魔女を侵す毒の名は。

遊月奈喩多

嗚呼、わたしの愛しき魔女よ

『こんなところに幼子を……、いつの世も、人は残酷なのね』

 そう呟いて見下ろした瞳は、わたしの心を瞬時に捉えてしまった。きっと、貴女さえも望まぬほどに。


   * * * * * * *


 森の奥深く、不気味に鳴く鳥の声ばかりが響くその場所に、わたしたちは住んでいる。ここにはいつだってふたりだけ――わたしことフィアールカと、口減らしのために森に置き去りにされていたわたしを拾って今まで育ててくれている《魔女》ローザ様。とても穏やかで静かな時間を過ごしている……もちろん、森を訪れる人がまったくいないわけではないのだけど。


 今日だって、危うく外の人間と接触してしまうところだった。外部との接触は絶対にしてはいけない――外の穢れた世界を疎むローザ様の教えを守らないと、どんなお仕置きが待っているかわからないというのに。

 彼女の使う《魔法》というのは、とどのつまり外で通用している知識体系と少し違うだけの、それでも常人に扱えないものではない技術。無から有を産み出すなんていう奇跡のようなものではないから、もちろん魔法を扱うための材料だって必要になるのだ――それを集めている最中に、外の人間に見つかった。


『あっ、……も、もしかして――』

 戸惑ったような、けれど何かの確信を持ったようなその口振り。それが何を意味しているのかなんてわからなかったけれど、それが妙に怖くて。

 その人間はしばらくの間逃げるわたしを追っていたけれど、気付いたらいなくなっていた。気が済んだのか、諦めたのか、それとも仲間のところに……ううん、きっと大丈夫、何もない、何もない。だって何かあるなら、家に帰り着くまでにもっと恐ろしいことがあるはずだもの。

 けれど、ローザ様には全てお見通し。帰ったわたしを待っていたのは、不用意に自分の身を危険に晒したわたしへのお仕置き、、、、だった。


「あっ――、ふ、うぅっ、いっ――――!?」

「いい、フィアールカ? これはあなたをここから離さないための刻印なの、あなたはこれからも私と共にある、私とあなたは不可分の存在なの。それをもっと十分にわからせるために必要なこと。だから甘んじて受け入れなさい……っ」


 寝台の上でローザ様から受けるお仕置きの回数なんて、もうどれくらいなのかわからない。彼女は何かあればそれにかこつけてわたしにこういうことをするのだ。

 唇で、舌で、時には指先で。

 繊細に、荒々しく、すがりつくみたいに、彼女はわたしの全部を支配したがってくる。最初は怖いと思っていたその時間を、わたしが楽しみにしているなんて思いもよらないだろう。


 ちゅ、ちゅっ、ちゅ――――、


 湿った音が耳を侵し、全身に走る痺れは回数を追うごとに増していく。必死な息遣いでわたしの全てを覆い尽くそうとするローザ様が愛おしいけど、そんな素振そぶりを見せてはいけない。だって、彼女が望んでいるのは、お仕置きを怖れて彼女の言いつけを懸命に守ろうとするわたしなのだから。


 だから、絶対に言わない。


 もうわたしがとっくの昔に外の世界を知っていることを――貴女がどう思われているのか。貴女が外の人からどう扱われていたのかを。貴女が外の世界でどんな想いを抱いて、どんな経験をして、どんな傷を負わされたのかを。

 貴女の《魔法》に外の技術はとっくに追い付き、もはや迫害すらされないほど、忘れ去られてしまっていること。

 その深い孤独が、貴女をより深みに誘い、もはや人間と呼べるものでなくなり始めていること――だってほら、貴女はわたしと出会った頃から変わらず、ずっと美しいまま。

 貴女のしているそれ、、が、刻印なんかじゃない――ただの執着でしかないことも。きっとそのことに気付いたら、貴女はただの無力で孤独な人に戻されてしまうから。ううん、もはや戻ることすらない、ひょっとしたら時間の重みに潰されて、すぐにでも灰に変わってしまうかも知れない。

 そんなのは、わたしが赦さない。


 だからわたしは今日も、立てられる爪の痛みや、唇で強く吸われ過ぎるひりつきに耐えながら、ただローザ様の求める声をあげ続ける。


 汗まみせの背中に懸命に口付ける貴女を、わたしはかしずきながら精いっぱい愛でる。そのつたない執着が冷めないよう、少しずつ外の世界への危惧を植え付けながら――籠の鳥を逃がしたくない貴女を、焚き付ける。

 獣を操り狩人を誘ってもいい、この喉から漏れる歌で詩人を呼ぼう、いっそ貴女が孤独に負けてわたしの両親を招いたように、子どもの消える噂でも流そうか?

 わたしを貴女に縛り付けておくために、わたしは何でもする――だってこの世界など、わたしと貴女が永遠でなければ意味がないから。


 嗚呼、ローザ様。

 哀れで愛おしい、わたしの魔女。

 貴女の憎悪は悲しみの裏返し。

 貴女の愛は幼子にも似た執着。

 貴女の魔法は孤独を癒す夢想。


 ならば、どうして付き添わずにいられよう。

 いずれ全てが貴女を置いて朽ちようと、それが純粋な貴女をどれほど打ち砕こうと、いっそ時の流れを受け入れてしまいたいと貴女が願っても、そんなの赦さない。


 世界が朽ちるまで、わたしは貴女と共に。

 世界が朽ちたなら、共に朽ちれば永遠に。


 この魔法けついに、迷いも、偽りも、悔いなど、あるはずもない。


 

 

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