黒白の螺旋蛇(ゴルドー視点)

 さて――

 と、ゴルドー・グランシーザーは試すように目をすがめた。


 けだるげに頬をついた小机の上には、黒檀くろ象牙しろの駒の並んだチェス盤。

 いや、正確にはその色合いに似せて特注された、黒染めエボライズ白塗りアイボライズされた寄せ集めだ。


 贋作、模造品、出来損ないの、紛い物。

 そう呼んで相違ないはずの、しかし一級の技師の手になる遊技盤。

 価値で言えば駒ひとつで小さな屋敷が建つような、贅を尽くし凝らして生み出された、相対する王と軍の戦線である。


 秩序立った二色の世界は、しかし同時に盤面に混沌とした様相を刻んでいた。

 言うまでもなくチェスとは駒の取り合い、奪い合いだ。

 にもかかわらず、両陣営の入り乱れるその局面で、脱落した兵はひとりもいない――


 64マスに32駒、すべてが入り乱れて残存している。

 通常予想される展開、ゲームではあり得ない、駒の取り合いという勝利の観念が抜け落ちた異様な様相。

 それはまるで、縦横に精緻に編まれた綾模様あやもようのようでもあった。


 というより、無垢な童女の手遊びだろうか。

 ルールも知らずに、ただ綺麗に、見栄えがするように駒を並べただけのような、そんながんぜない稚気がこの状況を生んだようにも見える。


 一見混沌めいたこの盤面は、ただの色遊びの秩序の結果なのか。

 前提となるルールが変われば、結果としてのシナリオも当然変わる。


「…………」


 ゴルドーは無言で視線を向けるが、机の対面には誰も座っていない。

 しかし彼は、グラン・シーズヴァニア王国の第一王子は、そこになんらかの気配を感じ取っていた。


 武で言うところの気配でなく、理と知で感じる要素としての影響。

 言い換えれば“影”だろうか。

 向かいの席に姿なく座るのは、その何者かの実体なき写し絵であったかもしれない。


 そんな様を幻視して――しかし、影から似姿を想像するなど、影絵を読むような児戯である。

 鳥になるともオオカミが現れるとも知れない、そんな夢想にふけるのは性ではなかった。

 端的に、趣味ではないのだ。


 ゴルドーが好むのは、実態の分からない霧のようなあやふやさではない。

 自身所有するこのチェスゲームのような、黒と白が刻み込む確かな境界だ。


 その色彩、コントラストと、明白と暗黒の対照性。

 それこそがゴルドーの持つ根源の価値観。

 華々しく誇りを抱く原風景――


 己を“黒”であり“裏”と断ずる。

 その矜持きょうじこそがゴルドーの本質、たったひとつの真実だった。


 かつて、己は人とは違うと悟った。

 王室に生まれた恥の記録、魔法が使えぬ異端の王子。

 だがゴルドーは、それを恥じたことは過去一度もなかった。


 仰々しい儀式の場で、占星と称して魔法属性の適正を視た――水鏡に手をかざし、そこに映る輝きの色で判別する――それが、平民さながらに波紋ひとつ生まぬ無反応だった時。

 王の正当な嫡子でありながら、魔法が使えぬ非才の身と知った瞬間。


 幼いゴルドーの胸を満たした衝動は、“失笑”だった。

 空ほどにも虚ろに、ただ空虚だと、まったく瞬時にそう感じたのだ。


 滑稽だった。目をむく父の顔が。

 憐れだった。床に崩れ落ちる母の姿が。

 興味を失った。祝福を約束された己が身の、その血筋の、いずれ王位と国家を背負って立つと言い聞かされてきた定めに。


 そして、喜ばしかった――不意に降りてくる天啓のように、ゴルドー自身の道が目の前に拓けたのが、その時はっきりと分かったから。


 己が進むべき道はこの先にこそ広がっている――

 この漆黒の、闇と見紛うほどの黒き道こそ我が“覇道”なのだと。


 己の運命と天稟てんぴんを悟ることは幸福だ。

 ゴルドーはそれを信じている、否、知っている。


 才に恵まれず生まれた自分の出自、王家の恥として塗り潰された道程。

 それがなんだ? だからどうした?


 己の真の芯、生まれた意味と理由と価値、過去現在未来に至るまで、すべてを見通し貫徹する為して成されるべきただ1つの在り方。

 なんのため生まれ、どう生きる?

 その答えも持たぬ“白痴の白”どもが、蒙昧ぶりを晒して嗤っているからどうだというのだ?


 ひどく憐れだ。

 不快に思うより先に、幼稚さに微笑みすら浮かんでしまった。


 ゴルドーは魔法が使えない、それは事実だし、生涯不変の欠陥だろうが。

 ならばさりとて、その生を憐れみはかなむなど、命という資源の無駄と浪費。

 すべての命を等しく愛し慈しむ、単純な共通教義ドグマ哲学合理ドクトリンに背くだろう。


 正道も邪道も道は道――

 人の価値とは生まれではなく、歩んだ道のりの長さと時間。

 それが道理、端的な事実で、当たり前だと思うがどうだ、違うのか?


「否定するなら上からでなく、俺の“前”から物を言えよ」


 ゴルドーは王宮にいた頃、陰で嘲弄する蒙昧に出会えばそう説いていた。

 王子の魔法不具という事実は秘匿されていたが(影武者を立てて儀式を済ませ、その影はすぐに王命で始末された)人の噂に戸は立てられぬものだ。

 まあ言われた者は大抵、それを“形ばかりの第一王子”という立場をかさに着た、張子の虎の虚勢だと思ったようだが。

 頭を下げるか嘲り笑うか、どちらにせよゴルドーには的外れだった。


 まだ幼い、10にも満たない子供の言など、誰もまともに聞きはしない。

 だがそれを差し引いても、ひとりとしてその真意を、声に滲んだ失望を感じ取れないほどの目出度めでたい頭の持ち主ばかりとは――


「くだらぬ。つまらん。骨のない虚気ウツケ奴原やつばらが、自分がきよいと思い込んで妄言を撒き散らしている」


 こいつらは駄目だ、とゴルドーは次第に見切りをつけた。

 それは父である国王と、母に対しても同じだった。


 白と黒でしか世界を見れない、ある種の潔癖症、二元論者――


 ゴルドーにとっては魔法の存在こそ、ひいては貴族の貴い血こそ“白”だった。

 それを備えぬ自分を指して、ああ認めよう、それは不具だし不遇であったろう。

 ゆえに己は“黒”なのだ。


 輝ける光の下、影よりなお暗く刻まれた原初の漆黒。

 いうなれば闇だ。

 己をそう定義付けた瞬間、ゴルドーは自身の背負った宿業を悟った。


 王の子でありながら無才として生まれつき、なればこそ、そこには必ずなんらかの意図がある。

 すなわち天意、神とも呼べる何者か、絶対なる者の課した強制意思が。


 ゴルドーの関心はそれのみであり。

 そしてそこには、ふたつの解釈があった。

 王家の“やみ”として生まれた自分が為すべき行い、それは――


 魔法を罪とし、すべての異能をことごとく滅ぼして、“黒”の世界を創り出すこと。


 魔法を救いとし、世にあまねく降り注ぐ光を言祝ことほぎ、“白”の地平の礎となること。


 道はふたつにひとつ。

 明白であるか、暗黒であるかだ。

 それは善悪闘争めいて単純で、だからこそ劇的であるべきとゴルドーは考えていた。


 己の始める聖戦の好敵手は、あんな白痴の蒙昧などであっていいはずがない。

 そんなつまらない器で収まるものかと、全身全霊の魂の底から叫んでいた。


 やがて10年の時が経ち、第二第三の王妃たちがほとんど時を同じくして身ごもった時、ゴルドーは歓喜した。

 運命の胎動を感じ、大いなる期待とともに生まれ来る異母弟たちを祝福した。


 既に王家から放逐され、母もろとも辺境の地へ飛ばされながら、しかしゴルドーの雌伏は約束された栄光への架け橋だった。

 そして確信の通り、双子のように生まれてきたのは男児ふたり。

 第二王子ロッソ第三王子アズリオ――抱き締めたくなるほど愛おしい、待ち望んだゴルドーの宿敵たちだった。


 だから、その生誕と時を同じくして、ゴルドーは本格的な暗躍を始めた。

 舞台を整えた。整然と駒の並んだチェス盤のように。


 とうに洗脳を済ませていた母とその手の者たちを使い、王国の暗部と渡りをつけ、力を蓄え牙を研いだ。

 そして徐々に王国を内側から腐らせ、外側からは毒のように犯して、邪魔者と不純な白を排除していった。


 かつて自身を魔法不具者と嘲った者たちは、その際にひとり残らず抹殺した。

 そこに私怨がなかったと言えば嘘になるが、そうであったとしても、結果として秘匿はさらに強固な余人の知らぬ禁忌として、好都合に変質していった。

 ゴルドーの側にとっては追い風であり、あるいは神風であったとすら思える。


 ご都合主義な考え方だと自分でも思うし、分かってはいるつもりだが、そうでもなければこんな無理筋な手が通るのはおかしいだろう。

 この聖戦には強い意義がある――あるいは大いなる意志は、それをこそ望んでいるのだと、そう信じるし、感じてもいる。

 魂の芯から唱えるなら、それは祈りであり、聖性を帯び、誰に文句を言わせるつもりもない。


 周到かつ迅速に事を動かし、誅殺した貴族たちの富を没収して奪い取り、あるいは彼らを手勢と加えて勢力を拡大した。

 莫大に膨れ上がった資金を使い、国内外を問わず暗躍する暗殺組織とも交渉し、利害の一致から協力関係を結んだのもこの頃だ。


 先方が求めたのは魔法が使える“貴族の血”を引く子供。

 多くの貴族家を破滅させる中で、そういった孤児が生まれる土壌は出来上がっていたし、その中で使えそうな人材をリストアップするのは造作もない。

 その組織は由来を時計の細工師に持つ、“ダイヤル機関”という特殊な暗殺集団だった――


 気高き白の王国を、黒い影でもって蚕食さんしょくした。

 手段は選ばない。

 これは己の全存在を賭けた戦争であり、聖戦だ。

 手心を加えるのは礼を失するし、恥だと心得てもいた。

 相手が10も歳の離れた弟たちといえど、なればこそ時が来るまでに、対等の土俵へ立たねばならなかったのだから。


 白と黒に分かたれた遊戯チェスのように。

 だが、そうであるべきはずが、功を焦って攻勢に出た者がいた。

 誰あろうゴルドーの母、最も近く王に仕える正室が、最大の逆臣として双王子の命を狙ったのだ。


 指し手が席に着く前に駒を動かす。

 それは言うまでもなく反則であり、なによりゴルドー自身の美学に反する。

 手段は問わないが、ルールは神聖にして犯すべからず。

 まして、自分を除け者にして勝手にゲームを始めようなど、たとえ実の母であろうと許せぬ裏切りであり――


「――あなたを、王にしたかった――」


 だが、結末に至れば怒りも失せた。

 母の末期の言葉を、母の側仕えだった女中から伝えられて、ゴルドーはただひとつうなずいた。

 それが母の愛ゆえならば、それが母の王道だったなら、否定はしない。

 大儀であったと、そう伝えられなかったのは残念だ。


 そして時は流れ、さらに10年――

 暗躍を続けるゴルドーの耳に、同時に3つの噂が舞い込んできた。

 それは3人の少女が備えた、特別な魔法しろの力。


 平民、ビアンカ・サマサの治癒の光魔法。

 公爵令嬢、ネーロ・オルニティアの四大魔法。

 そして暗殺者、ルナ・ダイヤルの影魔法――


 いずれも、出自も経歴もバラバラながら、共通項としてあるのは“魔法”の力のある種の異端であること。

 その力を備えたのが、異母弟たちと同じ歳の少女であったこと。

 なにより、たまさかその情報がゴルドーの耳に入ってきたのが、まったく同日の出来事だったこと――


 時は来た。それを直感した。

 ゆえに動いた。迅速に、馴染みの尖兵ポーンを始めに2マス前進させるように。


 少女の内のふたりはロッソたちと深い関わりがあり、ならば、もうひとりも同じ土俵に立ってもらう。

 それがゴルドーの選んだ初手だ。


 綾模様を編むように選んだ計略は、ビアンカの暗殺をルナに実行させ、その罪をすべてネーロに被せるというもの。

 順当に事が運べばビアンカは死に、ネーロは罪を被って破滅して、ルナはダイヤル機関の手の者に始末されていただろう。

 他者からすれば悪辣極まりない企みだろうが、ゴルドーにとってはほんの小手先、小手調べの挨拶に過ぎない。


 だから、そう――異母弟たちへ放った運命の一矢は、狙い過たず、事態を疑惑と混乱の坩堝るつぼへと変えた。

 ゴルドーは高鳴る鼓動と笑いをこらえきれなかった。


 当然だ。

 なにひとつ予想通りに事が進まないのだから。


 影の暗殺者は前触れなく裏切り、癒やしの光はそれに寄り添い、黒い輝きまでがそれに同調した。

 そして今に至るまで、どの駒も脱落していないというこの盤面――

 目の前に置いたチェス盤のように、白と黒は混沌とした秩序の中で、もつれ合って絡み合って、メビウスの輪の螺旋のような意味不明なカタチへ雪崩れ込んだ。


 禁忌の秘匿は次々と暴かれ、ゴルドーのいろが世界へ晒されていく。

 だがそれは同時に、白の陣地に黒の軍勢が押し寄せるための呼び水でもあった。

 それはまさにゴルドーが望み、夢と描いた拮抗し逆転する世界ゲームそのものだ。 


 天命はここにあれり――我こそは黒、悪なる者。

 王国を滅ぼす猛毒となるか、英雄を称えるため打ち倒される怪物となるか。


 問おう、世界よ。


「お前は白か? それとも黒か?」


 聖戦が始まる。

 待ち望んだ満願成就の日が。

 約束された破滅と勝利。

 果たして、天秤はどちらに傾くのか?


 そしてもうひとつ、もうひとりへと問いかける。

 対面の空席に座す、白い駒のゲームの指し手――


「お前は誰だ? 天の使いか、それとも――たまさか紛れ込んだ、ただの羽虫バグか?」


 明確に見えない姿なき敵を見据えて、ゴルドーは片頬を歪めた。

 面白い。

 それもまた天意なら、是非もない。

 受けて立つぞ、全力でかかってくるがいい。

 招かざる客だからこそ、丁重にもてなさねば品なき無粋というものだ。


 名も姿も知れぬ白の指し手――

 すべてを救わんとするその意志しろが、果たしてくろに届くかどうか。


 夜が明ける。

 朝焼けが王国を照らし出す。


「俺は負けんよ」


 なぜなら。


「魔法など、世界には不要だ。そんなものがなくとも人は生きていける。曖昧であやふやで軟弱な奇跡など、俺は信じぬ、縋りつかん」


 そんな世界も・・・・・・どこかに在るのだろう・・・・・・・・・・

 盤面の外・・・・いずこかの世界に・・・・・・・・


 ゆえにことごとく狩り、焼き尽くすのだと――

 ゴルドーは酷薄に、牙をむくように嗤った。


くとしよう」


 とき、あたかも決戦の朝。

 薄闇と薄明かりの混じる中で、ゴルドーは立ち上がった。


 物言わぬ白と黒のチェス盤が、ただ部屋に残された。

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乙女ゲーム世界に転生したらヒロインを救うのは王子様じゃなくて暗殺者の私だった件 ~天才前世と超一流の暗殺者技能で最強、無双、ざまぁ、私TUEEE!!~ NNNN @NNNN5456

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