第5話

「ああ、もう焦れったいわぁ。ほら、一口食うてみ。口あけぇ」


 言われたとおり口を開くと、桜帝はれんげでお茶漬けをすくい、私の口の中に放り込んだ。咀嚼すると、いつも食べている訓練用の毒物と異なり、ピリピリしたものは一切感じない。どこか、お腹の奥が熱くなるような、奇妙な感覚がする。もう一度、口に入れてみたい、ような……。


「美味しい?」


「もう一度、口に入れたいという感覚は、美味しいで合っていますか?」


「せやで! それが上手いって感覚や! よう覚えとき、これからなんべんも味合わさせたるから、ほらもっと食え! ほら!」


 勧められるがまま、私は今度は自分でお茶漬けを口に運んだ。同じものを食べているはずなのに、食感も、鼻先に抜ける香りも、先ほどとは異なっている。


「美味しい……」


「美味いか! もっとうまいもん、これから沢山食わせたるわ!」


「あ……」


「ん?」


「対価は、どうすれば」


 美味しいものを、食べさせてもらった。何か対価を支払わなければ。しかし、それまで笑顔だった桜帝は、口を引き結んでこちらに鋭い眼差しを送った。


「あんな、お花ちゃん、そういうときはありがとうでええんやで。対価なんか、なんもいらん。俺は可愛い君が隣にいてくれるだけで幸せや」


「あ、ありがとう、ございます」


「おん」


 桜帝は私の頭をくしゃりと触れた。頭を、触る。急所に触れられているはずなのに、殺される緊迫感は不思議と抱けない。


「そのうち鴨捕まえて来たるから、一緒に食べような?」


「鴨も、食べられるのですか」


「ちゃんと処理して、鍋にしたり焼き肉にしたり、色々な。牛と同じ」


「牛……」


「これから先、お花ちゃんのことこの桜國から出さへんから、そんくらいはなぁ」


 確かに、私は行く場所がない。御門家に婚約を解消された以上、彩都にいることは不可能だ。


 終わりの楽園、すべてを受け入れ、咎人すら包み込むとされる海島へは、船がいる。細かな戒律が張り巡らされ、風光明媚な後宮が設けられている星域の領域内に入るには、厳重な、それこそ彩都より厳しい審査がある。


「服はあんねん。お花ちゃん用の。お花ちゃんの体つきで目ばかりやけど。でも、何が肌に合うか分からへんから、身体洗うやつはないねん。家突き止めたら攫えたのになぁ、お花ちゃんずっと神出鬼没やったし」


 神出鬼没。確かに私は組織の管理下にいた。居場所を突き止められていたら、組織の存続に関わってしまう。


「今度、買いいこ。一応むりやり攫った形やし、彩都が何するか分からん間は、屋敷の中で過ごしてもらうけど──。なるべくはよ買うたるから。お揃いにしよ。椿油もええな。このつるっとした髪につけたらもっとええ女なるで。化粧だけじゃなく……ダイヤも着物も、お花ちゃんの為に買うて贈れんかったやつで部屋いっぱいなっとるから、落ち着いたら見せて着せたるから」


「いいです。服も、真珠も、私に必要とは思えません」


「いやや、そのお願いは聞かれへんよ。お嫁さんのことちゃーんと守って、養って、甲斐性あることするんが夫の役目やからなぁ。もうお花ちゃんのことどろっどろに甘やかして、我儘言って俺のこと困らすくらいにさせたるから、覚悟しときや」


 桜帝は、桜色の瞳をこちらに向け、口角をあげる。その瞳は確かに人間のもののはずなのに、どこかゆらゆらと、底知れない炎のようなものを感じた。


◆◆◆


「きみ危なっかしいから、一人にしたないけど、あんま知らんやつ隣におったら寝られんやろうし、今日はここで寝てな」


 あれからお茶漬けを食べ終わった私は、桜帝によりまた座敷へと戻された。彼は部屋の奥にある襖を開くと、布団を取り出し敷き始める。慌てて代わろうとするが、「座り」と言われ、腰を下ろした。


「やめえ、お花ちゃんにそんな軍人みたいに跪かれんの嫌やわ。ほら、今日は寝ぇ」


「でも」


「寝ぇ。そんで、僕は君しかいらんから、将来的には貰うけどな、次に対価言うて服脱いだら怖い目あわすからな。お花ちゃんは、僕に幸せにされたらええねん。変なこと考えんのやめえや。分かったか」


「……」


「分かったな?」


「はい」


 幸せに、される? 今まで命じられたことのない言葉に戸惑いを覚えると、桜帝は私の頭に触れた。


「ええこや。僕はちょっと用事できたたけど、怖いことあったらすぐに呼び。ほなまた朝」


 さっと、桜帝はそのまま襖を閉じてしまった。


 気配を探ればどうやら厠との反対方向に向かっているらしい。布団で寝る。もうここ十年はしていないことだ。しかし、夫の命には従わなくてはいけない。今は、桜帝が私を雇う「組織」にあたるのだから。


 それにしても、この先の身の振り方を考えなくては。


 私が桜帝にしてもらっていることは、ありがとうで到底足りると思えない。桜帝には、排除したい人間はいないのだろうか。私が得意なことは、人を倒すことと何かを盗んでくることだ。


 自分で、任務を探さなければ。


 今までは、組織に相手の情報を調べてもらい、最適な返答の書類を読み、命令されるまま動いていた。


 その当たり前が、これからはないのだ。


 武器は持っている。ナイフも毒針も、鉄線も。素手でだって人を殺せる。でも桜帝に、対価が渡せない。そのことに、言いようのない不安を覚える。


 ――ここで寝え。


「そうだ、寝なければ」


 桜帝の言葉を思い出し、私は布団にもぐりこむと、目を閉じた。

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