第6話 夢の結末
千歳とスミレが扉から出ると、そこは森の中だった。
二人がいる場所の周りだけ、広場のように少しひらけていた。
辺りを見回して目につくのは一本の巨木だ。
広場の奥に一本の巨木があり、その根元には大きな洞があった。
千歳とスミレは洞へと近づく。
洞の中は苔むしていて、千歳はまるで祠のような印象を受けた。
千歳たちが洞の中を見回すと、突然光が満ちた。
千歳がその光の出でころを追うと、そこには手のひらサイズの卵が確かに転がっていた。
千歳はゆっくりと卵を手に取る。
すると、背後からパチパチと拍手の音が聞こえる。
千歳とスミレが振り返るとそこには一人の男が立っていた。
中年のエリート然としたがっちりした体型の男だった。
「おめでとう」
男は口には笑みを浮かべていたが、目は一切笑っていなかった。
「はじめまして、ホブスさん」
「はじめまして」
千歳が名前を言い当てても、やはりというべきか、少しも動揺などはなかった。
「まったく、シャハッドの奴には騙されたよ。新しいDRSのデバイスだと。どおりで色々と手違いが起きるはずだ」
ホブスは千歳たちへと一歩一歩距離を詰めてくる。
「だが、最終的に私の見立ては間違ってなかったということだ。さあ、その卵を頂こうか」
千歳とスミレは身構える。
「素直に渡すと思って?」
「思ってないさ」
ホブスはパチンと指を鳴らした。
「きゃあぁああああ」
悲鳴を上げたのはスミレだった。地面に倒れ、苦しそうに身を縮めていた。
「スミレ!?」
千歳はスミレに駆け寄ろうとしたが、千歳にも異変が起きた。
「あぁあぁぁぁあ」
――内臓が焼けている。手足が鈍い刃物で切られている。
まるでそんなような痛みが千歳を襲った。
「どうだい?システム的に制限はあるがそれなりに効くだろう?」
ホブスは歪んだ笑顔を浮かべている。
「無駄に苦しむのは嫌だろ?早くそれを渡すのが賢明だと思うがね」
「ダメだ!…まず私たちの身の安全を保障しろ!じゃ…なきゃ…これを壊す」
千歳は苦痛をこらえながら言った。
「保障ね…保障。私が保証するとでも言えば安心するのか?まったくおめでたいな。君たちはもう詰んでいるんだよ」
ホブスはなおもゆっくり近づいてくる。
「それ以上近づくな!」
千歳は卵を持った腕を振り上げる。
しかしホブスの歩みは止まらない。
「くっ」
千歳は腕を振り下ろし、卵を地面にたたきつける。
卵が地面にぶつかり、割れると思われたが、そのままズムッと地面に半分めり込んだ。
ホブスは一気に走り込んでくる。
千歳も慌てて卵に手を伸ばそうとしたが、まるで空中に壁があるかのようにその動きは遮られた。
「ははは、すまないね。地面はこの通り」
ホブスは自分の手をズブズブと簡単に地面にめり込ませた。
引き上げた手には卵が収まっていた。
「それを…どうするつもり?」
スミレも依然苦痛にさいなまれていたが、ホブスに問いかけた。
「一番の有効活用をするさ。知ってるか?これの前の持ち主」
「シロガネさん?」
「そうさ。そんな名前だったな。奴はなんと、このDRSの中でシステムの監視をすり抜けて姿をくらましたんだぞ。ありえない力だ」
ホブスは狂気が混じっているようにクククと笑った。
「さてと、これを試したら君たちとはお別れだ」
ホブスはすっと一瞬で表情を無くすとそう言った。
「待って、私たちは誰にもこの事を話さない。誓う。だからお願い、開放して」
千歳は一縷の望みを賭けて交渉してみた。
「ダメだね。何のためにわざわざ私が一人でここに来たと思ってる。この力の情報が漏れる可能性は残しておけない。安心しろ、君たちは完璧に行方不明になる。家族にも希望は残るさ」
「このクソ野郎」
千歳が今できるのは悪態をつくことぐらいだった。
ホブスはフンッと千歳を一瞥したが、卵へ視線を戻す。
そして手に持った卵を自分の胸へ近づけた。
卵は一瞬強く光ると、ホブスの中へ吸い込まれていった。
ホブスは両手を下ろして、ふうと軽く息を吐いた。
しかし、すぐに様子がおかしくなった。
「なんだ、これは!?」
目を見開いて激しくうろたえる。
ホブスの動きは鈍くなっていき、ついには口を開いた状態で固まってしまった。
千歳を襲っていた激しい痛みが一瞬で消えた。
「スミレ、大丈夫?」
スミレの顔からも苦痛は消えていて、大丈夫そうだ。
「これは…?千歳が何かしたの?」
千歳がシャハッド博士に会いに行く前――。
千歳の持つ携帯に連絡が入った。
『あのふざけたメッセージは何のつもりだ』
スミレに会う前に、千歳は、シロガネが殺害されたとほのめかす文章に連絡先を添えてネットのあちこちに書き込んでいた。
もちろん連絡先はボットに拾われないようにしていたが、人間なら誰でもわかるようにしておいた。
いたずらも来るかと思ったが、みんなそれほど暇じゃないらしい。
――これは当たりっぽいな。
スミレに断りを入れ、千歳は返答をする。
『何のつもりも何も、あの文章のままだよ』
『それは俺も風前の灯火とかなんとかいうやつか?お前が助かる道?』
『そうだよ』
『言っておくがこの通信から俺の居所を見つけ出そうっていうなら無駄な努力だぞ』
『それくらいじゃなきゃ、こっちが困る。でも、居所なんて見つけ出そうとしてないけどね』
『ごまかすな。お前は関係者だろ?』
一連の流れが本当だとしたら、監視カメラの件を偶然で片付けることはできなかった。
警察にも見破られずに部屋のロックを破っている何者かがいるということだ。
そして、シロガネを殺害することは失敗している。
しかもスミレに対して同じ手を使っていないということは、完全なるホブスの手の者ではない。
『悪いけど、一から説明している暇はないんだ。私があなたにウイルスを用意してほしいだけ』
『ウイルス?』
『そう。DRSで動作する、個人の処理速度を極限まで落とすウイルス』
そこで少し相手からの返答が途切れた。
千歳はごくりとつばを飲み込んだが、返答がきた。
『…用意はできる。できるが、あいつに感染させるのは無理だぞ。並のセキュリティを敷いていない』
『自分から使わせれば可能じゃない?それができるような形にしてほしい』
『上手くいったとしても、本人の外からは簡単に復帰させることができるぞ』
『承知の上だよ』
『こちらの報酬はどうするつもりだ?』
『あいつっていうことは相手を知ってるんでしょ。相手が優しくて、あなたが無事なら私も無事。私がうまくやれば、私もあなたも無事。十分だと思うけど?』
『…わかった、すぐ用意しよう。お前もなかなかいかれてるな』
『私だって好きで殺し屋と取引なんてしたくないよ。目立った行動をすれば強引に殺されかねないからね』
そんなやり取りを経て手に入れたウイルスを、千歳は卵を手に取った時に仕込んでいた。
千歳はスミレにそう軽く説明する。そしてスミレに手を貸して助け起した。
その時、辺りが激しく揺れた。
「今度は何!?」
スミレは辺りを見回している。
揺れと共に、周囲の地形はゆがんだり、ひび割れたりしてきていた。
「多分、ホブスは色々無茶を押し通してシステムを制御していたんだ。私たちの苦痛が無くなったのもそう。制御が無くなって抑えが効かなくなったんだ」
「どうなるの?」
「DRSはとても精密に構成要素が関連しあってるけど、それに大きな齟齬が出てきてる。システム全体の崩壊を防ぐために、齟齬は自動的に隔離して消去される。中からの視点では爆発が起こったようになるね」
「そんな爆発落ちみたいなことが!?」
「巻き込まれたら個人データも消えちゃう。早く移動しよう」
千歳はそう言ってメニューを操作して、移動のための扉を目の前に出した。
「待て…」
驚いて千歳とスミレが振り返ると、ホブスがよろめきながら一歩踏み出していた。
「動けないんじゃなかったの!?」
スミレの言葉には恐怖が混じっていた。
緊張が走ったのも束の間、ホブスの体は光の粒となって消えていく。
その表情は、つきものが落ちたように穏やかなものだった。
ホブスの体が全て光の粒となって消えるのに時間はかからなかった。
辺りの揺れはさらに激しくなっている。
「早く逃げよう!」
呆気に取られていたが、スミレが我に返って千歳の腕を引っ張る。
千歳も移動しようとしたが、ホブスがいた辺りの地面に光る卵が転がっているのが目に入った。
「なにしてるの」
「スミレは先に行ってて」
千歳はスミレの手を振りほどいて走り出した。
――あれさえあれば。
もうすぐで卵を取れるというところで、地面が割れて足を取られて転倒する。
――シャハッド博士の死。シロガネの試合。ホブスの目的。シロガネの姿。もう一つの宇宙。光の粒。卵。
千歳の中で色々な思いが交錯した。
卵は地面の亀裂に今にも落ちそうになっている。千歳は卵へ手を伸ばす。
その時、千歳の視界に煙で形作られたような男の子の顔が表れた。
「お兄ちゃん…?」
千歳の口からは自然と言葉が出ていた。
顔は何やら口を動かしていて、何かを伝えたいようだった。
千歳には、二度と繰り返さないで、そう言っているように思えた。
千歳が気を取られているうちに、卵は地面の亀裂へと落ちていった。
「千歳!」
スミレがいつの間にか千歳のそばまで来ていて、千歳の腕を引く。
「スミレ、今の男の子を見た?」
「男の子?」
スミレはけげんな顔をした。
「それどころじゃないよ、行こう」
スミレに助けを借りて立ち上がり、先ほどから開きっぱなしの扉の方へ歩き出す。
千歳は扉の前で一度振り返ったが、スミレの手を取って扉へ飛び込んだ。
数日後、スミレは千歳の部屋へとやってきていた。
「コーヒーにする?紅茶にする?」
「千歳は?」
「紅茶」
「じゃあ、私も紅茶で」
千歳は紅茶を入れると、スミレの隣に座った。
「あの卵さ、千歳が先に使っちゃえばよかったんじゃないの?」
スミレは紅茶に息を吹いて冷ましながら口へ運んだ。
「まあ、それも考えたけどね」
「じゃあ、あの展開を読んでたってこと?」
「読んでたわけじゃなく、なんとか相手に見逃してもらう方法を考えてたんだけどね。結局、都市伝説に賭ける形になったのは、さすがに冷や汗だったけどね。でも前例があったから」
千歳の答えに反応するのでもなく、スミレは少し物思いに耽るように両手の中でカップをもてあそんでいる。
千歳はそんなスミレを見つめる。
「これから夜景を見に行かない?」
「DRSの?」
スミレも千歳を見つめた。
千歳は首を横に振った。
「いいよ」
スミレは優しい笑顔を浮かべた。
千歳はカップを手に取り、紅茶を一口飲み込んだ。
夢の紅茶は香り立つ 佐名エル @sameieru
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