恋のカマキリ

るつぺる

サヨちゃん

「うえーーーーッんん! うーたんどうしよーーーーッ!」

 僕が会社から帰宅する途中でサヨちゃんから電話が鳴った。出てみればこのとおり。サヨちゃんは兎角世話の焼ける子で、付き合いも随分になる僕でさえ頭を抱える始末だ。自宅マンションのドアを開けた瞬間、僕はため息をついた。

「サヨちゃーーん!! 何!? もうナニナニこれどゆことーーーーッ!!」

「うーーたんッッ!! どしよどしよあのね私包丁で間違って切っちゃったの! そしたらね血がどばーーーーッて出たの! ダメダメって絆創膏貼ったんだけど止まんなくて嗚呼ああん床汚しちゃったよう!」

 これが指先の話なら、僕はどれほど落ち着いていれただろう。なんなら「馬鹿だなあサヨちゃんは♪」なんて子をあやすように微笑ましく見守れたろうな。存じ上げないどこかの誰かさんが、我が家で死体になっていた。


しょうらいのゆめ

ぼくは、おとうさんみたいなりっぱなおいしゃさんになりたいです。


 幼稚園児だった頃の夢。僕、渓崎宇一郎は父がそうであったからというだけで医者を目指していた。二浪の末、なんとか医大に合格した僕に、おめでとうと労う母の向こう側で仏壇に置かれた父の遺影は静かに笑っていた。よくそんな写真が残っていたなというくらい厳しい人だった。日頃から、渓崎の家にいたいなら医者になれと口酸っぱく言い続けていた父の期待にようやく応えられた時、父はもうこの世にいなかった。結局僕は医者にはなれなかった。それなりに名の知れた医療機器メーカーの営業として走り回っているが医者ではない。父が亡くなって、それまで自分が追いかけていたものがその辺に転がる石よりも無価値でくだらないものだと気付いてしまったのに、習慣とはおそろしいもので、僕は縋るように医療に携わっていた。無知で無垢で無色だった頃、つまり「しょうらいのゆめ」をなんの躊躇いも無しにそう書けた頃、僕はサヨちゃんと出会った。

 入園して間もない頃、サヨちゃんは一人で園の裏手にいた。両手で何かを持って、それを地面に向けてぶつけていた。僕は恐る恐る近づいてみる。彼女が持っていたのは子供にしては大きめの石で、それが振りかざされる先には潰れたカマキリがあった。不思議なもので"死"というものに理解が追いつかないとき、人は好奇心の方が勝る。僕はサヨちゃんがやっていることに興味津々だった。

「ああたダアレ?」

 言葉がまだおぼつかない彼女は今思い出してみても可愛いかった。カマキリに対する酷い仕打ちがわからないのに、この子が好きだということは一発でわかったのだ。

「わたしね、うーたんをわたしのおよめさんにしてあげる!」

 サヨちゃんはもう覚えてないかもしれないけれど、サヨちゃんが言ってくれたこの言葉が、僕の呪いをどれほど癒してくれたことか。父の重圧、メッキの剥げた夢、ロボットだった僕。そんな日々を彼女に救ってもらったのだ。


「とは言え! とは言えですよ! こーれはマズイ! 実にヤバいです! サヨちゃん! なんでこんなことしたの!?」

「だってジュンくん意地悪ばっか言うから」

「ジュンくんて誰ッッ!? あーコイツかーーーーッ! あーもう! サヨちゃん前もおんなじこと言ってやっちゃったよね? なんでかなー」

「もう! うーたんまでイジメる! 私またまちがっちゃうよお!」

「怖いこと言わないでよサヨちゃん。……仕方ない。準備しようか」

 死体を隠すというのは非常に労力のいることである。精神的にもだいぶしんどい。サヨちゃんはそのあたりをちっとも理解してくれず、こうやって先走ることもいよいよ三回目だ。幼稚園の裏手側が2DKのマンションに移っただけのこと。快楽殺人者であるサヨちゃんにとってはそんな些細なことなのだ。巻き込まれる方はたまったものではない。ジュンくん、君に恨みはないが君の尊い命よりも、今の僕にとってはサヨちゃんとの生活のほうが大切なんだ。終わったことだと諦めて成仏してくれ。僕は死体に向かって手を合わせた。そして鋸刃を入れていく。目元に飛沫がかかると面倒なのでゴーグルも買ってきた。三回目ともなると人は学習し、こうしたライフハックが生まれる。二回目の、あれは確かササキさんだったかスズキさんだったかの時は硫酸を使ってみたのだが、あまり上手く溶けてはくれず、風呂場の浴槽が幾分か爛れただけに終わった。これは引っ越す時に請求されそうだななんて思うくらいには僕のたがもはずれていた。そんなこんなでジュンくんには出来るだけ細かくなってもらって、後は袋に小分けして夜な夜なひと気のない山で焼くことにした。生ゴミに混ぜて捨ててもいいのだが、まあ念には念をというやつだ。隣でサヨちゃんが嬉しそうに、呑気な鼻歌混じりで解体を手伝う。サヨちゃんの分も買ってきたゴーグルはどうやらお気に召さなかったようだ。現行の法律では人間の魂は何ものにも変えがたく、それはカマキリの死を何億積み上げてもトレード出来ない。だからこそ彼女はやる。エスカレートする刺激への希求。その行き着く先はどこにあるのか。血塗れの顔を寄せ合って、嬉しいわけでも悲しいわけでもない、そんな曖昧な目をした二人が重ね合わせる唇だけは狭苦しい現実でただ一つの優しさだった。


 袋詰めにしたジュンくんを運ぶ前に部屋を掃除しなくちゃならない。とりあえず彼には冷蔵庫に居てもらって、二人で床を一時間強拭き続けた。見てくれはどうにか整い、僕らは別々かわりばんこにシャワーを浴びた。眠いよなんて勝手を言うサヨちゃんを説得して、ジュンくんを立駐に停めた僕の車まで運び込む。しでかしたあとの倦怠期、或いはこれも賢者タイムなんて呼ぶのかもしれないサヨちゃんのやる気のなさに僕は内心苛つく。誰のためにこんなことになっているのかなんて彼女は全然気にしていない。昔からそうだ。本当に勝手な女の子。


「サヨちゃん、それ以上いったら迷子になっちゃうよ」

「だいじょうぶだいじょうぶ」

 あれが夢だったのか現実だったのか今でもはっきりしない。小学生になって二年の頃、遠足で訪れた市内のアスレチック公園。地方都市が持て余すだだっ広い土地を埋める口実のその施設は某ナントカランドの三分の一程の敷地面積を誇り、田舎のアミューズメントとしては狂った規模だった。そんなラビリンスに子供が二人で行動すれば僕らはもうヘンゼルとグレーテルだった。サヨちゃんの威勢の良さはものの五分と保たず、僕は泣きじゃくるサヨちゃんをなだめながら帰り道を探す羽目になった。広大な敷地に反して利用者の少ない公園には数多くのデッドスポットが存在し、ちょっと見渡しても人間になんて出会わない。僕らは当て所なく敷地内を彷徨った。体力が底をつきかけて、もうダメかと諦め気味の僕の前に現れたのは父だった。何故ここに父がいるのか、冷静に考えられなかった。サヨちゃんは疲れて寝ている。僕はとりあえずまだ助かってないと感じた。父に向かって声を掛けてみても、それは反応せず、ただゆらゆらと漂うように無言でこちらを見つめているだけだった。そんなことだから僕に妙な思いつきが生まれた。僕は咄嗟に掴んだ石を父らしき何かに投げつけて、思いつく限りの罵倒詞を並べた。僕はとっくに気付いていたんだ。何度も何度も死ね死ね死ねと吐き捨てた。それでサヨちゃんは起きてしまった。彼女は僕の肩を抱いて言った。「いいよ。かなえたげる」それからのことは思い出せない。

 無論、父の死にサヨちゃんは関わっていない。はずである。僕らは中学に上がる前に離れ離れになったので。だから浪人期間中も大学生になってからも僕の中でサヨちゃんなんて人はすっかりいなくなっていた。再会したのは僕が今の会社に入ってから。年下の先輩に誘われて参加したコンパにサヨちゃんも来ていた。はじめは全然思い出せなくて、会がおひらきになる頃に背後から「うーたん」と呼ぶ声がして全部が息を吹き返した。肩にまわった小さな腕が冷めきった魂に血を通わせたあの日のように。振り返るのがちょっと怖くて躊躇った。ついさっきまで「小石川さん」と呼んでいた彼女のことを思い出せなかった罪の意識。

「うーたん? だよね?」

 サヨちゃんは恥ずかしそうに笑っていた。


 車は県境付近の高速降り口を抜けて山を目指す。バーベキュー用に買ってあった炭と着火剤。それから焼肉のタレと一斗缶。山に入ってからは車で登れるとこまで上がり、その先へと暫く進んだ。それ以上行ったら……八歳の僕が何かを囁いたけれど後半は風にかき消された。

「いいにおいするね♪」

 細切れのジュンくんを燃え盛る一斗缶の中へと放り込み、焼肉のタレを少しずつ注ぐ。かの香りは夏の風物詩。サヨちゃんは少し元気を取り戻していた。肉は燃え尽きるけれど骨はそうもいかない。炭化するまでには時間がかかりすぎる。火を消したら埋める場所を探さないと。ともあれそんなこんなでジュンくんとのお別れは無事に成し遂げられ、僕らはまた自宅へととんぼ返り。駐車場についてからは眠ってしまったサヨちゃんを背負って歩いた。何も感じないわけではない。僕は立派な犯罪者で、学生時代に得た医療の知識をとんでもない方向に役立てていた。それはどこかでもう反撃を許さない父に対する復讐であると意味を持たせながら残るしこりは虚しさだった。エレベーターの中に入ると、体から凄まじい焼肉の匂いがして僕は静かに笑った。サヨちゃんをベッドに寝かしつけ、時計を見れば出社まで殆ど眠れそうになく、僕はもう一度風呂に入って、部屋の拭き残しを確認した後、部屋を出た。その日の業務はボロボロだった。


 サヨちゃんが初めてやっちゃったのは約一年前。再会してから半年後のことだった。相手のことはよくわからない。ジュンくんやスズキだかササキだかと同様、いつも接点が見当たらない相手だ。一年で三人。これがどの程度かは分かりかねるけれど、一人目から二人目よりも二人目から三人目までのスパンは縮んでいて、放っておくとまた近いうちにしでかしかねない。そこで僕はサヨちゃんに約束を申し出た。もし次やるなら僕もいる時にしてほしいと。サヨちゃんが雰囲気で人を手にかけるのだとしたら、同席していれば止めれるかもしれないと思ったからだ。事が起きなければ僕としてもそれに越したことはない。サヨちゃんは「いいよ」とあっさり了解した。

 雌のカマキリが雄のカマキリを交尾中に食べてしまうという話がある。これにはやや誇張された部分があって、こう言った事例がないわけではないが、例えば雌のお腹がすこぶる空いていただとか、雄がなんかしらのしでかしで雌の怒りを買ってしまっただとか、そういう条件付きの事態であり、すべてのカマキリが持つ習性というわけでもない。ただこういった暴力性に富む話というのは案外、人の興味を惹くもので、カマキリの雌にはさも悪女の象徴かのように捉えられてきた不憫さがある。サヨちゃんの衝動的とも言える殺意にもまた心理学的な観点から踏み込めば理由が浮き彫りになるのかもしれない。生憎僕にはそのような知識はなく、サヨちゃんのことを本当の意味では理解してやれない自分がいた。


 その日、僕は熱を出して会社を休んだ。サヨちゃんはすぐ帰るからねと言って仕事に出てしまい、部屋の中、咳をしてもひとり。

 ピンポーーン。インターホンがなって重い体を起こしモニターを覗くと、見知らぬ中年の男が立っていた。

「どちらさまですか?」

「あーすみません突然。私、県警のネゴロと言います。渓崎さんに少しお伺いしたいことがありまして」

 熱が上がった。

「今、あけます」


 ネゴロは嘉納純、つまりジュンくんについてこのマンションの住人に聞いてまわっていると言った。ジュンくんの足取りが目撃情報としてこの付近で途絶えているのだとも。

「すみません。体調よろしくない時に」

 僕はおでこの冷えピタを外した。

「すみませんが、この写真の男性についても存じ上げませんしお役にはたてませんね」

「そうですか。ご家族の話ではどうも交際していた女性がいるらしいのですがそっちも全然掴めませんでしてね。ただおそらくその相手と嘉納純がこのマンション近くで歩いているのを見かけたという情報がありまして……ま、また何かお気づきのことがあればこちらまで連絡もらえますか。じゃあ、お大事に」

 サヨちゃんが帰ってから、僕は昼間の出来事について彼女に話した。

「ふーん、なんかめんどくさそうだね」

「とにかく、しばらくはおとなしくしよう。サヨちゃんも出来るだけ人目につかないように」

「じゃあそのおじさんを次にしちゃおっか」

「いい加減にしろ!」

 僕は思わず怒鳴ってしまった。ままならない理想。どこかでずっといた嫉妬。不安。後悔。引き返せないなら逃げるしかない。それなのに彼女はどうしてこうも呑気なのか。

「ごめん。うーたん。これポカリ。ここ置いとくね。ちょっと頭冷やしてくる」

 そう言って部屋を出た彼女を止めるべきだった。熱さえなければ、きっとそれは言い訳だ。僕はサヨちゃんから逃げたくて、離れていく彼女をそのままにしてしまった。


 サヨちゃんは三日間戻らなかった。電話にも出ず、すっかり熱は下がった僕だが不安で仕方なかった。危なかっしくて気が気でない。そんな時、ネゴロにもらった名刺が目に入った。彼女を警察に突き出せば、これ以上にはならない。そんな思いが巡ってスマホを手に取り「根来大」と書かれた名刺の左に書かれた携帯番号を八桁まで打つ。そこで扉が開いた。

「ただいま」

「サヨちゃん! どこに行ってたの! 何度も電話したのに! まさか、やってないよね? 次はいっしょに! 約束だよね!?」

「うーたんは私のこと嫌い?」

「どうしたの。なに急に言って。今はそういう話は」

「答えて。うーたんは私のこと嫌い?」

「莫迦言ってんじゃないですよ。なんで? 僕が? いやいやいやいや、僕は世界で誰よりもサヨちゃんが好きだよ! 何があったの。あの日怒鳴っちゃったから? それなら謝るよ。ゴメンなさい! でもだからって嫌いとかなわけないじゃん。落ち着こう? ね、サヨちゃん?」

「動揺してるのは、うーたんのほうだよ」

 何かがズレていく。それはもうびっくりするほどに大きな音を立てて。僕はサヨちゃんといることで本当の自分であれると確信していた。でも違う。そうじゃない。僕はサヨちゃんを利用したんだ。そもそも生きる世界が違う二人が、恋などというまやかしに絆されて無理に呼吸を合わせようとした時にはもうズレがあって、しかもそれは僕が一方的に踊っていたんだなんて事実が浮かび上がると共に必死になって嫌がってしがみついたのだ。矛盾を受け入れられない醜い化け物が息を荒立てて泣いている。甘えていた。泣いて泣いて顔がその熱で爛れて醜さが増しても……それでもサヨちゃんは手を差し伸べてくれるから。

「僕は、僕は」

「いいよ、うーたん。もうちょっとここにいる。むかしのやくそく、守れないかもだけど」

 むかしのやくそく。そっか。サヨちゃん、おぼえてたんだ。


「うーたん、ほんとにお医者さんになりたいの?」

「ぼくはおいしゃさんにならないとだめなの。お父さんがそうだって」

「それはお父さんが言ってるだけでしょ? うーたんは、うーたんのほんとうはナニ?」

「ぼくのほんとう?」

「そうだよ。うーたんのほんとう」

「わかんない。おいしゃさんがほんとうじゃないの?」

「わたしがきいてるの。でもたぶんうーたんがわかんないのがほんとうだよ。じゃあさこうしよう」

「なに?」

「わたしね、うーたんをわたしのおよめさんにしてあげる!」

「まって。サヨちゃんじゃなくてぼくがおよめさんなの?」

「そうだよ。うーたんがわたしのおよめさん。ダメ?」

「……たぶん、ダメじゃない。ぼく……サヨちゃんのおよめさんになれるかな?」

「なれるなれる! うーたんならなれる!」


 迷子だった僕を導いてくれた天使は、人間としてはダメダメで、どこかの誰かさんにとっては悪魔のような人だけども、彼女はいつだってとびきり僕に甘くて優しくて、だから僕も甘やかしてしまう。きっと僕は君のお嫁さんになんてなれやしないと、僕はこれでも常識を重んじる方で君の感覚にはついていけないと、それをどこかで知りながら、噛み合わない歯車を無理に取り繕って、指先の皮膚が張り裂けてもそれをなんとか動かしてきた。いつだって君に笑顔でいてほしくて、いつだって君に頼ってほしくて、だから僕は狂ったフリをして君を愛した。断っておくけれど僕は君の全部を愛してる。君が殺人者だからなんてそれは変わらない。でもね、サヨちゃん。僕がどんなに言い張っても世間はそいつを祝ってくれないのさ。あまりに窮屈な世の中にあって、君の収まりきらない衝動が少しでも綺麗に振る舞えるように努めてきた僕だ。それが本当は君の求めていないものだと、気づいた時には遅すぎて気付いてしまったから辛い。僕に出来ることには後なにが残されているのだろうかとずっと考えた。君が留守にしている間、僕はずっと考えてたんだ。


 マンションの外ではけたたましいサイレンの音。抱き合う二人は未練がないように。


 僕はね、サヨちゃん。君はひとりの方が上手くやれるんじゃないかって思ったんです。はじめは僕がいないとなあなんて、残念ながらそれは少し思い上がりだったかもしれません。僕の知識が君を手助けしてたんじゃない。君は僕が思っていたより遥かに賢くて、だから僕が知っている"数"よりきっと多いんだよね。君は偶然出会った僕にそうしなかったのは、むかしのやくそくを守ろうとしてくれたんだよね。ちょっと寂しいです。自分がいかに平凡な人間かを思い知らされた気分になる。サヨちゃん、こういう時、なんて言えばいいんだろう。ありがとうだとなんだか負け惜しみみたいでヤダな。


「僕が全部やりました」

「渓崎さん、あんた誰かを庇ってんじゃないの!?」

 手錠を嵌められた僕をマンションの住人達は奇異の目で見つめた。口々に何かを囁いて、響めきはパトカーのサイレンと共にフィナーレを飾るパレードとなる。僕は初めて人生の主人公になれた気がした。代役だけれどね。刑事の追及に何を仰ってるかわかりませんと素っ気なく答えて僕は振り返った。サヨちゃんは笑っていた。ほう、そう来ましたか。いや、でもそうだな。それでいい。破滅する道のあるところでは天使がそうやって微笑むべきだ。それは嘲笑ではない。祝福だ。そうだろサヨちゃん? あの日、君に出会わなければ。カマキリの死を悼んでいれば。父の呪縛を解き伏していれば。その先に踏み込まなければ、僕はただただつまらない男になってしまうところでした。


「やっぱり、うーたんだあ! 久しぶりじゃあん。ってカンドーの再会は済ませちゃったんだったね。うーたん、医療メーカーって夢叶えたんだね」

「いや、医者だったから。まあ厳密には違うというかなんというか」

「あれ? そだっけ? まあいいじゃん細かいことは。今が幸せならさ」

 そう言った君は今、幸せですか? あの時、僕には少し寂しげに見えました。残念ながら僕はもう一緒にいてあげられない。ごめんねサヨちゃん。

「うーーたーーーんッッ!!」

 は?

「行ってらっしゃーーい!! 気をつけて帰ってきてね!!」

 何言ってんの。バカなの。せっかく僕が全部かぶってんのに全部全部全部ぜーーーんぶ台無しじゃねえか。どうして君はいつもそうやって勝手するのかなあ。僕の気持ちも考えてくれよ。クレイジーすぎるんだよ。なんだよ。なんで君は殺人狂なんだよ。誰だよジュンくんって。どういう関係だよ。もう僕をもてあそぶのもいい加減にしてくれないか。クソッタレ、なんだよ。涙が止まんねえよ。

「渓崎さん、彼女は」

「知り……ばせん。じらないじとでず」

「どうせ言い逃れ出来ませんよ渓崎さん!」

「じりばせんッッ! どっかの知らないただの、ただの大バカでず!」

 

 小石川小夜。幼稚園の頃からの幼馴染で最高にクレイジーで莫迦で身勝手で死ぬほど可愛くて実際に死んじゃった人もいて僕の救世主で初恋の天使。僕は彼女をサヨちゃんと呼ぶ。彼女は僕をうーたんと呼ぶ。何を言ってるか分からないと思うような変な話だが、僕はサヨちゃんのお嫁さんなんです。


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