第9話

 生きることは、難しい。


 桜帝の家に住まうようになり、およそ一週間が経ち、日増しに思う。


 今まで組織からは常に指令が出ていたけれど、この屋敷に来てからは自分で考えることの連続だった。任務も自分で見つけなくてはならない。


 そうして何か手伝えることがないか、日によって桜帝の気が変わるかと尋ねていれば、庭の掃き掃除が任されるようになった。


 ただ調理の準備には、参加できていない。お椀運びとお箸、箸置きを運ぶことだけ、渋々承諾されたかたちだ。


 私は石畳にはらはらと舞い散る桜の花びらを、竹箒ですくって一か所へと集めていく。


 どうしたものか考えあぐねていれば、後ろの障子がゆっくりと開き、羽望が軽快な足取りでかけてきた。


 この一週間、羽望は木に登ってみたり、屋根の上に登ったり、忙しい。体を動かしている暇なんてないほどに、動かしている。


「羽望、こんにちは」


「こんにちはっ!」


 すぐに挨拶を返された。彼は私の手元の竹箒を見て、「掃除ですかぁ?」と問いかけてくる。


「はい。花びらを集めています」


「待ってください、今、小さいのを取ってきます! しゅばばっ」


 とんとん、と規則正しい速度で羽望は廊下を歩き、すぐに戻ってきた。両手にそれぞれ小さな箒と塵取りを持ち、草履を履いてこちらへやってきた。


「僕が隅の花びらとりましょうっ!」


「ありがとうございます」


 羽望は、石畳の隙間を小さな箒でこそいでいく。動きは派手なのに、恐ろしいほどきちんと花びらをこそげていた。


「姫様は! 何か嫌になってここに来たんですか?」


 そうして彼は、大きく目を見開いて私を見た。


「嫌になる?」


「はい! 羽望も詩乃も、何かあってここに来たんです! だから、親交を深めるために、貴女に何があったのか、聞きたいなって! 何が嫌だったんですか?」


 私の嫌なこと、ここにきた、きっかけ、任務については言えないけれど、とりあえず婚姻のことだろう。


「御門との婚姻が破談になったことです」


「まぁ大変! 御門さんに、ふられたんだ!」


「ふられた……?」


「好きだったのに、ごめんねされちゃったってことですよ! かわいそう!」


 確かに、私はふられた。


 私は御門の跡取りのことが好きではなかった。御門の理由は、最もだ。私が御門を心から愛することが出来たのなら、ふられずに済んだ。


 頭の中に、颪と汎の姿が浮かぶ。彼らは今、どうしているのだろう。


「あれれ? でも静明様には好かれてるので、ふられたのは良かったのかもしれない……?」


 そう言って、羽望は「おめでとうございます!」と私の背中をばんばん叩いた。


「静明様は、ものすごくかっこいいし強いので、いいことですよきっと、それに、彩都は頑張りたい人向きの場所です! 慈告なんて彩都と合わなくてあんなになっちゃいましたし、姫様はのんびりした桜國向きですよ」


 彩都は確かに、忙しい場所と言われる。


 便利さや発展によって豊かになったが、この彩都は心を失せたと悲嘆するものも多い。そして、そんな彩都を平和に導くため、私は組織に入っていた。


「姫様も元気になるといいですね!」


 羽望の言葉に、私は驚いた。それだと、まるで私が病気のようだ。


「私は元気ですよ」


「それで!?」


 羽望は目を丸くした。私は怪我すらないというのに。しかし、「全然元気じゃないですよ、死んじゃってますよ!」と首をぶるぶる振る。


「元気っていうのは、もっと目が輝いている状態です!」


「では、私は今」


「死体です!」


 きっぱり断言されてしまった。これから先、もう少し──そうだ、汎のように振舞うかと考えていれば、彼は「安心してください!」と満面の笑みを浮かべる。


「規則正しく、ご飯を食べて、寝て、嫌なことはさっと忘れればすぐ元気になりますよ」


「そういうものですか?」


「はい! だって慈告がそうでしたから! 彼は彩都でものすごい人嫌いになったんですけど、この桜國に来て、そこまで人を滅ぼす必要もないと考えるまでに変わったのですよ」


 それは、危険思想ではないだろうか。しかし彼は、「幸せー!」と小躍りしている。


「世情が落ち着いたら、みんなで海島か星域に行きましょう! 海島は文字のごとく海が綺麗な楽園の島と聞きますし、星域は星が綺麗な場所らしいですよ! 占いが盛んらしいです!」


「はい」


 勢いに押され、返事をしてしまった。しかし、桜帝は彩都から東に大きく逸れたこの土地で、外から現れる怨魔を討伐する責務がある。そして、そんな桜帝に追随している羽望、慈告、そして詩乃もまた、その役目を追っているのだろう。


「はやく御門さんじゃなくて、静明さんを好きになれるといいですね!」


 羽望はわざわざ集めた桜の花びらを、ぱらぱらと降らせる。奇怪な行動を観察すれば、「ほら、綺麗!」と笑った。


 好き、その感情は学習したはずだった。好意を伝え、頬を染め、甘えて、媚びる。相手を讃える。完璧に出来ていたはずだった。御門家の家の者も、彼の知人も私が御門の跡取りを愛していると騙されていた。


 御門家の、あの跡取りだけが、「違う」と言った。真実を見通した。私が彼を愛していれば、私は彩都にいたのだろう。そして、組織で任務を遂行していた。


 私は迷いを振り切るように、羽望と掃除をしていたのだった。

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