第7話

「いっつまでも君から彩都の匂いすんの嫌やねん。ぱっと入ってき、ぱっと朝飯にしよ」


 屋敷に戻ると、桜帝はそう言って私を脱衣所につれてきた。


 部屋は畳、廊下は木板が敷き詰められていたけど、ここはどうやら竹の造りらしい。


 廊下と脱衣所をつなぐ扉の、その反対の窓はすり硝子になっていた。彩都のすり硝子は、普通の硝子より強い。だから人の頭を打ち付けた時、より損傷を与えることが出来る。


「お花ちゃん喜ぶかと思って、蓬湯にしたんやで〜。ここに着替え入れて、ここに代えがあんねん。そんでな、うちの風呂は露天風呂やから、雨ん時ちょっと寒いけど、まぁその分湯は熱くしたるから安心しぃ」


「よもぎゆ……」


「なに? 蓬湯知らんの? 彩都の風呂ってどないな感じ? あれやろ? どうせガスとかくっさい奴で炊いたりしとるんやろ?」


「水なので臭くないです」


「は?」


 桜帝は唖然として、「はよこっち来い」と、私の腕を引く。


「きみ、風呂知ってる?」


「人間が入浴をするのですよね。知人が好きです」


「その知人とは入らんのか? 温泉行ったりはないんか」


「はい。知人が私と温泉に行こうと誘ってくれましたが、止められてなくなったので」


 汎が「せっかくだし温泉行こうよ!」と私を誘ったことがあったけれど、組織の上層から止められていた。


 でも、それはいつ頃の話だっただろうか……。


 記憶を辿っていれば、桜帝は大きく溜息を吐いた。


「あんま、こんな時に一緒に入るん本意やないけど、お花ちゃんそのまま風呂行かせたら、水だけ浴びて蓬湯眺めて帰ってきそうやわ」


 ぱっと入ってと言うから、さっと水で済ませようとしたのに。それでは駄目らしい。どうやら私は伝える言葉を間違えたようだ。


 帝への返答は、組織から五百頁を超える書類が送られてきたし、それ以外の潜入調査でも、いつも問いかけに関する答えの資料を貰っていたけど、桜帝との対話はそれがないから難しい。


 彼はさっと裸になり、腰に木綿の布を巻く。何をするのか様子をうかがっていれば、「見なや。俺も見んから」と、命じてきた。そして「服脱いで、これ身体に巻き」と、木綿の布を渡してくる。


「分かりました」


「いやそれサラシちゃうから! 折らずにそのまんま! 巻いて!」


 桜帝は顔を赤らめ私から視線を逸らし、身体に布を巻き付けてくる。


「今度から一人ですんねんで。ちゃんと手順覚えとき。今日は僕ので我慢やけど」


 そうやって通されたのは、石畳の露天風呂だった。石造りの風呂を囲むように竹垣が並んでいて、湯には蓬が浮かんでいる。桜帝の指差す場所には、硝子窓の棚が置かれている。中には瓶が並び、静明、羽望はもう、慈告よしつぐ、詩乃しのと文字が書かれていた。彼は静明の瓶を取り出すと、私に椅子を差し出してくる。


「ここ座り、俺が洗ったるわ」


「座らなくても大丈夫で――」


「座り!」


「はい」


 私が椅子に座ると、桜帝は満足した様子で、横の蓬湯から手桶で湯をくんだ。


「ちゃんと目ぇ閉じて、俯き。湯、かけたるから」


 有無を言わさない圧で、私は黙って俯いた。ざっと蓬の香りのするお湯をかけられたかと思えば、粉のような、かと思えばクリームのような、よく分からない感触のものが頭にすりつけられていく。


 耳の近くでしゃわしゃわと奇妙な音が響いて、どうやら桜帝は私の髪を混ぜ合わせているようだった。


「頭洗うん、どんなんがええ? 椿? それとも百合か? 藤もあるよなぁ梅、菊はどうや? 何がいい? どんな匂いが好き?」


「何が……」


 今まで、すべての物事を決めてもらっていたから、よく分からない。椿、百合、藤たちの香りを嗅いだことはあれど、今まで香りに好きと感じたことはない。どうしたものか考えて、答えを探していると、桜帝が「そんな悩むなら全部買うたるわ」と、私の頭をぽんぽん叩いた。


「その対価は、どのようにお支払いすればよろしいでしょうか」


「またその話か……対価、お花ちゃんから出てくる言葉で、一番嫌やわ。ありがとうでええって言ったやろ。同じこと何回も言わすな」


「ありがとうが、本当に対価になるのですか?」


「ありがとうの力、疑うなや、何千年も歴史続いとるもんやで」


「ありがとう、ございます。ワンピースも」


「おん」


 ありがとう、と言うだけで本当にいいのだろうか? 疑問を覚える間に、ざぁっと頭からお湯をかけられ、髪を指でこねられていく。


 不思議と痛くはない。蓬の香りに、朝の香りが混ざって、ほかに何の香りが混ざっているのか正体がつかめない。さっきも桜帝が近づいてきたことが分からなかったし、香りで正体や位置を誤魔化す対策が取られているのだろうか。


「ほうら、髪の毛すっかり彩都臭さ取れたな。身体はこの石鹸で自分で洗い」


「石鹸……」


「あああああ! 何で直に石鹸擦り付けるん!? ちゃんと泡立てぇ! 手で洗うんや! 肌痛めるやろ!」


 石鹸を肌に擦り付けることは良くないらしい。「堪忍やわ……」と、桜帝はばつが悪そうに石鹸を自分の手に刷り込み、頬を赤くしながら私の手首に触れた。


「こうして、ちゃんと、手で、泡作って、それを身体にやる。分かった?」


「はい」


 人を殺した返り血を浴びた服は、証拠を消すためにすべて燃やす決まりだった。同期曰く、人の肌についた血は落としやすいものの、服についた汚れは中々落ちないらしい。それなら、こうして洗えばわざわざ火を起こさなくても良かったのでは。


 考えながら身体を洗って、桜帝の言う通り身体に湯をかける。すべて洗い終わり、もう終わりかと立ち上がれば、彼は私の手を取った。


「だから、湯入るんや。風呂入るんは、湯船ちゃんと浸かってまでが風呂! ほら、入り、滑って頭うったら死ぬで」


 石畳を歩いて、見様見真似で湯船に入った。白濁した湯面には、蓬が浮いている。この湯の出どころはどこか探せば、枡を切り出したような穴から延々と湯が流れている。


「別に立って入らんでもええんやで」


「え?」


「……ほら、座り」


 腕を引っ張られ、私は桜帝の隣にすとんと腰をおろした。


「ちゃんと風呂はいるときは腰おろして、肩が冷えへんように湯かけたりするんやで。明日からは、一人で出来るようにならなあかん」


「承知致しました」


 いつまでこうしていればいいのだろうか。この場所の把握に努めていれば、湯が流れる音の間に、どくどくと速い心音が紛れていることに気づいた。


 この音は桜帝のものだろう。随分速い動きをするものだ。妖術を用いると聞くし、実際災いに対抗出来る強さを持ち得ているのならば、身体の作りも異なるのだろう。


 彩都を脅かす異形の化け物――場所によりと怨魔、悪魔、魔物、様々な呼び方をされているそれらを倒すことが出来るのは、天ノ国から神器を賜った三帝が司る領域の民たちのみだ。


 天ノ国の者たちも怨魔を滅することが出来るが、彼らは彩都の結界を張ることを優先し、さらには国を揺るがすほどの怨魔にのみ干渉し、ほかは三帝が指揮する者たちにまかせている。


 なにか、彩都の民と異なる血の巡りをしていても、おかしいことではない。


「もうこれで、温まったか? 分からんわぁ、湯当たりしてもあれやから、もう出とくか」


 しばらくしてから、桜帝は私の首筋に手を当てると、素人の医者のような動作で脈を探り、立ち上がった。


 そのまま脱衣所で私の服を丁寧に着せていると、棚から一枚神事に使う札を取り出して、私の背中に貼ってくる。


「風、ぶわぁってなるから、気ぃつけや」


「え」


 四方を壁に囲まれているこの場所で、どんな風に気をつければいいのか。爆風かと思案していると、突然髪だけが暴風に襲われた。


「これは、一体……」


「僕の妖術込めた札や。ちゃんとこれで髪乾かしてから使い。自分の……顔とか、呼吸塞がんとこはっつければ、勝手に一番濡れとるとこで風起きるよう、作ったやつやから」


「これは、桜帝様がお作りになられたのですか?」


「せや。ドライヤーやったか? あんなんで乾かすん、邪魔くさいからな」


「そのままでも、髪は乾きますよ」


 わざわざ乾かさずとも、置いておけば勝手に乾く。しかし桜帝の気に触ったらしく、「ちゃんと乾かし、風邪引くやろが」と、私は頬を引っ張られたのだった。

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