老舗の喫茶店

小丘真知

老舗の喫茶店

転勤族だったころの話なんで結構前ですね。



転勤して間もなく、職場近くの喫茶店を教えてもらったんです。

老舗のお店らしくて、タマゴサンドとカツサンドが評判と聞きました。

転勤族の醍醐味はこうしたローカルなグルメに出会えることだと思っていたので、さっそく昼食にそのタマゴとカツをいただこうと思ったんですけど、やっぱり混んでるんですね。

コーヒーも美味しいって聞いてたんで店内で食事したかったんですけど、お昼時にふらっと入るのは難しいと感じました。

チャンスを見つけて、いつか行こうと思いました。

ある日、取引先とのミーティングが押しに押した上に渋滞に巻き込まれて、会社着が14時過ぎるだろうという時があったんです。

上司に報告したら、しょうがないから途中で昼休憩をとってからの帰社で構わないと言われたんですよ。


待望のチャンスきた、と。


喫茶店へ車を飛ばしました。

最寄りの駐車場も空いているし、イケると思って店内に飛び込みました。


木とレンガのクラシカルな内装。

淡く照らす間接照明。

落ち着いた雰囲気の中で、しっとりと存在感を示すジャズレコード。

お昼の時間帯とは打って変わった大人の空間が広がっています。


THE 老舗喫茶店!


そんな手応えを感じて嬉しくなりました。

常連さんと思わしき人たちも上品で、たたずまいも違う印象を受けました。

カウンターでマスターと世間話をするマダム。

ゆったりと紅茶を楽しむご夫婦。

コーヒーの香りに包まれながら新聞に目を通す老紳士。

これは常連さんの席は決まってるんじゃないかな、と思って。

新参者は店員さんにお任せしようと入り口で待ってみました。

ほどなく、笑顔の素敵なおばさまウェイトレスが応対してくれて

「一番奥のテーブルでいいかしら?」

と言われたので従うと、そこは店内が見渡せるテーブル席。

お客さんや店の雰囲気も一望できる場所でした。

この喫茶店を堪能して帰社しようと思い、タマゴサンドとカツサンド、あとオリジナルブレンドを注文しました。


カバンに忍ばせておいた文庫をひろげると、時間はあっという間でした。

タマゴサンドとカツサンド、そしてサイフォン式で淹れられたコーヒーが、フラスコスタンドとアルコールランプと一緒に運ばれてきました。

タマゴサンドの黄色と白の美しいストライプ。

カツサンドの食欲を誘う香りと薄ピンクの断面。

サクッ、もちっとした食パンに包まれた、ふんわり卵焼きや肉汁溢れるカツが、口の中に溶けていきました。

コーヒーも香りが芳醇で、酸味や香ばしさに鼻腔を刺激され、いつまでもこの香りに包まれていたいと思いました。


食後の余韻に浸りながらコーヒーを楽しんでいると、時刻は間もなく15時をまわろうとしていました。


ふと、入り口近くで新聞を読んでいた老紳士がカウンターに移動しました。

マダムの隣に座ると、あらそんな時間?とマスターとの話に混ざっていきます。

角のテーブルで紅茶を楽しんでいたご夫婦もカウンターに移動して、老紳士の隣に席をとり、マスターやウェイトレスのおばさまたちとの世間話に花を咲かせ始めました。


他の常連さんでも来るのかな?

でもそんな気配もないし。

あ、マスターたちとの会話に入りたかったのか。

そんなことを思って、温めたコーヒーをカップに注ごうとしたときでした。


マスター達の会話の中に、さっきまでとは違う声が聞こえたんです。


なんというか、若い女性、のような高めの声。


気のせい?

首を傾げながらコーヒーを注いでいると




ふふふふ




と、若い女性の笑い声が、今度ははっきりと聞こえました。


おそらく3〜4人くらい、談笑している感じで。


ちょうど、老紳士やご夫婦がいた辺りのテーブル席からだと思います。


眺めていると、マスターやウェイトレスのおばさまが、そのテーブル席に目をやる瞬間が増えているなという印象がありました。

続いて、老紳士やマダムも。

ちらっと視線を移す瞬間が出てきたような気がします。




気付いてる。




聞こえているのは自分だけじゃない。

マスターやおばさま、常連さんも、と思いました。




でも、怖いという感じではないんですよね。




なんというか、イチお客さん、という雰囲気なんです。




不思議だなぁ、なんて思いながらコーヒーを飲み終えて、お会計を済ませようとレジに向かいました。

レジを打ちながらおばさまが

「お兄さん初めてでしょ。どうでした?」

と聞いてくださったんで、サンドイッチでお腹いっぱいになれたことと、コーヒーのうまさだけを伝えて、お店を後にしました。

少しホッとしたような笑顔を浮かべておばさまは、頭を下げながらまた来てちょうだいねと見送ってくださいました。

笑顔で手を振るおばさまに、振り返って自分も手をふり返そうと思ったら




誰もいないテーブル席に、コーヒーを4つ運ぶマスターの姿が見えました。




なるほど、と。




自分はそういう話って詳しくはないんですけど、なんていうか、コーヒーや雰囲気を楽しみにくるのは人間だけじゃないのかな、って。




そして、そうした存在もあの喫茶店は歓迎してくれるんだ、というのがなんか




あたたかいなって思いました。






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老舗の喫茶店 小丘真知 @co_oka_machi_01

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