不在の証明
蓬葉 yomoginoha
不在の証明
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「わっ!」
夕方、部屋の扉を開けると、制服姿の
気付かなかったが、帰ってきたばかりなのだろう。
「あら。おかえり」
「びっくりした……」
いつも静かな冬雪が珍しく動揺している。
「ごめんね」
「いえ……」
差し出した手をにぎって、立ち上がろうとした義娘はしかし、再び床に落ちてしまった。
「腰抜けた?」
思わず苦笑すると、冬雪は白い頬に桜でんぶのような色を浮かべた。
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「ただちょっと、びっくりしただけです」
冬雪は頬を膨らませて弁明を繰り返している。なんともかわいらしい仕草だ。
テーブルの前に作り置きのホットケーキをおいても、彼女は繰り返す。
「いると思わなかっただけです」
「わかったから。ほら食べな」
「でも梓月さんずっと笑ってるし」
「笑ってないよ」
「笑ってます!!」
「すごくかわいくて」、なんて言おうものなら、冬雪はこの話ばかりするようになりそうだ。
「それはほら、ちょっと思い出しちゃって」
だからあたしは別の話に誘導することにした。
昔の、懐かしい記憶に。
「何をですか。さっきの私のことですか!!」
「違うよ。あたしの、ちっちゃいころの話」
「え、梓月さんの?」
そしてそれを切り分けながら言った。
「聞きたいです」
#
あたしたちは11人兄弟姉妹で暮らしていた。両親が生きていた頃は13人。いくら田舎とはいえ、大家族だった。
というわけで、あたしたちの家の玄関には、多分他の家にはない、あるものがあった。
名前の書かれた木札だ。
ドラマの「
外出する時と帰って来た時には、その札をひっくり返す。
表面には黒で名前が書いてあり、裏面には赤で名前を書いてある。
名前が黒になっている時、その人は在宅しており、赤になっているときは外出しているということになっている。
亡き父が作って以来、一応これで誰がいるかを確認するようになった、のだけれど。
*
その日もいつも通り、学校が終わって家に戻った。
当時のあたしはまだ中学生になったばかりだった。
「ただいまー……って、なんだ誰もいないのか」
名札はみんな赤だった。
もう死んでしまった両親や、東京に行ったユズ姉は例外的に黒になっている。それは、身体はここになくても心は……という、兄姉の
その他のみんなの名前は赤に染まっていた。
「はぁ……」
始まったばかりの部活に疲れ果てたあたしは、荷物もジャージもそのままに、リビングのカーペットに寝転がった。
まさかあんなに疲れるとは。
授業も何言ってるかわからないし部活も疲れるし、うううぬぬ……。
「はじめだけだよ」とモモ兄やリュウ兄は笑ってたけれど、笑えないレベルだ。
「ん-……」
足が、あった。
「え」
「
「っっっっっ!!!!!!」
おおきく
「ちょっと大丈夫?」
「痛っ……」
「なんだよ、そんな幽霊でも見たみたいな」
「い、いたの?
頭を抑えながらあたしは
「いるよそりゃ。僕部活やってないんだから先帰ってるに決まってんじゃん」
「名札裏返ってなかった」
「え? ああ、忘れてた。でも普通に考えて……」
「あーもういいもういい」
いっつもこうだ。蓬汰と話しているといつも喧嘩になる。
確かに、蓬汰の言う通りかもしれないけれど、でも名札を見たらそう思うじゃないか。
「今度からちゃんとひっくり返してよ」
「はいはい」
そう言うと蓬汰は、
自分でひっくり返そうとは思わないわけですか。そうですかそうですか。
文句を言いたいのを必死に抑えて、あたしは玄関に戻った。
父が作った名札には「蓬汰」と立派な文字がきざまれている。
それを表にひっくり返す……。
怒りで、かたかたと、それを持つ指が震える。
「むかつく……。なんであたしが」
やっぱり言ってやろうと思った。
大体、外出するときはちゃんとひっくりかえしているのに、どうして帰って来た時だけ忘れるんだ。
それに一応みんなで決めたルールなのにそうしないのは違反行為だ。そうだ。あたしは別に間違ってない。
「ねえやっぱさ」
意を決してリビングに向きかけた時だった。
……チーン……
「え?」
背後の、仏間から音がした。
父と母の遺影と仏壇以外、何もないはずの部屋から。
「……」
ぞわりと、背筋にむかででも入ってきたかのような寒気が走る。
ズズズズズズ……!
「ひっ……」
襖が開く。手をかけただけで、あたしは開けてないのに。
襖を前にしてあたしは尻餅をついてしまった。そこに……。
「あーシヅ姉だ」
「は……は……?」
「あ、
キッチンの方から蓬汰が歩いてきて言った。。
「ホウ兄。お帰りー」
「ただいま」
「シヅ姉どうしたの? 大丈夫?」
弟、楓梧は、腰を抜かしたままのあたしに手を差し出してきた。
その手を握って立ち上がろうとするが、うまくいかない。
蓬汰が首をひねった。
「何してんの。赤ちゃんじゃないんだから」
気づくとあたしは叫んでいた。
**
「ただいまー」
夜。
一番歳上のマツ兄が仕事から帰って来た。今日は
「おかえりー」
あたしはいち早く玄関に向かった。
「おー出迎えか。珍しい」
「たまにはね」
「
構わない。それを目的に出迎えたわけではない。もちろん、サザエさん一家みたいにお帰りを言うためにでもない。
「
そう言って
「忘れてることあるでしょ」
「え?」
「忘れてること」
兄は
「……なんか、俺やらかした?」
「名札だよ! ちゃんとひっくり返してよ帰ってきたら!」
再び怒りがわいてくる。
みんなが帰ってくるたびにあたしはこれを言っていたのだから。
「あ、ああ。悪い悪い」
兄は苦笑して名札を黒にひっくり返し、そそくさと家の中に入っていった。
まったく。ルールもなにもあったもんじゃない。
ちゃんと名札をひっくり返したのは、あたしと
モモ兄に至っては、そんなのあったなと笑う始末だった。しばらく口きかんぞ。
ただ、これ以降きちんとみんなの名札がひっくり返るようになったのは、唯一の幸いだった。
##
「梓月さんにもかわいい時代があったんですね」
両腕で
「あの頃はほんとにビビりで馬鹿だったから」
「馬鹿は言いすぎでしょ。今お医者さんなのに」
「ほんとよ。言ったことなかったっけ。あたし中学時代のテスト、3年まで平均点いったことないからね」
「……え、全教科?」
「全教科」
「またまた。冗談でしょ」
「残念ながら本当。今度テストの個票見せてあげる」
そう言うと冬雪は一瞬、
「何?」
「梓月さん、完璧人間だと思ってたから、何だろ。嬉しい……とはちょっと違うけど、何だろうな……」
上手く言葉に出来ない様子の娘。本当の親子だったなら、きっとこんなやり取りはなかっただろうなと思う。
少し気恥ずかしくなって、あたしは立ち上がった。
「コーヒーでも
「私、お茶が良いです」
「じゃあ、緑茶ね」
以前だったらこんなやり取りもなくて、渡したコーヒーを無理に飲んで吐き出してしまうような、そんな子だったのに。
苦笑交じりに扉を開けた、その時。
「ただいま!」
「きゃっ!」
スクールバックを抱えた、もう一人の
「
「あ、お姉ちゃんもういたんだ。今日は夜ごはん一緒だね。……ありゃ、梓月さん?」
落ち着け落ち着け。悪気があってやったんじゃないんだから……。
「きゃっ! ってもしかして梓月さんが言ったの? かわいいー」
業腹。
その日は部屋に閉じこもった。
2013.5
2027
不在の証明 蓬葉 yomoginoha @houtamiyasina
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