第5話 卵

千歳は現実へ戻るとスミレに、すぐにスミレの部屋へ行くから待っていてと連絡を入れた。

そして、ホブスという人物についてネットで軽く調べてみる。

それによると、ホブスは学生の時からシャハッド博士と親交があり、一番親しくしていた人といっても過言では無いようだ。

二人が大学を卒業した後、金銭にあまり興味がなかったシャハッド博士に代わって、ホブスは主に財務の面を担当としてDRS社創業に関わったという。

しかし、会社が華々しく軌道に乗ると、早いうちに会長となって第一線を退き、以後、公の場にはほとんど露出しなくなったとのことだった。

千歳は調べものをその辺りで切り上げると、もう少しインターネットで作業してから、急いでスミレのマンションまで駆けつけた。

「どういうこと?」

スミレは部屋に入るなり開口一番尋ねた。かなり困惑している様子だ。

「まだわからない。でも確認しなきゃ」

千歳はスミレを連れてスミレの部屋を出る。

「どっちがシロガネさんの部屋?」

「こっち」

スミレはマンションの入り口の方を指差した。

黄色いテープでも貼ってあるかと思ったが、そんなことはなかった。

千歳はそう、と短く答え、とりあえずそれは置いておく。

そして、シロガネの部屋とは反対側にある隣の部屋のインターフォンを押した。

誰も出ない。さらに隣の部屋へ行きインターフォンを押す。

「はい」

少し待つと男性の声で返事が返ってきた。

「すみません。何日か前に外国人の男性が訪ねてきませんでしたか?この階で人が亡くなったっていう騒ぎがあった、ちょっと前なんですけど」

「ああ…、アンタ警察?そうは見えないけど」

千歳がどう答えようか迷っているとスミレが助け舟を出してくれた。

「あの、あたし同じ階に住んでる者です。そいつ、あたしの部屋にも来て、少し怖くなっちゃって。なんか変なこと言ってたけど他も同じなのかなって」

「ああ、そう…」

男性はまだ少し訝しがっていたが答えてくれた。

「確かデバイスを貸したとかなんとか言ってたな。でも知らないって言ったらすぐ帰ったよ」

「そうですか、ありがとうございます」

男性にお礼を言って、いったんスミレの部屋へと戻る。

――本当にまずいことになってきたかもしれない。

千歳はスミレの部屋からベランダに出るた。

部屋と部屋の間には当然仕切りがあったが、身を乗り出してシロガネの部屋の方を覗いた。

うまい具合にカーテンが開いている。

しめたと思い、できる限り身を乗りして中の様子をうかがう。

本棚や大型のモニターが目に入る。

「ちょっと、何やってるの」

スミレが慌てて咎めたが、千歳は構わず尋ねる。

「大家さんの部屋はどこ?」

「一階の入り口の横だけど…、今度はどうするつもり?」

「シロガネさんに物を貸してたって言う」

「誰が?」

「スミレに決まってるでしょ。突然知らない女が言っても信じてもらえない」

「大家さんをだますの?そんなのできない」

スミレはぶんぶんと首を振った。

「ねえ、聞いて。もうかなり切羽詰まった状態かもしれない。お願い、私を信じて。もし思ってることが外れてたり、すべて片が付いたら、大家さんに謝ろう。私がそそのかしたって、一緒に謝るから」

「信じる、信じるよ。でも説明して」

スミレの気持ちも、もっともだった。

少し焦りすぎていたと千歳は反省する。ふーっと大きく息を吐いた。

「ごめん。えーと、まずDRSの会社っていえば、今や世界でも大企業って言っていい」

スミレはうん、と小さく相槌を打った。

「そこの会長で、地位もお金もあるような人がわざわざ日本まで来て、その手下がこんなところに現れて怪しい行動をした。しかもスミレにだけ、かまをかけ、脅すような物言いをしてる」

「あ、そうだ。それが引っかかってたんだ」

どうやらスミレも違和感を抱いていたようだ。

「シロガネさんがマークされてたのは間違いないと思う。大体、あのリアルバウトの試合も変だった。事前に告知がないほど急だったし、リアルバウトは都市の中で自由に戦うのが売りでしょ?もしかしたらリアルバウト自体、裏の目的が罠だったのかもしれない。まあ、それが思い過ごしだとしても、リアルバウトは重点的に監視されてたと思う」

「そこに、あたしが来たと」

スミレは軽口をたたくよう言ったが、表情を硬くしていた。

「でもあたし、シロガネさんと話したことすらないんだけど」

「IDか、支払い情報か…住所が筒抜けだったんだ」

「シロガネさんの隣に住むやつが来たのは偶然じゃないと思われたってこと?」

スミレは頭を抱えた。

「でもさ、これ以上あたしに何かしてくるとも限らないんじゃない?」

「ホブスがどれくらい監視できてるかはわからない。でも、もし会話まで筒抜けだったら…」

「今日の会話も聞かれてた…」

「もちろん放っておかれる可能性も十分あると思う」

千歳はスミレを見つめた。

「スミレに判断は任せるよ」

スミレはしばらく考える。

「やろう」

短く強くスミレは言った。

千歳とスミレは向き合ったままどちらからともなく両手とも握り合うと、同時に頷いた。


「ちょっと待って」

大家の部屋へ向かう前に、千歳はシロガネの部屋のポストを覗き込み、手を突っ込んで葉書を取り出した。

手に握られていたのはどこかの銀行のお知らせの葉書だった。

「えーと名前は高橋健二さんか。最悪シロガネさんで押し通すつもりだったけど、本名の方がいいかな」

「なんか慣れてない?」

スミレのつっこみはスルーして大家の部屋へと向かった。

大家の部屋はマンションの一階にあった。

部屋のインターフォンを押し、スミレが名前を告げるとドアを開けてくれた。

大家は見た感じでは50歳から60歳ぐらいの人だった。

「あら、そう。今の若い人でも紙の本なんて読むのね」

スミレが本を貸していたという風に説明すると、大家はそう答えた。

「でもいつの間にそんなに仲良くなったの?」

「ええと、シロガネさんは…」

スミレが若干しどろもどろになってシロガネという呼び方をした。

「シロガネ…?ああ、なんかゲームの。なるほどゲームで仲良くなったのね」

大家は一人で勝手に納得していた。

「私の一存じゃ決められないけど、この間、高橋さんの親御さんが来られてね、息子さんが亡くなっておつらいでしょうに、しきりに恐縮なさって、損害が出たら全部支払うって。いい人そうだったから、部屋から持ち出していいか聞いてあげるわね」

大家はそう言っていったん奥へと引っ込んだ。

「大事なものはもう持ち出してあるから好きにしてくれだって」




スミレの部屋へと戻ってきた千歳とスミレの前には一冊の本があった。

それはシャハッド博士の対談集だった。

「DRSの関係する本ってこれしかなかったけど、何で本なの?」

スミレは本を持ち上げ首をかしげる。

「貸して」

千歳は本を受け取りパラパラとページをめくっていく。

「シロガネさんって、実は大企業の社長だったりセレブだったりしないよね?」

「まあ結構古いこんなマンションに住んでるくらいだから多分ね」

「超お金持ちでも欲しがるものをどうやって手に入れたのか…情報が早いネットとかではないと思ったんだよね」

そこまで言って手が止まる。

本の中の一文にグルグルと丸がついている。

なぜDRSを作ったのかという問いに答える中での『もう一つの宇宙を創る』という一文だった。

「じゃあ、博士に会いに行こう」

千歳は本を閉じた。




千歳は10メートル四方ぐらいの部屋の中に立っていた。真っ黒い壁に青い光の線が模様のように走っている。

個人のパスコードを確認し終えた千歳はロビーの設定を開くと全てデフォルトに戻した。

「ようこそ、DRSへ」

シャハッド博士の姿がそう出迎えた。

「博士」

千歳はそう呼びかけ、例の一文を口にする。

「もう一つの宇宙を創る」

シャハッド博士は一瞬驚いた顔をするが、すぐに平静に戻る。

「何のことかな?」

「とぼけないで下さい!無意味なことを言われたときに驚くAIなんていません」

シャハッド博士は大きくため息をつく。

「誰から聞いたかは知らんが、それは私と色々とやり取りをして、その後、問いかけをした後の答えなんだよ。流れってもんがあるでしょうが」

千歳は予想外に怒られてしまった。

「しかも渡すものはもう残って無くてな。他の試練のヒントでもあげらればよかったけど、今調べたところ、そっちももう無いようだし」

「ええ!?それじゃ困る!」

「困るといわれても…ちょっと待った、私宛の信号が…あいつが残したのか…」

何か言おうとした千歳を手で制して、シャハッド博士は感情を全て抑えたかようにして厳かに言葉を続ける。

「よかったな。卵は残っていて、ある場所にある」

「卵?」

「卵はこのDRSで動作し続けるプログラムの形で存在している。DRS内からの見た目は光る卵といったところかな」

そこでシャハッド博士は射貫くような目で千歳を見た。

「それで、なぜ君はあの言葉を知った?」

千歳はこれまでの経緯を語った。

語るには時間がかかったがシャハッド博士は黙って聞いていた。

「なるほどな、ホブスのやつが…」

シャハッド博士は遠い目をして言った。

「博士、あなたは…」

千歳はいろいろと尋ねようとしたが、博士は手を押しとどめるように出して、千歳の言葉を遮った。

「私はただのAIだ。すまないな、私はこれ以上力にはなれない。卵の場所は教えよう。直通の扉を開こうか?」

千歳は首を振る。

「では、座標を教えよう」

それはコモンの中だったが、中心部からはだいぶ遠い場所だった。

千歳はしっかりと座標を確認して、シャハッド博士に感謝と別れの言葉を告げた。

「そうだ、一応卵について教えておこう。卵は同時には一人でしか使えない。その使用者が望んだ時、また卵の形のプログラムに戻る。卵は見た目の通り脆いから気を付けてくれ」

千歳はシャハッド博士に改めて別れの言葉を告げると、コモンへと移動した。

待ち合わせ場所にはスミレがいた。

「急ごう、時間がない」

スミレは緊張しているようだが、千歳の言葉にしっかりと頷いた。

千歳が卵の場所に設定した扉を開くと、二人は意を決してその扉くぐった。

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