第13話

 彼女が見えなくなってから、一週間が経ったある日の事。

「イだっ」

握られた拳で思いっきり殴られたような、そんな痛みを背中に感じた慎一。

いつも通り学校から帰宅する途中であった彼は、人通りの少ない道を歩いていただけ。背中を変に痛めるような行動はしていない。ただこの突然の出来事に覚えのあった慎一は、神経を研ぎ澄ませて。

少女の名前を呼んだ。

「チェリー?」

どこからか聞こえた声。

「はい。痛かったですか? まぁそうでしょうねぇ」

意識しなければ見えないはずのチェリーを、はっきり見る事が出来た。

「前にもこんな事あったような……ところで何かした?」

「えぇ、ちょっとムカついたので殴りました」

「それだ」

「悪意しか込めてません」

「悪質すぎるな。普通殴られたら痛いって分かるだろ。何で殴った」

「殴られた痛みしか感じてないんですね」

「うん?」

「殴る前にね、ぶっ刺したんですよ。矢」

思わず己の背中をさすった慎一。だが前回のような痛みは感じていない。だがそれより心の方がちょっと痛い。

「いや待て。俺まだ未練残ってんだけど」

「貴方がどう思ってようと前回の矢は貴方が一度死んだ時に壊されてますからねぇ。言うならば貴方は今、恋に恋してるような感じですよぉ」

「んな勝手に決めつけんな」

「勝手じゃないです。私から見たらそうなんです」

「……仮にそうだったとして、本当に俺はまた別の子を好きになっちゃうのか?」

「えぇ、そう恋の神様は仰ってます」

「神様おみくじ経由で結ばれる人はゼロだって言ってたじゃん」

「それは貴方が死ぬ前の話でしょう。貴方は彼女のお陰で運命が変わった訳ですから、別の人と結ばれる運命になったかもしれないじゃないですか。あぁ、勿論貴方が一方的に好きになって振られるという可能性もある事は覚えていて下さいね?」

「嫌な言い方をするなぁ。しかし……お前嘘ついてないか? ほんとに刺した?」

「もう、面倒な人ですねぇ。仕方ありません。今回特別に教えてあげましょう。貴方がこれから好きになる子の名前は、安藤心ちゃんです」

その名前を聞いた彼は、思わず表情を固めた。

だってその名前は、二人で話した、あの子の名前。

「何でその名前」

「何でと言われても、彼女がその名前で生まれ変わっちゃったんだから仕方ないでしょう」

「違う、そうじゃない、だって、アンロは」

「えぇ。貴方のせいであの子の救済処置の願いは叶えられました。あの子が人間になったのは、私の救済処置の願いを譲ったからです」

「チェリーの……?」

「はい。あの子が私を先生と呼んでいた理由です。私ね、もうとっくの昔に願いが叶えられる状態になってたんです」

慎一とは違って、ニコニコしながら答えたチェリー。

彼の心情なんてお構いなしに、話を続けた。

「恋欠片になる者は、愛されずに死んだか、死ぬ間際に失恋をした者。私は後者です。恋が終わった時は勿論悲しかった。でも、その人を好きになった事は後悔してない。あの気持ちを、他の人にも感じさせられるのならば。そのきっかけを作れるなんて素敵だなって思ってるんですよ。私は恋欠片が天職なんです。人間になるという願い以外の願いを叶えた恋欠片は、その後ずっと恋欠片として永久に過ごす。私の願は、恋欠片であり続ける事。だから」

頭の追い付いていない慎一だが、ようやく声を出す。

「……何で」

「その何でとは何を指してるのですかね。俺の事認めてなかったんじゃないのか、なのか。これから別に叶えたい願いが出てくるんじゃないか、なのか」

「両方、と言ったら」

「答えてやりますとも。恋欠片のままでいるという私の願いは、そのままでいても叶えられた。でも万が一世界が滅びるとか起きたらヤバいな、と思って私は今までずっと願いの権利を維持してきた。ただ今回、いずれ出てくるかも分からない事のために取っておくより、彼女に使ってあげたいと思っただけ。貴方の事はゴミとしか思ってません。まぁ、他の男よりは貴方の方がまだ任せられるかなとは判断しましたが」

「俺そんなに頼もしく見えたとは思えないんだが」

「えぇ。頼もしく見えた事なんかありません。でも貴方は死ねって言っても死ななかったから。これで死んだらその程度の奴と判断してました。自分を大事にしない奴が、他人を大事に出来るはずないじゃない」

「自分が大事で、彼女を見捨てたとは判断しなかったんだ」

「……人のために命を削れるようなヒーローは、勿論カッコいいかもしれない。でもそれでヒーローが死んだら、悲しい想いをする人だっている。ヒーローに限った事じゃない。死ぬのは喜ばしい事じゃないもの。綺麗事で言ってるんじゃないわ。私、貴方が死んで悲しんでるあの子を見たもの。だから」

チェリーはポシェットの中から一本の矢を取り出した。

慎一も投げられた、全ての始まりの矢。

それを片手でギュッと握りしめて、少しだけ背伸びして。

もう片手で慎一の服の裾を掴んだチェリー。

慎一の喉仏ギリギリに矢の先を向けて。

「もしあの子をまた傷つけたら、貴方の事は私が殺す」

笑顔で脅迫した。

「……分かった」

泣きながら、でも笑いながら返事をした慎一。

「その涙の理由は恐怖ですか? 嬉しさですか?」

「両方、と言ったら」

「……許しましょう。さ、早く行きなさいな。多分彼女は公園にでもいるから」

「……チェリー」

「何ですかゴミ虫さん」

「ありがとな」

「私、虫の言葉は理解できないんですよぉ」

チェリーの悪口にも笑みを返して。

彼女の元へと足を急がせた。

そんな彼の背中を見て、チェリーはボソリと呟いた。

「ゼロがイチになったんだもの。大事にしなきゃ許さないんだから」

もしかしたら、自分は実らせられなかった恋を他の誰かなら実らせてられるかもしれない。

そう思い恋欠片で居続ける事を選んだチェリー。

チェリーにとって二人は離れさせたかった存在ではなく。

なりたくて、なれなかった存在。

それでも自分のようになって欲しいわけでもないから。

ただ、彼らの幸せを願った。

チェリーの横を、ランドセルを背負う二人の子供が通り過ぎた。

「早く来いって! 時間勿体ないから!」

「そんなに急がなくてもアンコクジャーのブルーレイは逃げないよ! 待ってってば!」

きっと見えていないのだろう。だがそれが恋というもの。

手に持っていた矢を、思いっきり投げたチェリー。

その矢は黒いランドセルを背負った子供の後頭部に刺さって、消えた。でも子供は痛がることなく走って行った。

微笑みながら子供達とは反対方向へ歩いて行くチェリー。

それは人々の幸せ願う、一人の乙女の物語。


             ***


公園のベンチに、一人の少女が座っていた。

白いシャツに淡いピンクのスカートを着た少女。

黒い髪には濃いピンクのガーベラの花をつけた彼女は、木に寄りかかる白い髪の少女に話しかけた。

「ルンちゃん、この恰好おかしくない?」

「あいにく僕は生きてた頃も今もおしゃれな事に興味がなくてね。それが良いのか悪いのかもよく分からないよ」

「うぅ……」

「まぁ、大丈夫じゃないかな。彼の場合きっと服どころじゃないよ」

「そうかもしれないけど」

「それにしたって、僕も大概変わり者だけど、君もチェリー・ブロッサムもおかしいよ」

「先生は良い人だよ」

「そうかな。まぁいいや。僕には理解出来ないけど、君がそれを幸せだと言うのなら。思い描くように、幸せになればいい」

「ありがとう、ルンちゃん」

「礼を言われるような存在じゃないよ。じゃあさよなら。出来ればもう、二度と会わない事を願ってね」

好きを奪うのが恋破片。とはいえ恋する少女に、好んでまで近づきたくはないらしい。

ステールンは小さく笑いながら、また誰かの好きを奪いに向かった。

残された少女は「矢は抜きにまたどこかで会えるかな」と思いながら一人座り続けた。

大きく広がる青空の下。彼女は今までの出来事をざっくりとではあるが思い返していた。

色々な人を見て、願いが生まれ。

感謝をしながら。

これからを生きる事を決めた。

願わくば、彼と共に。

そう思った時。丁度いいタイミングで公園に一人、男がやって来た。

全速力で走って来た彼は、彼女の前で膝に手を当て俯きながら呼吸を整えた。

彼女は立ち上がって、笑顔でご挨拶。

「あっ、えっと、初めまして。安藤心と言います。その、突然ですが、慎一さん。貴方が好きです」

聞き覚えのある声に、頭を挙げた慎一。

少々姿は変わったものの、面影はちゃんと残っている彼女。

思わず抱きしめた。

彼女は少し照れながらも、ギュッと力を入れ返した。

そんな彼女に対して彼が初めてかけた言葉は。

「このバカっ……」

震えながら言われた言葉。

だが彼女は、そう言われる事を予想していたのかもしれない。怒る事もなく、悲しそうでもなく。

ただ目尻に涙は溜めながら。

幸せを感じていた。

これは一人の少女が幸せを目指す、不思議な不思議な恋物語。


                                  始まり。

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恋欠片アンロック・ハート 二木弓いうる @iuru

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