郷愁

多賀 夢(元・みきてぃ)

郷愁

 日を追うにつれ、幼い頃を追いたくなる。

 私が一人でなかった時代に、執着する。

 誰も信じられなくなった今に、私を唯一繋ぎ止めるために。


 涼しくなった風、咲き誇る曼珠沙華。

 今年も私は、一人山道を登る。

 年々朽ちていく丸太の土止め。崩れていく土と石の階段。

 この集落も、人が消えて久しくなった。

 気軽に通えるよう道が整えられたけど、それは逆に街への人口流出を招いた。年寄りは死に絶え、または施設に移り、見事だった棚田は雑草に埋もれている。主を失った土地は、あっという間に自然に戻っていく。



 子供時代、ここに来ればじじとばばがいた。一緒に山菜を摘みに行けば、従兄弟が来てゴム銃で追いかけられて、ばばが怒って、じじに諭されて、仲直りした。

 荷物用のロープウェイに載って仕出し料理が谷を渡り、それを合図に村中の人が集まってくる。

 農家の土の匂い、木こりの杉粉の匂い。優しい香りに包まれながら、酒に酔った大人の無邪気な笑顔を眺めていた。


 この山は、どこよりも豊かだったのだ。

 都会に染まった今になって、その事実を噛み締める。

 コンクリートの世界は埃だらけで、漂う香水に温もりはない。


 鬱蒼とした杉や蔦を分け入ると、突然目の前が開ける。山全体が見下ろせる高台に、ずらりと墓標が並ぶ。

「ただいま」

 花を生ける人がいない代わりに、ここにも鮮やかな曼珠沙華。

 昔は生えていなかったのに、誰かが移植したのだろうか。


 この土地は田舎過ぎるため、土葬が許されている。

 火葬場への道が出来ても、街の病室で息を引き取ろうとも、ここの人は死して尚山に戻り、土葬される事を選んだ。だからこの墓地には、じじもばばも、早逝した従兄弟も眠っている。


「今年も私だけかしらね、墓参り」

 語りかけると、じじとばばのしゃがれた笑い声が聞こえる。従兄弟の拗ねたような横顔が見える。酒とごちそうに集まる、集落の陽気な大人達を感じる。


 振り返る杉山は、あちこち倒木が生々しい。杉は根を深く張らない。間伐を怠れば根が絡み、地滑りを起こし山肌が崩れる。


 木こりはいなくなった。だからこの墓地も、近いうちに埋まるだろう。だけど、私の力ではどうにもならない。こうやって、無力さを詫びながら見守るだけ。

「宴会しましょうか。いつもの仕出し屋さんね、今年もまだ頑張ってたよ」

 小さな弁当と日本酒をリュックから出して、墓標の前に置いた。


 ――おやまあ、ご馳走でないかい。


 蘇る、土と木の匂い。

 私は微笑んでみせた。ぽろりと一筋、涙が零れた。


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郷愁 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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