空と海

優愛

1-1.welcome


「――あぁ、うん、解ってる、うん」

 歩いたままスマホのディスプレイを耳に押しあてる。ワイヤレスの時代にあるまじき行為であるが、どうにもあれは性に合わない。

「元気にしているなら良いよ。陸も元気か?」

『ええ、全然元気よ。たまにはこっちにも顔を出しなさいよ』

「ああ、解ってるって母さん。それじゃそろそろ家に着くから――」


 ぷつん。


 ディスプレイをタップして通話を終了する。

 ……最後になにか言い掛けてた気がしたけど。まぁいっか、急ぎの用事ならすぐにまた電話掛かってくるだろうし。

 アパートの一階端の部屋の扉。鍵を差し込んで回すと確かな手ごたえを感じる。

「ん」

 感じる、はずだったのだが。予想に反してスカスカの手ごたえにオレは眉を顰める。思い切ってドアノブを回してみると呆気なく扉は開いた。

 今日家を出るときに鍵を閉め忘れたか? いや確認はしたはずだし扉は閉まっていたはずだ。となると予備の鍵を持っているのは実家の母さんと管理人のひとだけ。管理人の人間が今日来るとは聴いていなかったはずだし第一いまは二三時を過ぎている、来るとしても非常識な時間帯だ。

 最後の予想は、泥棒。

 ちらり、と視線を足元に移すと見慣れないスニーカーがひとつ。ご丁寧に靴を脱いで中に入ってくれているワケだ、それはありがたい、掃除しなくて済む。

「先に警察に電話するか」

 そう自分に言い聞かせるように呟くと、ポケットのスマホを出したところで、


 ヴヴヴヴヴヴっ!


 、スマホが急に振動した。

「う、わ」

 思わずスマホを足元に落としてしまった。


 がんっ。


 鈍い音が響いて慌ててオレはスマホを拾い上げようとした。この音で泥棒に気づかれたらなにをされるか解ったものではない! いますぐにでも拾い上げてこの場から立ち去り警察を――

「あ、お帰りー」

 ――。

「……」

 ――。

 ――。

 思考が停止した、三秒ほど。

「スマホ、鳴ってるよ」

「……あ、あぁ」

 リビングへと繋がる扉から顔出している金髪の少女に促されてオレはスマホを今度こそ拾い上げてディスプレイを見る。いままさに連絡しようとしていた人間の名前が表示されている。

「もしもし」

 耳に当てる。

『もしもーし』

「ああ」

『言い忘れていたことがあってね』

「うん」

『カエリが先週から東京なのよ、もしなにかあったら助けてやってね』

「……進学か」

『そうそう。えーと、どこに引っ越したのかしら』

「いま丁度目の前――」

 そこまで口にしたところで「わーっ!」と言いながら少女がこっちに走ってくると口に、しーっ、と指を当てた。

『――? どうしたの?』

「……いや」

 その返答を聴くと、ふぅ、とため息を吐かれる。

「じゃあとりあえず、切るよ」

『うん。体には気をつけてね』

「母さんこそ」


 ぶつっ。


 ひとつ息を吐く。

 スマホを降ろし、靴を脱いで部屋のなかに入る。廊下の途中にある冷蔵庫からペットボトルの水を取り出すと額を冷やす。

 よし、大丈夫だ、冷却完了。

 すぅ、と息を吸いこみ、ペットボトルを敷きっぱなしの布団の上に投げる。

「どういうことだ!?」

「兄貴、おひさー」

「順序を! 追って! 説明! しろ!」


■■■


 松原空、今年で三七歳になる。システムエンジニア、なんて名前は飾りで基本はプログラマー、月収は雀の涙。趣味はゲーム、パソコン、料理。実家は新潟、現在は東京の会社で働きながら埼玉にアパートの一室を借りて生きている。家族は居ない――独身だ。

 両親は健在で、兄弟もいる。弟がひとりと――いま手前にいる妹がひとり。弟は今年で三〇になるが、妹はキャピキャピの遊びたい盛りのJKデビューイヤー。

 ――妹が出来る。

 なんて話を聴いたのはもうそんなに前になるのか。社会人になってしばらく、ようやく仕事に慣れたころに実家から届いた驚きの電話が、

『母さんが妊娠してな』

 、歳を考えろ親父、とそのときは思った。

 何度か顔を合わせはしたがまだ幼いころだけで、そのあとは少し遠慮もあって実家からは脚も遠のいていた。良い歳したオッサンと話しなんてしたくないだろうし、近づいたらなにを言われるか解ったもんではない、などと思い彼此数年。立派なJCとなったことだけは写真で知らされていたがついにJKか時間が経つのは早いなHAHAHA。

 そうしていままさに我が目の前にいるのが松原海里。

 海里、と書いてカエリと読む。カイリではない。


■■■


「つまり?」

 スーツ姿のまま椅子に座り腕を組みつつカエリの説明をまとめる。

「引っ越してきたは良いが、ひとり暮らしが嬉し過ぎてお金を使い切ってしまい?」

 うん、と頷くカエリ。

「食費すらままならん、と?」

「うん」

「困り果てたお前はオレのアパートに来た、と」

「そう。家から予備の鍵持ってきてたし」

 なんでだ、とは言うまい。実際それを持ってきていなかったらどうにもならなかった。

「家良く知ってたな」

「前にママから聴いてたんだ。困ったら行け、って」

「そうか」

 ため息を吐いてオレはおもむろにスマホを手にとる。

「待って待って! ママには連絡しないで!」

 なんでだ。この状況を報告しないと拙いだろ、そのまま金もないまま日々を過ごす気か。

「報連相は社会人の基本だ、覚えておくことだ」

「ダメだって! 怒られちゃう!」

 カエリの手に邪魔をされてそのままスマホを降ろす。

「せめて親父には連絡しろ」

「パパなんてもっとダメだよ! 絶対お金出すよ!」

 安易に想像がつく。親父、優しすぎるところあるからな。

「そう思うんだったら、もっとしっかり考えてから使うべきだ」

 兄として、社会人として、しっかり言っておかないとな。

 とはいえオレも初めて大学生になってひとり暮らししたときはそうだったっけか。あんまりひとのことを言えた義理ではないが、だからこそそうなったときの怖さってのは良く解っている。なまじひとりだからこそ、な。

 俯くカエリを見て内心でため息を吐く。


 ぐぐぐぐぐぐぐぐ。


「腹減ってるのか?」

「うん……」

「金ないって言ってたな。飯は食ってるのか?」

「実は、一昨日からなにも」

「はぁ!?」

 がしがし、と頭を掻く。そりゃ腹も減るに決まってる!

 仕方ない。

「なんか作るよ。それ食って今日は――もう終電だから帰れないか」

 なんだかんだ話している間に時刻は零時を過ぎた。最寄駅の終電は東京方面が最終零時二〇分だったはずだ、もういまから行っても間に合わない。

「……オッサンの部屋で良ければ泊まってけ。布団、使って良いから――あ、臭い気になるか、確か棚に使ってないブランケットがあったはずだ。あとで出すよ」

「ううん、大丈夫、……ありがと」

 おう。

 そういうところは素直に言えるんだな。JKだし、もしかしたらなんか色々と言われるかと思ったが安心した。

「けど部屋は片づけたほうが良いと思う」

「すまん」

 男ひとりの部屋はこうなりがちだ。



 適当にスープでも作ろうと思う。夜だし、カロリーも糖質も気になる。それは女子であるカエリのほうが気にしてそうだしな。

 冷蔵庫のなかをパカリと開けるとお望みのものはまだ入っていた。

 ささみと、長ネギと、しめじ、あとは卵があれば良いだろう。

 まずは鍋に水を張って、火にかける。


 ちちちちち。


「ねぇこれなんのプラモデル?」

 リビングのほうでなにやら部屋のものを物色している様子。

「グンダムだ」

「あー、なんか見たことあるかも」

 どっちだ。

「陸の兄貴のほうはこういうの持ってなかったかも」

「あぁ、アイツはあんまりグンダム興味ないしな」

「フィギュアはいっぱいあった」

「そうか」

 あいつは相変わらずのようだ、少し安心する。


 ぐぐぐぐぐ。


 沸騰前に、中華スープの素を入れて。醤油と塩を少々入れて味を整えたら食材全部を突っ込む。卵以外はな。

 卵は割って、溶いておく。仕上げに入れるから食材に火が通るまではしばらく待つ。

「あ、漫画いっぱいある!」

「面白いのがあるかは解らんけどな」

 女の子の読むものは解らんからな。

「陸兄貴の漫画読んでだし」

 男まみれ兄弟だしな、必然的にそうなるのかもしれない。オレはあんまり関わってないから知らんけど。

「なんか料理とか旅とかの題材のやつ多い」

 歳なもんでな、ハードなのはもう胃もたれする。

「あ、これ小説だ。漫画だと思ったのに」

「読むのは良いが、元の場所に戻せよ」

「解ってるって」

 そんなこんだで話をしている内に火が通ったようだ。

 最後に溶き卵を入れて、簡単中華スープの完成だ。ひとによってはスープのほうから作る人間もいるらしいが、今日は時間もないし、ぱぱっと済ませたい。

 適当にみそ汁用のお椀に入れたら、割り箸を持って部屋の中央に置かれたテーブルに並べる。

「スープで悪いな。夜も遅いし」

「ううん、ありがと」

 いただきます。


 ずずっ。


 ふぅ、落ちつくな。やっぱり夜は暖かいものを飲むに限るな……

 ささみでジューシーさもあるし、味が出ている。

 ちらり、と視線をカエリのほうへと向ける。

「うん、美味しい」

 その言葉にほっとする。マズイ、なんて言われたらどうしようかと思ったがどうやらお気に召してくれたらしい。

「夜にはこれぐらいが丁度いいかも。お肉もあるけど、これささみでしょ?」

「ああ」

「低糖質、低カロリーだし。うん、ノ―カウントよね」

 ノ―カウント、とまでは行かないがガッツリ食べるよりはマシだろう。

「肉団子を作ってもっと食べごたえを出すのも良いぞ。今日はつけなかったが生姜なんかを入れるとさらにサッパリする」

 生姜は万能だな。冷蔵庫のなかにはなかったが。

「へー、それも気になるかも。お鍋の肉団子とか、ショウガ焼きとか好きだし。今度食べさせてよ」

「……まぁ今度な」

 ……。

 そういえば、

「こうしてふたりで居るの、初めてか」

 、全然、実家に帰ってなかったしな。こうして真面目にカエリと話したり対面したりするのは初めてかもしれない。

「写真では見てたけどね」

「オレもだ」

 年々現代っ子に近づいてくる感じがしてひやひやしてたが。

 妹、ってこと、異性ってことで少し遠慮していたが少しぐらいは兄貴らしいことをしてやるべきだったのかもしれないな。


 食事を終えて時刻は一時を差そうとしているのでとっとと寝ることにする。シャワーは、仕方ない、朝にしよう。

 布団はそのままカエリに使ってもらうとしてオレは部屋の端に座布団をふたつ敷いてそこで横になることにした。毛布を持ってきて、それを上に掛ければ問題ない。

「じゃあオレは寝る。好きなタイミングで電気消してくれ」

 電気のスイッチは入り口側にあるからな。

「はーい」

 気の抜けた返事を耳に、オレは目を閉じる。なんか疲れた。


 すぅ。すぅ。すぅ。


 そんな風な寝息が、一時間ぐらいすると聴こえて来た。

「……」

 ごろん、と寝がえりをうつ。

「……」

 もう一度体勢を変える。

「……」

 落ちつかない。

 妹とはいえ、若い異性が自分の部屋にいると云うのは落ちつかないものか。

「なんか良い匂いするし」

 額に指を当てて、とりあえず、目をつぶろう。寝れなくても多少はマシだろう。


「なんか酷い顔してる」

「……あぁ」

 今日はもう会社休もう、無理だ。

 スーツ姿のまま電車に乗ろうとする彼女を見送る。

「お金、ありがと。大事に使うね」

「無駄遣い、すんなよ」

「解ってるってー」

 心配だ。しかしそれ以上なにかを言う気力はオレにはなかった。

『まもなく、一番線から――』

 アナウンスを耳にして一歩後ろに下がる。載らないからな、乗る人間の邪魔にならないようにズレた。それとは反対に乗る側であるカエリは一歩前に出た。

 片手をあげて頷く。

「ねぇ、また来ても良い?」

 去り際にそう言われてオレは腕を組んで眉間にしわを寄せた。しかし解答は決まっている。

「あぁ」

 とはいえ彼女も華のJKだ。いくら兄とはいえ、男の、しかもアラフォーのオヤジのところに好んできやしないだろう。

 電車が走り出す。最後までその光景を見ることはなくオレは自宅に向かって歩き始めた。

 ――くぁ。

 やべ、急に眠い。家に帰って寝よう。



 ――……ん。


「――、」


 ――ぉ、……ん。


「ん」

 片手でスマホを探す。ペットボトルに埋もれてるのか、見つからない。


 ――ぴ……ん。


「ん」

 なんか音がする。きっとインターフォンの音だ。


 ――ぴんぽーーーーん。


 気の抜けた音だ。知らないひとのインターフォンは出ないことにしている。何回かならせば大体はどっかに行く。それよりもスマホ、どこだ。

 頭を掻きながら仕方なく上半身を起こしてペットボトルの隙間から洩れる光を見つけて手を伸ばす。


 ぴんぽーーーーん。


 しつこいな。

 なんだ急用か? それとも中島でも来たのか? あぁダメだ、とりあえずスマホのアプリを開いてからにするか?

 や、直接確認したほうが早い。

 ドアの様子を確認できるディスプレイを確認してさて寝よう、と思ったところで。

「ん!?」

 や、違う。

 や、待て。

 や、なんだ、オレは何日寝た?

 慌ててスマホのディスプレイを確認すると時刻は一九時になろうかと云う時間帯。どうやら日付は跨いでいないらしいが朝帰ってきてから九時間近く眠っていたらしい。

 だとしたらこのディスプレイに映っている人間はおかしい。


 ぴんぽーーーーん。


「だぁ! もう! いい加減に押すのを辞めろ!」

 急いで廊下を歩いて玄関まで来ると鍵を開けて、扉を奥へと押した。

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空と海 優愛 @yua_gamein

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