第10話

「羽望とずいぶん話しとったみたいやなぁ。妬けてまうなぁ」


 桜帝は、だいたいいつも広間にいる。桜帝の部屋もきちんとあるらしいが、彼は睡眠時にしかそこへ立ち寄らないようだった。


 しかし、私の予想に反して、掃除用具を片付けに行こうと部屋の前を通れば、桜帝の部屋の障子は少し開いた。そして彼は座布団を丸め、それを枕にしてくつろいでいる。


 りん、りんと風鈴の音色が響き、午後の日差しが畳を灼くその部屋は、じっとりと陰鬱な空気が広がっていた。


「掃除をしていました」


「そか。ならご褒美あげなあかんな」


 桜帝は、そばにあった半紙をめくった。その瞬間、部屋に甘い香りがたちこめる。半紙の下に隠れていたのは、柔らかで澄んだ色をした鉱石だった。


「これは、なんていう鉱石ですか?」


「鉱石違うねん。琥珀糖て名前やで、綺麗やろ。お花ちゃん食べさせとうて、さっき作ってたん」


「琥珀糖……」


 硝子や鉱石を砕いたような欠片たちは、明るい陽射しを避けるよう、日陰へと身を潜めている。なのに、うっすらとした光によって、きらきらと反射していた。断面のグラデーションは、段階的に色味を深めあいながら、混ざっている。紫と水色、淡い桜色。こんなに宝石に近しい見目をしているのに、食べることもできるなんて信じられない。


「どうやって食べるものなんですか。これは、何から出来て……?」


「お砂糖と寒天やで。溶かした奴に色々、花びらとか入れて煮だして作んねん。それを口の中にいれてシャリシャリシャリ〜って食べるものなんよ。でもまだちゃんと乾いてないから、まだ待っとってな」


 もう、完成して見えるけれど、まだらしい。


 ここ最近、桜帝の食事の準備を盗み見て気付いたけれど、料理というものは、かなり手間がかかっている。誰かの研究を盗むように、奪って終わりじゃない。


 一つ一つ工程を経ているようだった。この琥珀糖も、形を作って終わりではない。きちんと形を作って、保管しなくてはならないのだろう。


「お花ちゃん皆とやっていけそう?」


 起き上がった桜帝は、俯きがちに視線だけをこちらに向ける。信心深いものが彫り上げた像に睨まれるような感覚に、肌がひりついた。


「分かりません」


「そうかぁ。まぁ、全員悪いやつやないけど、なんかあったら言ってなぁ」


 間延びした声に、ほっと安堵する。桜帝は正気と狂気が煙のように揺らめいていて、掴めない。


「どうして、私が好きなんですか」


「かわええから。一目見た時、この子のこと嫁にしたい思うたんよ。一目惚れっちゅうやつ? ほんで、こんな冷たそうに笑う女、どうやったら心から笑うんやろ〜って思うて、欲しいなぁ〜ってな」


「容姿が好ましいというだけで、飛び降りようとしたのですか?」


 問いかけると、桜帝は「もともと長生きする理由もないしな、俺が死んでも、まぁ別の奴らがうまくやるやろうし」とけらけら笑って答える。


「それになぁ、俺は、自分の気分で動く。お花ちゃんは可愛いから嫁に欲しいし、それをこっちがせっせ守ってやっとる御門に取られて悔しいから飛び降りなあかんと思う。でも、お花ちゃんが傷つけられたら腹立つし、幸せにしたいなぁと思う。ぜえんぶ俺の正直な気持ちやで」


 つん、と、桜帝は私の頬をつついた。


「でも、今は君の心にも興味ある。服脱ぎだしたりするんは焦ったけど、そのひやーっとしてる顔、乱してやりたいんよ。難攻不落な城のほうが落としがいあるしな」


「落としがい」


「まぁ、お花ちゃんはなあんもせんで、甘やかされたらええから。さっさと俺の愛に溺れてな」


 桜帝は、口角を上げ、「はよこの琥珀糖渇くとええなぁ!」と、陽気な雰囲気を纏い始める。


 彼のくるくると、万華鏡のように移ろう情緒に、惑う。


 桜帝は、今まで接した人間とは、どれも異なっている。説明書もなく、彼と接することはそれこそ薄氷を歩むようなものではないか。


 私は緊迫した気持ちで、虹色に煌めく琥珀糖を眺めたのだった。


◇◇◇


 戦いのない日々は、「退屈」に該当することなのかもしれない。


 よく尾行のときに、同じ任務にあたっていた颪が「このままだと暇すぎて死ぬ」などと言っていたし、汎に関しては「退屈な任務はなるべくしたくないよね!」なんて我儘を繰り返していた。


 二人の言う退屈な任務というのは、監視など動かないことだ。要するに、誰かを倒したりすることのない、平和なもの。


 となると、羽望や慈告と洗濯や掃除をする日々は、状況的に言えば退屈に該当する。なのに不思議と、満たされる思いがあった。


「よっし! 干し終わりですね! おつかれさまでーす!」


 紐や竿で吊るした洗濯物を前に、羽望が大きく伸びをする。すると、詩乃が「おつかれ」と、呟いた。


 桜國に来て、二週間。今日は詩乃とも、「洗濯物干し」をした。詩乃は私と接するときは、強張っている。かといって敵対するような空気もなければ、殺気も感じなかった。


 ただ、詩乃は私に言いたいことがあるようで、様子を窺われていることがありありとわかる。


「何か御用ですか」


 羽望が去っていく頃合いを見計らって問いかければ、「お前、ずっと彩都にいたのか」と、問いかけてくる。


「所用に応じて海島と星域にも行ったことがあります」


「へぇ。お前、人に言えねえ仕事とかしてねえだろうな」


「していましたが、それ以上は言えません」


 組織の仕事は、守秘義務がある。肯定すると、詩乃はぎょっとした後、「機械と話してるみてえ」と、疲労をにじませた。


「お前、羽望を攫ってこいって言われてねえか?」


「いえ、まったく」


 否定すると、詩乃はすんすん鼻を動かす。


「嘘はついてねえな」


「なぜ今匂いを嗅いだのですか」


「俺は生まれつき鼻がいいんだ。嘘の匂いが分かるんだよ」


 嘘の匂いが、わかる。


 他人の殺意を瞬時に感じ取ることと同じだろうか。「なるほど」と返事をすれば、詩乃は怪訝な顔をした。


「どうだ、俺にはすべてお見通しだぞ」


「そうですか」


 あまりにも長い静寂に、このまま去ることに躊躇いが生じた。


 どうしたものかと思っていれば、上から桜帝が降ってきて、そのまま詩乃めがけて落下した。


「あっぶねええええええええええ」


 詩乃が思い切りのけぞって、寸前で桜帝を躱しながら絶叫する。桜帝は「本当に悪いわ。お花ちゃんの匂い嗅いでると思ったら、悪意が出てしまって」と、涼しい顔で立ち上がった。


「悪いなぁ、嘘発見器かけるみたいな真似してしもうて、酷いことしたなぁ。傷ついたやろ」


「いえ」


 特に思うこともなかった。


 酷いこと、傷つくこと。それはいったいどんな言葉だろう。


「酷いこと、傷つく言葉とはどんなものですか」


「俺はお花ちゃんに嫌いって言われたら、泣いてまうかなぁ。人それぞれやけど……まぁ、臭い〜とか、死ね〜とか、つまらんとかはたぶん、どんな人間も平等に殺せる言葉や思うで」


 桜帝の答えを声に出さず復唱して、記憶に留める。その言葉は、口に出さない。やがて詩乃は立ち上がった。


「お前が降ってくるのは俺を傷つけることじゃねえのかよ。衝突で死ぬところだぞ」


「お前なら絶対避けれるやろ。桜國で一番俊敏やんか。それにお花ちゃんと仲良くせえ」


 二人は睨み合っている。誰か人を呼んだほうがいいのかと悩んでいれば、視界の隅に慈告が映った。彼はすいすいと手招きしている。


「桜帝様、少し席を外してもよろしいでしょうか」


「おん。僕も詩乃と話あるから、ああ、屋敷からは出たらあかんで」


 桜帝は詩乃を引きずり、庭を後にしていく。私は二人に背を向け、慈告のもとへ向かったのだった。

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