第6話
組織で睡眠の訓練を受けたことがある。眠気をやり過ごし、丸四日、いっさい眠らない状態でそつなく任務をこなすための訓練だ。
自らを意識的に緊張状態へ追い込み、興奮させることで睡魔を削いでいく。しかし興奮状態で任務を成功させることなど不可能だから、今度はその興奮を沈めていくのだ。
心拍が落ち着いてくると、やはり眠気は襲ってくる。そこで必要なのは、痛みだ。
身体に針を付きたて、覚醒させる。やがて針の痛みは慣れるから、今度は別の道具を使う。私は自分の人生から、完璧に眠りを切り離した。
よって瞳を閉じて、桜帝の気配を探ったり、かすかに聞こえる風の音で屋敷の内部を把握しようとしたが、白檀や沈香の混ざりあった独特の匂いに、屋敷を囲む桜の香りが混ざって、情報は聴覚頼みだった。さらに、朝方まで障子の外では桜帝が座って寝ており、調査らしいこともままならなかった。
しかし、桜帝は日の出とともに一瞬だけ姿を消し、私の枕元に反物を置いてまたどこかへと向かった。
黒いワンピースタイプのドレスは、彩都の女性が皆焦がれるという、名の知れたデザイナーのワンピースだった。
私は着替え、屋敷の調査に出ることにした。部屋を出てすぐ、柱を頼りに屋根へ上る。
瓦の片側に重心を預けすぎないよう、自分を屋根の上に転がすように役瓦を伝っていき、あたりを見渡して周囲の状況を整理していく。
およそ、屋敷の広さは六百坪程度といったところだろうか。桜國の守護神は桜白狐とはよく言ったもので、役瓦の左右を守るように置かれた金の狐は、その背中に桜が掘られていた。
私は丁度いいと桜白狐に手をかけ周囲を見下ろすと、桜帝の装束とはまた違った風合いの装いをした二人の人間の姿があった。外側がはねた銀髪の少年と、紺髪の青年が、白砂に水面を描いている。
その逆方向には、正門らしき黒鳥居が連なる手前で、剣技の鍛錬をする男の姿があった。男は真紅の髪を後ろで束ね、一心に刀をふるっている。切りそろえた前髪からのぞく瞳は、まっすぐと目の前の大木に向けられていた。
浴衣の袖は幾何学文様に縁取られ、生地は段階的に色つけがされている。やや乱暴であるが太刀筋は真っ直ぐだ。踏み込みが強すぎるところを見るに、人を殺すというよりかは、倒す動きをしている。
しかし奇妙な違和感を覚え、不思議に思って近づこうとすると、男はなぜか天を仰ぎ、景色を辿るようにしてこちらへ振り返った。その瞬間、男の金の瞳がかっと見開かれる。
「お前! 何者だ! 一体誰だ! どっから入ってきやがった!」
男はすぐさまこちらに竹刀を構えた。覇気は凄まじく、彩都の軍人ですら敵わないような速さでこちらに飛び上がってくる。
私はすぐに後方の瓦屋根に飛び移ると、先程まで私が立っていたところに男は竹刀を振り下ろした。瓦が砕けている。竹刀の素材は特殊なのだろう。瓦を砕いたはずなのに、傷一つ着いていない。
「くそ……仕留め損ねたか!」
男は鋭い突きを繰り出しながらこちらへ飛んできた。
私は屋根から降り、先程少年たちが描いていた枯山水の下に着地しそうになって、身を翻して石灯籠に降り立つ。先程感じた違和感の正体が掴めた。男の剣さばきは、突くことに特化している。この動作は桜國ではなく──、
「血生臭え匂いさせやがって……どこの刺客だ! 誰を狙ってきやがった!」
「今はどこにも所属してません、それに、誰も狙ってません」
「ああ? ……まぁいい、どうせてめえはここで死ぬ!」
また男は剣を構え、突進してくる。私はやむなく、男へと向かって飛び上がり、顎を狙って蹴り上げた。
そのまま押し出すように回し蹴りをすると、男は壁に身体を打ち付ける。彩都の軍人であればこれで眠るはずなのに、男は腹を押さえながらこちらを睨みつけ、膝をつくだけだ。
「ってめぇ、やりやがったなあ!」
「枯山水が、あったので」
「ああ?」
「あと、私は桜帝に連れられここに入ったので、害をなしにきたわけではありません。殺せる機会は、ありました。それでも今、桜帝は死んでいない。それが証明になりませんか?」
「なるわけねえだろ! そんな血塗れで!」
血塗れ……? 腕や手のひらを確認しても、濡れている感じはしない。そもそも昨日のパーティーから、誰も始末していない。確認のうちに接近を許してしまい、私は竹刀の切っ先を眼前でかわしながら、とっさに男の首を狙った。その瞬間、後ろから肩に手を置かれた。
「俺、部屋で寝てて〜ってお願いしたはずなんやけど、君、何しとんの?」
振り返ると、たすき掛けをした桜帝が、私の真後ろに立っていた。気配なんて、一切感じ取ることが出来なかった。愕然としていると、「湯沸かしたから、呼びに行ったろ思ったんやけど、なんで
襲ってきた男は、詩乃というらしい。振り返ると、彼は桜帝を睨んでいた。
「詩乃、丁度ええから紹介したるわ。この子俺のお花ちゃん?。灯結って可愛い名前がついとるけど、呼んだらお前のことばらして井戸に流したるから絶対呼ばんといて。そんでなぁ、この子今日からここ住むから、覚えといてな」
「ああ? でも、こいつ血が……」
詩乃と呼ばれた男は驚愕しながら私を見て、私は「灯結と申します」と頭を下げた。
「さん付けも様付けも気持ち悪いから詩乃だけでいい。さっきは襲い掛かって悪かった」
「こちらこそ、殺しかけて申し訳ございませんでした」
本当に、殺さなくてよかった。桜帝の関係者ならば、国に対する反逆だ。謝罪すると、詩乃は桜帝に目を向けた。
「ああ。それでお前、ちょっとそこに立ってろ」
詩乃は桜帝の襟首を掴み、廊下の先で声を潜め会話を始める。
じっと唇の動きに集中すれば、どんな話をしているのかはっきり分かった。
「おい、桜國、お前ちゃんと説明しろ。なんなんだあの女。焼却炉の着物、もしかしてあの女のか? あいつ、もう二百人は軽く――」
「帝がいらんって言うたから、もろてきたんや、俺はこれからあの子のこと風呂に案内せなあかんから、行くで」
「おい静明――!」
桜帝は、こちらに戻ってきて、私の手を取った。そのまま私の手を引っ張り、屋敷へと戻すよう歩いていったのだった。
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