとしたら辞めていった部員たちで、ストーカーの情報を聞くついでに聞いてみたが誰も口を割らなかった。だからこれは僕の勘でしかない。

 僕は彼らにしたのと同じ質問を彼女にした。まあ他の部員にはお前なのかではなく、潰れた理由を教えてくれと聞いたので、微妙にニュアンスは異なるけども。きっと同じ意味だ。

 鹿乃は答えない。苦虫を嚙み潰したように顔を歪めているだけだ。相も変わらず表情は読みにくい。


「それだけは言えないな」

 

 そしてどこか寂しそうに吐き捨てた。すぐに元の表情へ戻る。


「まあそれはさておき、今回の話は、特別な女の子が普通を望む話だったわけだが、どうだい匠君。私達からしたら、それは贅沢な悩みだとは思わないかい?」

「……」

「例えばここに二人の男がいるだろう。二人は友人だ。一人は才能があり、愛嬌があり、幸運もあり、仕事も金も名誉も地位もある男で、もう一人には何もない。全てを持つ男がが何も無い男へある日言うのだ。「お前は楽そうでいいな」と」

「そりゃあ何とも酷い話だな」

「だろう? 才能があればやれることは多いが、やることも多い。その逆も然り。私はね思うに、才能という言葉には義務という意味合いも含まれていると思うのだよ」

「別にあいつらは義務感なんて無いと思うぜ」


 ただ好きなことを好きでやっているだけだ。それを外野がどうこう言うのは筋違いだ。


「それこそ筋違いだぜ匠君よぉ。それじゃ子供の理屈だ。子供だけじゃ社会は回らないぜ。才能のある人間の行う行動の結果にはえてして人の目がある。歴史上にあまねく君臨する天才達にしたってその名を轟かせるだけの観客がいたからこそ、天才になれたのだろうしね。だって彼らは生前は狂人と言われていたらしいじゃないか。狂人がどうして天才になれる。結果が人目についたからだ。死後評価されるのもそうさ。自分が死んでも才能は結果として残る。まあこれは少し違う話か。だからね、何が言いたいかと言うと人目とは義務なのだよ。こうしてほしい、ああしてほしい。期待ともいうかね。そしてそれに答えるのが天才だ。結果的にしろ、過程にしろ。どこかで天才たるものを見せつけるのが彼ら彼女らの義務なんだよ」


 有栖川かのんは期待されるアイドル像を貫くのに疲れてしまった。じゃあ彼女がアイドルとしての才能が無ければストーカの仕立て上げも行わなかったのだろうか。

 西園さんにしてもそうだ。期待に応え続け、やがて疎まれるようになった彼女も。弓の才が無ければあんなことも無かったのだろうか。


「人目を気にしない人間などいない。いるとしたらそいつは不感症なだけさ。不干渉でもあるだろうさ。自分の世界だけで完結する人間に先は無い。私達も同じじゃないか匠君」

「僕とお前が同じだとかふざけてんのか。少なくとも僕と違ってお前は天才だろ。お前には先はあるんじゃないのか」


 勉強も運動も何をしても全て完璧にこなす天才四十万鹿乃。何をしても中途半端な50点の僕とは違う。


「いいや同じさ。私はね匠君。天才過ぎたんだよ」

「……自慢か?」

「自嘲してるんだよ。私は天才過ぎるが故に将来性が無い。もう頂上に至ってしまっているからね。先が無いという意味では君と同じだろ?」


 違う、とは言えなかった。こいつに話した主人公の条件。将来性。

 確かにそんなものは僕には無い。だから僕は脇役なのだ。


「君が『脇役』を自称するように、私は『ラスボス』を目指している。頂上にいる私にはどうしてもその役しか出来ない気がするからね」

「だとしてもお前と一緒は嫌だよ。僕はお前が嫌いだ」


 鹿乃は一瞬、酷く悲しそうな顔を見せたが、すぐに僕を嘲笑するかのように笑った。


「ふふ、そうかい。だったら君は本当に『主人公』向きだよ」

 

 僕は知らなかった。僕は気付けなかった。これがこの会話が始まりなことに。


二章「かのんシャドウ」(完)

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