第8話
「さー、お花ちゃんとの朝ごはん! 何や詩乃お前そんな攫われた子供みたいな顔で」
桜帝が嬉々とした顔で笑う。あれから桜帝と共に台所へ向かい、大広間へ朝食を運んだ。気づけば詩乃がやってきて、座卓についていた。
「ただの朝飯で愉快な顔できるかよ」
詩乃は気怠そうに首を動かしながら、片手で瓦を上げ下げしている。絶え間なく訓練をしているようだ。私は彼から視線を移していく。
大広間は、だいたい五十畳くらいだろうか。
鴨居や欄間は桜の文様が彫られ、大きな床の間には刀が飾られていた。紫の柄に、黒の鞘。鞘には所々桜柄。ここでも験担ぎをしているのだろう。
天ノ国が三帝へと送ったのは、刀、槍、弓だ。桜國へは、刀を贈ったと聞く。
でも、じっと刀を見ていた私に、桜帝は「ここで朝ごはん食おうな。ん? あの刀嫌なんか? 確かに飯食うとる時にあんな物騒なもん見たないよな。しまうか」と言って刀を天袋にしまったから、あれは違うのだろう。
それにしても、この屋敷に女中は存在していないのだろうか。この屋敷からは、人の気配がしない。今わかっているのは、桜帝、詩乃、そして──、
「うわあああああ朝だ朝だ朝だぁあああ!! しらすの匂いがするううううう!」
「
「だって最近何一ついいことないじゃない! こんな時こそ! 空元気! なんとかなるなる! 僕はっ! 出来る子っ!」
ぼんっと跳ねるように飛び出してきたのは、紺髪の青年だ。彼は両腕を広げながら部屋へと入ってきて、軽やかな動きで和室の中を駆け回ったかと思えば、私の右斜め前にどすんと座った。そして、私を見て大きく目を見開き、歯を見せて笑う。
「まぁ可愛い女の子! 僕の名前は羽望と申します。あなたは誰ですか!?」
装束をまとった紺髪の青年──羽望はかっと目を見開きこちらを向く。私は頭を下げた。
「おはようございます。私の名前は灯結と申します」
「あ、せやな、羽望と
桜帝は、私の肩を抱く。すると羽望は、からっと笑った。
「姫様ですねぇ! 承知しました! 俺のことは羽望でもはもくんでもはもーんでも好きに読んでください! 好きなものは世界です! あっちにいるのは慈告でっす! 二人ともとっても元気な男の子です!」
羽望に指された銀髪の少年は、「よろしくお願いします」と、穏やかな笑みを浮かべた。私もそれにならって挨拶をする。朝も思ったけれど、儚げな印象だ。腰までの長い髪は、肩のあたりを起点にしてただ束ねられ、揺らめくようになびいている。旧時代の書生のような装いをした彼の雄黄の瞳は、どこか虚ろにも感じた。
「わたしの名前は、慈告と申します。慈し告げると書きますが、本質は逆ですので、お忘れなきよう」
「承知しました」
会話は、これで合っているのだろうか。指南書がないから正しいかわからない。この屋敷にいるのは、桜帝、詩乃、羽望、慈告の四人しかいないのだろうか。
ならば屋敷の管理は四人だけで? ともすれば、掃除によって対価を支払うことが出来るかもしれない。任務遂行中に掃除婦をしたことがあるから、勝手はなんとなく分かる。
「ねえ詩乃さん! しらすだよ! 元気なしらす! きっと昨日まで生きてたんだよ! 窯に入れられるまでは!」
羽望の発言に、詩乃が「食い辛くなること言ってんじゃねえよ」と答える。羽望は十八歳、慈告は十四……十二歳ほどに思える。となると詩乃は十九歳ほどだろうか。
「羽望は、何歳ですか?」
「今年で十八歳です! この世に出て十八歳! ぴっちぴちぃ! 慈告は十二歳です! ヨッ長寿!」
すると桜帝が「こん中じゃ、俺がいっちばん年上やから」と、私の肩を叩く。
「俺が二十三で、そんで詩乃が十九やし。そういや君はいくつや」
「二十です」
二十。そう二十歳のはずだ。任務のたびに設定が変わるし、年齢について考えることもないせいで、忘れそうになる。誕生日もだ。颪や汎が「おめでとう」と言った回数は六回だから、六歳と答えそうになることもある。
「三才違いかぁ。お花ちゃん年上好き?」
桜帝に問われ、私は思考を重ねていく。年を重ねている者のほうが、動きが鈍くて殺しやすいが、鍛錬を重ねているなら逆だ。それ以外に年齢に対して、思うことがない。
「すみません。年齢に、好ましいという感情が、ありません」
答えれば、桜帝は「えぇ」と肩を落とした。
「すみません」
「別にええよ。俺のことずぅっと慰めてくれたら」
「はい」
頷くと、桜帝は「ええ返事やなぁ、いっつも」と私の肩から手を離す。
「さ、飯やで、ほら、みんな揃っていただきますしよ」
私は「いただきます」と、手を合わせる。
組織にいた頃、働きが認められるのは首を取ってくることだけだったけれど、桜帝はなぜか「ええこやな」と、私の頭を撫でた。
「たくさん食べて、元気なってな」
「承知しました」
私は、目の前にある膳へと視線を向ける。
水色の縦縞が描かれた茶碗が置いてあり、朝日に輝く白米がこんもりと盛られていた。隣には木のお椀の中で味噌汁が湯気を立てている。
桜帝は鰹と昆布の合わせ出汁で、葱とわかめ、豆腐を入れたと言っていた。明日は違う具材にするらしい。味噌汁の背後を陣取っているのは、昨日も働いていた七輪で焼いていた鮭だ。
真っ黒な陶器に、鮭と大根おろしが添えられ、隣の皿にはだしと桜えびを混ぜた卵焼きがあった。
さらにその隣にあるのは、羽望が「釜茹でしらすだ!」と言っていたから、窯でゆでられたのだろう。箸の近くには焼き海苔と梅干しがあって、切子細工の置物が箸の食い先を支えていた。
「ほら、食うてみ、鮭とご飯いっしょに」
「はい」
一口ほおばると、頭を撫でられた。温かくて、おいしい。別に任務を達成したわけじゃないのに満たされる心地で、桜帝はそんな私を見てけらけらと笑っていた。やがて羽望が私を指さす。
「その漬物、僕が漬けてるんですよ! おいしいですか? 食べてみてください! おいしいですかっ? ねえねえねえ!」
胡瓜、茄子の小鉢に、箸をつける。咀嚼すると、ぱりぱりと白米や卵焼きとは違った音がした。なんだか、お腹の空く音だ。塩みだけじゃなく、先程の味噌汁や卵焼きにもあったような、独特の香りがある。またご飯を食べてみると、漬物とご飯が合うことが分かった。
「食べる順番、そうやって自然に気ままにすればええねん。まぁ、昼も夜も違うの作ったるし」
桜帝は、まるで昨晩の狂気じみた表情が幻であったかのように笑っている。あたたかな食事を前に、私は一緒に働いていた颪と汎の姿を思い出した。
今頃、二人はどうしているのだろうか。颪は機器開発と運転手を任され、普通の人間とは会わない仕事が多い。汎は情報操作の一環として、歌姫の顔を持っていた。その活躍は彩都だけではなく、ほうぼうを渡ると聞いていたし、星域では舞を、海島では闘技場の中で歌をうたったと聞いている。
二人は、こういうおいしいものを食べているのだろうか。
出来れば食べていてほしい。そう願いながら、私は朝食を済ませたのだった。
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