六畳一間のボロアパートで、勘違いからようやくはじまる物語。

コカ

六畳一間のボロアパートで、勘違いからようやくはじまる物語。




 「――そうか、キミに預けてたんだっけ」


 あの空がオレンジ色に染まるのも、そろそろだろう。

 大学入学からだから、もう三年か。そんな住み慣れた築数十年に及ぶ古い木造アパートの玄関先、僕は手狭なスペースで靴を雑把に脱ぎ散らかしながら、コタツでくつろぐ彼女へと困ったような笑顔を見せた。


 「遅い! 」


 「ごめんごめん。いろいろと野暮用が」


 苦し紛れの言い訳。まぁ、実際、本当に唐突な野暮用に翻弄されたわけだけど、しかしそれはどうやら僕の勘違いが原因だったようだ。


 「さて、……今の今まで、いったい何処をほっつき歩いていたかを説明してもらおうじゃないの」


 外気の寒さから逃れるようにコタツへと滑り込んだ僕に、彼女はその大きな瞳をキッと三角形に吊り上げ、静かに、そして不気味に、こちらへと不敵な笑みを浮かべてきた。

 とっさに話題を逸らそうとテレビの方に顔を向けたが、リモコンはすでに彼女の手に落ちていたようだ、ブツリと画面は漆黒に染まる。

 ならばとコタツの上でみかんに伸ばした手も、瞬時に動いた彼女の手がお櫃ごと取り上げたため、スカッとむなしく空を切り、対面に座る怒気を含んだ双眸が、静かに、ただただ静かに、光る。

 六畳一間の手狭なボロアパートに、その鋭い眼光から逃れるスペースなどはなく、それに、彼女との付き合いも、中学からだからもう十年近い。

 もちろん、恋人同士だなんて、こんな僕だからさ。そんな一方的な感情が彼女に届くはずもないけれど、奇跡的に大学まで一緒なわけで、もしかすると僕の運気はこの時点で使い切っているかもしれないな。

 そういうわけで、腐れ縁というか何というか。無駄に付き合いだけは長いからね。昔から、どうのこうのと言い繕っても彼女には全てお見通し。それこそ下手なことを言おうものなら、火に油を注ぐ結果にもなりかねないし、……わかったよ。わかった。降参する。


 「ふん! 手間取らせるんじゃないわよ。はじめっから素直になりなさい」


 憤慨した様子で、彼女はみかんをリズムよく口に放り込んでいく。


 「だいたい、お昼をおごってくれるって言いだしたのはアンタの方なんだからね! 『バイト代が出たから、ランチしようよ』 とかなんとか格好つけといて、まさかこうまで見事にすっぽかすとは思いもしなかった! 」


 見ると、周りには空の菓子袋が一つ二つと散乱している。どれだけ長い時間、この部屋で待ちぼうけていたかを如実に物語っているが、同時に、これだけ食べれば胸焼けして、食事云々ではないような気もするのだけど。


 「鍵を渡しながら、 『僕のアパートで待ってて』 なんて言っちゃってさ……あ~ぁ、馬鹿みたい! アンタなんかを信用した自分自身に腹が立つわ」


 どうせくだらない理由でしょうね! アタシとの約束なんてその程度のもんよ。

 むくれ顔でプリプリと腹を立て、彼女はゴロリと寝転がる。いよいよ拗ねてしまったらしい。

 コタツ布団を力任せに手繰り寄せ、彼女はブツブツと愚痴をこぼしながら、机の下では抗議の一種だろう。グリグリと僕の向こう脛にかかとをこすりつけてくる。

 こうなってしまうと、もはや僕の手には負えない。

 本格的にいじけた彼女に、……またやっちゃったな。なんて、ついつい溜息をつきつつも、さてと。どうにかお姫様の機嫌を直す方法を考えよう。

 もとはと言えば、僕が約束をすっぽかしたのが原因だしさ。そりゃぁ、こちらとしてもわざとではないし、きちんとした理由もある。

 だけど、今回ばかりは彼女に非がないのだから当然ここは素直に謝っておくべきだろうね。ついこの間も些細なことで喧嘩したばかりだし、今回の食事もその時の埋め合わせのつもりだったわけだからさ……。

 僕は今回の野暮用の原因ともなった『例のモノ』を取り出しながら、コタツの下で彼女の足を軽く突く。


 「……なによ」


 ブーたれて、面倒くさいといった、気だるそうな返事が一つ。

 僕に対する抗議は継続中で、彼女はまだまだフテ寝を続けたまま上体を起こそうとしない。

 まぁ、別にいいか。今は、話を聞いてくれるだけでいい。

 多少、言い訳がましく聞こえるかもしれないが、僕の言い分を聞いてくれればそれでいい。


 ――僕は、ポケットから取り出した『例の物』を机に置いて、話し始めた。


 馬鹿みたいに間抜けな話をつらつらと、情けない言い逃れをボソボソと。

 また怒らせてしまったあの少女の、小さな小さな背中へと向けて……。




                ◇◆◇◆◇




 「――じゃ、バイト行ってくる」


 「……うん。いってらっしゃい」


 夕暮れ時の玄関先。

 扉の影からほんの少し顔だけを出し、彼女は僕を送り出す。珍しく、随分と控えめに。


 「帰るときは戸締りの方、しっかりね」


 「わ、わかってるわよ」


 そう言った彼女の手には、僕の勘違いが生んだ『例のモノ』

 それは、先程、我がお姫様の機嫌を劇的に回復させ、僕を助けてくれた。

 ヘタクソで言葉の足りない僕だからさ、彼女と二人、ひと騒動あったんだけど、恥ずかしいから詳しくは語らない。だけど、僕らの立ち位置を少しだけ前に進めてくれた、そんな大切なモノ。


 「あ。最後にもうひとつ――」


 と。うっかり肝心なことを忘れていたことに気づき、歩き出す寸前でくるりと彼女の方へと向き直る。

 僕のような失敗を彼女がするとは到底思えないが、世の中には万が一ということもある。それに、これ以上『例のモノ』の数が増えると、管理する側としては手に負えない。

 余計なお世話だろうけど、未だに扉の影でコソコソと、らしくない様子の少女に、僕は一言。


 「失くさないでね? 」


 当然、自分の失敗を棚に上げるつもりは更々ない。だけど、世の中には、失くしたと勘違いして大騒ぎ。挙げ句の果てには大事な用事をすっぽかす、そんな馬鹿なヤツもいるからね。

 それに、


 「大切にしてくれると、嬉しいしさ……」




 ――乱雑に散らかる目の前の駐輪場。


 その中の一台――随分と年季の入った自転車にまたがった僕へと、彼女の元気な声が届く。


 「は、早く帰ってきなさいよ! ――それとね、 」


 ……いつもの見慣れた玄関先。


 「コレってそういう、……そういう意味なのよねっ! 」


 その問いかけに、僕はただ頷いて、照れ笑い。


 ――満面の笑みが、キラキラゆらゆらと夕日の紅に染まっていた。


 彼女の手の中で揺れる、僕の間抜けな勘違いで増えた、小さな小さな銀色の『合鍵』と共に……。



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