後記:親を憎みきるということ

 ありがたいことに私の人生の危機にはいつも、弥勒菩薩のような人が現れては助けてくれた。

 彼らのお陰で、私は今日までかろうじて人として社会生活を営めている。

 あのとき、彼らに邂逅していなければ、坂道を転げおちるようにして廃人になったり、亡くなったりしていただろうか……?

 折に触れ、今でも考える。

 

 人生の危機ではないが、人生の転機に現れた心理カウンセラーの友人は、私に貴重なインスピレーションをくれた。

「薫さんは両親を憎みきったから次のステージにいけたんだよね。親(養育者)や自分への罪悪感から負の感情を閉じこめて苦しみ続けている人はたくさんいる」

 確かに、そうだった。

 さらに、彼女に指摘してもらったことでポンッと別の思考ステージに移動できた。

 ありがとう、彼女。


 私は両親を憎んで憎んで憎みきった。

 両親や自分への罪悪感など超越して、負の感情を大爆発させた。

 両親の不条理な言動がどこからくるのか、調べて調べて調べつくした。

 心理学や精神医学の著作を読んで読んで読みあさった。

 それで、ようやく腑に落ちたのだ。

 だが、その境地に辿りつくまでに膨大な時間と気持ちを費やした。

 正直、浪費だったと思う。

 両親がまともだったなら、人生の早期から個人的興味の対象を見つけ、心血を注ぐ喜びだってあったはずだ。

 子どものころ

「将来の夢は?」

と訊かれ、一日一日生きるので精一杯だった私は

『ずいぶん皆のんきだな』

と思った。

『それより私いつまで生きられますかね?』

 のんきではない人がいたら、訊いてみたかった。

 だから私は、両親を憎んで憎んで憎みきるまでは、両親の内的世界を解いて解いて解きあかすまでは、気が散って私自身の人生に向きあえなかったのだ。


 心理学者アブラハム・マズローの欲求五段階説が伝えるように、自己実現欲求は生命や安全が保証されたあとのあとのあとの段階だ。

 私の気質はその手順を踏んだと思う(※マズローの説を集約して可逆性があるものに発展させた心理学者クレイトン・アルダーファーのERG理論に興味がある方は是非)。

 だから、夢を語らない子どもがいたとしても単純に嘆かないでほしい。

 その子どもの気質や生活背景や苦悩を知らずに、夢を語ることを強制しないでほしい。

 社会の片隅に、平々凡々に生きることだけを夢のように希求している子どもがいることを、想像してほしい。


「両親を憎んでない」

 友人が断言する。

 だが、裏腹に、幼少期の不遇や両親のでき損ないっぷりを延々と聞かされるはめになる。

 彼女の両親が、私の両親と同様に不遇の子ども時代を過ごした事実を知らされる。

 一方で、彼女はパートナーに我儘を言っては困らせる。

「お姫様扱いして!」

「私だけを見て!」

と訴える。

 それが叶わなければ

「愛が足りない!」

「別れるなら死んでやる!」

と泣いて喚いて石になってと大騒ぎだ。

 そのまた一方で

「カフェをやりたい!」

「ドッグトレーナーになりたい!」

「◯ouTuberになりたい!」

と彼女の夢は日々目まぐるしく変化する。

 パートナーに承認欲求を満たされる以前に自己実現欲求を満たそうとする可逆性、アルダーファーのERG理論を地でいっている。

 当然だが、パートナーは彼女を持てあましてフェイドアウトしてしまうので、いつも短期的な恋ばかりしている。

「ちょっといい?」

「でね、両親がね」

「でさ、彼がさ」

 突拍子もない時間にかかってくる電話は、彼女の私に対する“試し行動”だ。

『友だちなら我儘を許してくれるはず』 

 彼女の論理は強固だ。

 説得には骨が折れる。

 親身になるほどの仲でもない。

 私は彼女からの電話を受けなくなった。


 心理学で言う“試し行動”は、元来、子どもが親の愛情を試すために我儘を言って困らせるもので、欲求が満たされれば安心して収まるそうだ。

 だが、中年も中年の彼女のそれは、まるで収まる気配がない。

 彼女は自覚なく、パートナーや私を通じて、子どものころに満たされなかった“試し行動”の“やり直し”をしていたのだと思う。

 彼女は安心感を得たかったのだ。

 思えば、若かりし日の私も同じようなものだった。

 充分好かれていたにもかかわらず、そこはかとない不安感や不信感から、恋人に我儘を言っては困らせた。

 私を真摯に好いてくれた恋人たち。 

 私は駄目な子でした。

 いっしょにいてくれて、ありがとう。

 ごめんね。


 だから、私は言いたい!

 自分の気持ちに嘘はつくなと。

 それが、あなた自身を救うのだと。

 毒親(養育者)に心あたりがあるなら、毒親や自分への罪悪感などさっさと棄て、憎んで憎んで憎みきれと。

 あのとき、私は、僕は、俺は、さみしかったんだ!辛かったんだ!苦しかったんだ!悔しかったんだ!傷ついたんだ!腹が立ったんだ!と、なんでもいいから閉じこめてしまった負の感情を大爆発させてしまえばいい。


「子孝行されてないんだから親孝行なんてするわけないじゃんね!」

 そうクールに大爆発した友人がいた。

 子に投資しない親ほど子どもにたかる不条理を、彼女はけして赦さなかった。

 私はそれに強く共感した。

 大爆発のしかたは人それぞれだが、心理的に、それでも苦しいなら物理的に、親を自分から切りはなしてしまえばいい。

 後者は自活を意味するので覚悟が必要だが……。

 そうして、親が他人に思えたなら、ようやく、あなた自身の未来が見えてくるはずだ。

 自己愛を取りもどせるだろう。

 真摯な人の愛情を素直に受けいれられるだろう。  

 “試し行動”の“やり直し”も必要なくなり、縁をつなげるだろう。

 だからといって、綺麗さっぱり解決してすべてが報われるわけではない。

 それでも、今、この瞬間も苦しんでいる誰かに伝えたい。

 

 

 

 

 


 

 

 


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無再生 ハシビロコウ @hasihasibirokou

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