第4話
この光景は見覚えがある。組織が能力不足と判断したものに下すものだ。
私は、解任された。
あまりの出来事に、愕然とした。目の前の状況が、何一つ理解できない。鶴が先程まで乗っていた手のひらを見つめていると、「なんで障子あけとんの?」と、無邪気な声がふってきた。
廊下の木板を軋ませる音すら、させずに。
「あ……」
「どないしたんお花ちゃん。まさか、逃げようとしたん?」
「いや……」
「本当? でもお花ちゃん、今まさにこの部屋から出ようとしてたところやんかぁ、俺それ見てもうてるんやけど……」
桜帝は私の前にしゃがみこみ、じっと私の顔を覗き込む。そこでようやく、ぎし、と板の軋む音が響いた。
朧月に照らされたその瞳は、篝火に照らされた桜と同じ色をして、それより妖しく揺らいでいる。
「……こ、これから、どうやって生きていこうか悩みまして」
「どーいう意味?」
「仕事を、解任されたので」
任務が、ない。行くところがない。未来もない。
寝る場所も何もかも、全て組織がその時その時で用意していた。
だから私は組織の仕事を請け負っていた。でも、もう私は解任された。
これから先、どうしたらいいのか知らない。組織に用済みと判断された以上、死んだほうが良いのだろうか。
それなら、今すぐこの首を――、
「ほー。まぁ、俺と生きればええよ。君はそれだけでええんやで。夫婦として仲良く生きてこうな。今日から君は、俺に永久就職やから、な。俺らは今日から夫婦や」
ぽん、と、桜帝様は私の肩を叩いた。夫婦、妻と、夫。夫は桜帝様のことだろうか。となると、妻は私。私は、桜帝に就職をした……?
「分かりました」
だとすれば、することはひとつだ。
実際にしたことはないが、任務の途中で見たことはある。
私はすぐさま胸元のリボンをほどき、背中の結び目をほどいた。後少しで上半身が露わになるところで、桜帝が「あほか!」と私の腕を握る。
「お花ちゃん! きみ、な、なにしとんの?」
「対価をお支払いしようと」
「そないなこと求めてないわ! いや求めてるけども……そういうのは! 違うやろ! なに今、淡々と服脱ごうとしてん、はよ服着ぃ!」
「でも」
「でもやない! それにこの傷なんや!」
桜帝が私の腕の付け根に触れた。この傷は腕を切り落とされかけた時のものだ。でも、位置が微妙にずれている気がするから、腕本体にある火傷の跡のことかもしれない。
どれも幼少の訓練の傷で、仕事で出来たものではない。御門家と相まみえるときは化粧で隠していた。上手くやっていたはずなのに、まさか見抜かれるとは。
「訓練の傷です」
「はぁ?」
「それより、身体を求めていないのであれば、私はどのような対価をお支払いすればよろしいでしょうか」
問いかけると、桜帝様はなぜか手のひらを握りしめて、顔を歪めた。そして「そんなことせんでええから」と、首を横に振った。
「もう二度と、そんな対価とか馬鹿なこと言うて服脱ぐな。お花ちゃんは、僕に幸せにされたらええねん。ほら、こっち来い。腹減ったやろ。茶漬けくらいならあるから、腹いっぱいにしてから寝え」
そう言って手を引かれ、通されたのは台所で、すぐに台に置かれた包丁に視線がいった。
よく研がれていて、切れ味はとてもいいように思う。
かまどに、冷蔵庫、流し台、棚には食器が並んでおり、庶民的な雰囲気の台所だった。彩都のものより年代が何段階か古く思う。
桜帝はなにかの作業を始めようとしていて、「お手伝いは……」と問いかけると、「いい、俺が作るん見とって」と、食器棚から丼を取り出し始めた。
観察していると座っているよう命じられ、近くにあった椅子に座り、気配を殺すよう努める。
「俺なぁ、君のことじーっと見ててん。きみ、会場でなあんも食ってへんかったやろ。腹空かせとるから変なことしだすんやで、ちゃんとご飯喰わな」
おひつを手に取った桜帝は振り返った。しゃもじでご飯を丼によそったかと思えば、かつおと昆布を煮出している。今度は七輪で魚の切り身を焼き、刻んで丼にふりかけた。
「お花ちゃん、ほら、お茶漬けやで」
どん、と、テーブルに出された器を、じっくりと眺める。ふっくらとした白米に、きつね色の出汁がかけられ、海苔がかかった焼き魚の切り身が、出汁をまとってつやつやと輝いていた。
「これからお花ちゃんのご飯全部俺が作ったるから、もう二度と彩都の飯なんて喰らわんとってな? まぁもう彩都の土なんて絶対踏まさへんけど。ほら、いただきますしよ」
「いただきます」
目の前に出された丼に手を付けようとすると、桜帝は嬉しそうに笑う。何がそんなにうれしいのだろうか。
「お花ちゃん。今まで御門のあほんだらとどれぐらい飯食った? 彩都で一番上手かったもんってなに? 絶対上書きしたるわ」
「御門家の者は毒殺を防ぐため、他人と食事をすることはありません。なので私も、一緒に食事をしたことはございません」
帝と直系の血がつながっており、さらには長子が次期帝となる御門家の者たちは、自分たちに戒律を設けて血筋を守っている。
他人と食事をしないこと、他人を家にあげないこと、他人へ施しをしないこと。約五十を超える戒律であり、家に関わる他人にも守らせることを強要していたけれど、私は特に苦もなかった。
別に私は御門家に遊びに行くことはしたくないし、食事も、興味がない。手を繋ぐことも、口づけをすることも禁じられていたけど、なんとも思わなかった。
「めちゃくちゃ癪やけどきみは御門家の嫁やったやろ、他人やのうて」
「結納が済むまでは、他人なのでお会いする際は食後か食前でした」
「そっかそっか。じゃあ。これからたらふく上手いもん食わしたるから、楽しみにしとき。俺だけやのうて、俺の飯なしに生きられんようにしたるからな。ほら、そこの、海苔とか胡麻かかってるところとかを食うんやで、あ、胡麻って分かる?」
「以前、女給として一日だけ働いたことがあるので、食材の名前は一通り記憶しています。これが、海苔で、これが、ご飯ですよね?」
「合ってるわ。なんか切なくなる質問やわ。お出汁と一緒に食べるんやで」
粛清対象者の屋敷に潜むため、料理人の補助として一通り食材の名前は覚えている。今目の前にある丼は、ご飯の上に、焼いた鯛の切り身がのっていて、上に胡麻やあられ、のりがかかっていた。
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