第11話
「どうしましたか」
縁側に腰掛ける慈告に声をかけると、「お話があって」と、彼は悠然と微笑んだ。
私が桜國に来て、慈告と話をしたのは初日だけだ。
慈告はずっと部屋にいたり、かと思えばどこかで倒れていたりと、あまり会話をしなかった。
そんな彼について桜帝は、「床にふせとるときは、そっとしたり。ただ風邪ひくから、寒そうやったらなんかかけたって」羽望に聞けば、「午前はそっとしておいてください! 夜は話をしてください!」と言うし、詩乃は、「あいつが自分から彩都について話さねえ限り聞くなよ」と三者三様の指南をもらっている。
そして今は昼、直近の会話は食事の席で「醤油とってくれませんか?」「承知しました」だけだ。いったいどんな話をすればいいのだろう。
「彩都での話を、お聞きしたいと思って」
そして、今まさに、詩乃の指南が潰えた。自分から慈告が彩都について語った時について問いかけた時、「そんなもんねえから」と、一刀両断されていたけれど、「そんなもん」が今まさに起きている。
私は、自分から彩都の単語を出さなければいいだろうと、頷いて肯定だけを示した。
「では、人に言えない仕事をしていたというのは、本当ですか?」
「はい」
私の返答に、慈告は僅かに安堵してみせる。何がそこまで喜ばしいのだろう。
遠くでは、鹿威しが定期的に水を受け、区切りを打つように音を鳴らしていた。そのため静寂は避けられているといえど、奇妙な時間には違いない。
「きみは人が死ぬ薬を、持っていますか?」
慈告の言葉の真意を探る。けれど彼の表情はだいぶ凪いでいて、よくわからない。水面や鏡面を覗くようだ。私は確かに今彼を探っているのに、探られてもいる。謀ることは、悪手だ。
「個人的には持っていません」
「手に入るんですね?」
「はい」
「私に、いただけますか?」
それまで平坦だった慈告の声に、期待がのった。共鳴するように風が吹き、桜が舞って池の水面を崩している。
「薬は、私のものではなくて、借りてるだけです。そして恐らくですが、個人の自死に提供すると申し入れをしても、許可は下りません」
「服毒用ではないの?」
「国に仇なす者にしか、許されませんので」
彼は「はぁ」と深く溜息を吐いた。はじめこそ慈告という人物は儚げであると印象づいていたけれど、気質は獲得した要素ではなく、今彼はたまたま声を発せるだけで、死に至ってないだけなのかもしれない。
そう錯覚してしまうほど、彼からは生気を感じられなかった。
「彩都の人間からは、嫌われてるはずなんだ。それでは駄目かな? 私は、欠陥ばかりだから」
「大勢に嫌われていることは、世界を乱す要素にはなりえません」
組織は、平和を目指していた。
その為に一番汚れた者たちになれと私たちに命じた。
よって、人を殺す機器や薬品の奪取、破壊は命じるが、それらを取り巻く人間は生かしておくよう定められている。祝言の日、私が忍び込んだ研究施設の人間たちも、倒しはしたが殺してはいなかった。
粛清対象になるのは、別にいる。
「人間は、誰しも間違いながら、傷つけながら生きているそうです。だから、何か間違えたら、そのぶん善行をするか、誰かを助けて生きればいい……と、聞きました」
前に、颪がそう言っていた。任務外に言っていたことだから、守秘義務ではないだろう。「人ってさ、みんな迷惑かけて生きてんの。助け合いなの。だから凪、お金貸してくんない?」と、彼は私に借金の申し入れをしてきた。だからこそ、悪意を持って間違いを犯し、人から搾取して他者から容認されようとする者と、自分たちは戦わなきゃいけないとも言っていた。
「お金貸してくんない?」の後に続いた言葉は、汎も同意したように思う。
慈告は、俯きがちに「君もそう思う?」と問いかけてきた。
「はい、慈告は、死ぬ必要なんてどこにもないと思います。生死は慈告の自由ですが、死ぬべきではないでしょう。」
「本当に? 私のこと、何も知らないのに?」
「大丈夫でしょう」
慈告の名は、組織が公開していた排除対象のリストにない。私は頷いた。慈告は、「そっか」と、縁側で足をぶらつかせたのだった。
◆◆◆
「はぁー綺麗やなぁ! ええ天気! お花ちゃんとのデート日和やわぁ」
大きく伸びをしながら、桜帝が下駄を鳴らしていく。桜帝に連れられ、私と詩乃は桜國の中心街へ出ることとなった。
昨日の夜まで雨が降っていたからか、広く伸びていく石畳には、空を写す水鏡がてんてんとしている。
「ほんまに、君は何着ても似合うしなぁ!」
桜帝が口角を上げ、空から私に視線を向ける。
髪の毛は、桜帝が望むまま梳かしてもらった。そして私は、ワンピースの上から、深海へと潜るような色のボレロを羽織っている。
ほかは真っ白な靴下に、編み上げブーツだ。走りやすいし、殺しやすい。
一方桜帝は着物の上から淡桃の羽織を着て、先程から嬉々として私の手を引いていた。後ろには、不満げな詩乃が腕を組んで気怠げに歩いている。
「どや、お花ちゃん彩都の街並みは! 桜がいっぱいあって綺麗やろ、」
黒鳥居をいくつもくぐって現れた桜國の街並みは、建物や電灯が並ぶ彩都の街並みとは異なり、静かな色味の木造家屋が並んでいた。車通りは少ないまでも、鮮やかなのれんや、旗が揺れて活気を感じさせていた。
中でも奇妙なのは、なんてこと無い木の壁に描かれた花や鶴が、動いて見えることだ。花びらの色すべてが異なる芍薬に、羽から粒子を吹かせる鶴。ふいに視線を逸らせば、細かな紙吹雪が桜とともに散っている。
けれど石畳を撫でているのは桜の花びらだけで、紙吹雪は落ちていない。じっと眺めていると、ふいに石畳が透け、床の向こうに金魚や鯉が泳ぎ始めた。石畳のそこは、なぜか紺青色をして、さらに鏡面となって私を写している。
「ここぜえんぶに、僕が怨魔よけしとるんやで」
桜帝はそう言ってつま先で石畳を叩いた。すると艶やかに色づけされた波紋が、石畳だけではなく木造の家々にも流れていく。
「この幻影、ですか?」
「おん。ただかけただけじゃつまらんからな。どこが守られとるか見えとるほうが安心やろ。それに、大通りの商いは派手なほうがええ。パーンと花火でもやってやりたいけどな、花火は海島の専売特許やから」
「すべて?」
「怨魔くるから札貼っとけやって渡しても、何か物騒で縁起悪いやろ。せやから、少しでも綺麗にしたろ〜って」
綺麗。汎は皆綺麗な存在で、大好きだから女の子が泣かない世界を作りたいと言っていた。他にも、金貨が並ぶ光景も綺麗と言っていた。
私は綺麗だと、何かを見て思ったことはない。
なのに。
なんとなく舞い散る彩りの紙吹雪や、空を飛び交う極彩色の魚たちを見ていると、心臓の奥が震えるような感覚に襲われた。
桜帝の紡ぐ恋のいろは 稲井田そう @inaidasou
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