第19話

 「こちら所長です、スネークさん、聞こえますか?目的地への潜入に成功しました。」


 「普通は潜入するエージェントの方がコードネームですよね。立場が逆になると締まらないなぁ。」


 うっそうとした獣道の中、停車中の車内から上司の話し相手という重要ミッションを遂行する。


 「まあ、巣穴に閉じこもってじっと待つだけっていうのは、ある意味蛇っぽいですが。」


 リクライニングを倒し、ストックしておいた常温の缶コーヒーで喉を潤す。山奥の休憩時間としてはそれなりに優雅ではあるものの、飲料メーカーが20年の間いかに企業努力を重ねてきたかを実感する。正直、この味は物足りない。


 「・・・思ったより苦いな。」


 夏場も過ぎ、空調を切ってもそれなりに快適なスペースから上司の仕事を眺めるだけという状況に、のど越す琥珀の苦みが些かの申し訳なさをかき立てる。しかしまあ、当人が楽しんでいる様子なので問題は無いだろう。


 「スニーキングミッション、って言うんですか?一度やってみたかったんですよね-。」


 似たようなことは一度古見さんのお宅で経験済みのはずなのだが。まあ、当時はスニーキングミッションというよりも、友達の家に着いていく様な感覚だったのかもしれない。


 「それは良かった、僕としてはこの状況は少々心苦しかったので。楽しんで頂けているのであれば、バスの降車ボタンを押さずに幼児に譲ってあげた様なものだと考えておきますよ。」


 「ふふーん、新橋さんもやりたいでしょう?でも残念、ここまで便利な機能は流石に偽装世界に“存在”している新橋さんに適用するのは無理なんですよね~。」


 譲ってあげた幼児から押したボタンを自慢げに見せつけられた。


 「はいはい。楽しいのは分かったから、仕事に戻って下さい。」


 過ごしやすい気候が幸いしたのは、待機を命じられた僕の生活空間だけでは無かった。


 ターゲットの居住する洋館はそれなりに立派なモノだが、周囲の環境もあってか特に警戒している様子も無い。そのためか、居住者の生活する部屋は窓を開放して風通しがされていた。


 自ら扉を開閉出来ない状態の夜風だったが、難なく2階で過ごす薪坂少年を発見する。背後からではあるが、あの時通話の向こう側に居た少年、仮称 卜部うらべ君と少なくとも背格好は一致する。


 「ようやく、卜部さんの3Dモデルと遭遇できましたね。」


 「僕の方はモニター越しの映像なので相変わらず平面です。3Dモデルの力を活かし切れていないのが残念なところですね。」


 とはいえ、後ろ姿は初めて確認したことになる。分かってはいたが、例え過去の記録であっても、確かに存在した人物なのだと、実感する。


 一方の夜風は、視認されない存在であるのを良いことに卓上の卜部君の様子をのぞき込む。いや、この薪坂少年が彼と同一人物であるか、まだ定かではないか。


 夜風がのぞき込む距離感には余りにも遠慮が無いため、モニター越しの僕からもはっきりと確認できた。


 「どうですか所長、何か気づいたことなどありますか?僕にはただ勉強を進めているだけの様に見えますが。まあ、特殊な事情があったとしても、四六時中怪しい行動をとっていることは無いですよね。」


 「それはそうなんですけど、新橋さん見て下さい。この問題、高校数学ですよ。」


 確かに、見覚えがある数式は高校数学、それも理系を選択しないかぎり縁のないものだった。小学校高学年程度に見える少年との対比には違和感がある。


 「見る限り、ちょっと背伸びして格好つけてるだけ、とかじゃ無いですね。ちゃんと解いてます。やっぱり新橋さんより優秀な方なのかもしれません、これはいけ好かないお子様ですね。」


 「いけ好かない、なんて現実で使う人初めて会いましたよ。」


 ついでに言えば、子供相手に対抗心をあおり立てるのはどうかと思う。


 「そうですか?わたし時々言われますよ。」


 「それはまあ、私生活を改めた方が良いんじゃ無いですかね。」


 「はい。なので、最近はそういった了見の狭い方にはすっかり遭遇しなくなっています。」


 普通そこは態度を改めるところなのだが。しかし実際、この小悪魔に掛かれば“その類いの人物”を遠ざけることなど造作もないのだろう。


 もう少し少年の様子を探ろうかと言うところで、インターフォンの音が響く。おそらく、都合良く扉が開いていたのは換気のためだけでは無かったのだろう。


 空き部屋のベランダからエージェント気取りで侵入した夜風を差し置いて、玄関から堂々と来客が訪れた。


 「先生、佐野さんが到着されました。」


 「ああ、あがって貰いなさい。」


 少年が来客を迎え入れ、三ヶ木氏に報告する。


 佐野と呼ばれた人物は、どうやら家事手伝いで雇っている使用人の様だ。三ヶ木氏に軽く挨拶をすると、夕食の食材を冷蔵庫に詰め、まずは各階の掃除に取りかかる。


 夜風はというと、薪坂少年と三ヶ木氏のどちらを追跡するか天秤に掛け、ひとまず三ヶ木氏に取り憑くことにした。


 「悪霊みたいに言うのやめてもらえます?悪魔なんですけど。」


 というのは、どちらに憑くか尋ねた僕への抗議なのだが、浮遊しながらゲームのキャラクターの様に付いて回る様はゴーストそのものだろう。追いかける相手がこちらを振り向いている間、両手で顔を覆っていたりなどすれば完璧だ。


 ただ残念なことに、もう一人のターゲットである三ヶ木善市氏もまた、取り憑き甲斐の無い生活を送っていた。事前に調査した情報通りというか、新たにこちらの目を引く様な行動には巡り会えなかった。


 「はあ、退屈ですね。」


 件のゴーストは早くも現世への未練を見失ってしまったらしい。


 「張り込みや潜入捜査なんて、そんなもんでしょう。飽きるの早すぎませんか?」


 使用人の佐野と呼ばれた女性が各階の清掃を進める間、三ヶ木氏はと言うと、取り寄せたと思われるジャーナルに目を通していた。英文の専門誌となると自分にはさっぱり内容が分からないが、夜風によれば事前に調査した人物像と照らし合わせても違和感は無いらしい。


 つまり、脳科学か情報工学の学術誌のどちらかだろう。


 「三ヶ木のおじ様、雑誌読みながらでも良いのでテレビとかつけたりしませんかねぇ。」


 勉学に励む少年と研究熱心な初老男性に対し、我々潜入班の堕落ぶりが光る。潜入先で無遠慮にエンタメを要求する上司もそうだが、それを眺める僕もまた、リクライニングの角度が進行していた。


 「確かに退屈ですけど、これも一つの収穫と考えましょうよ。少なくとも、僕たちがここまで調べた情報に間違いはなさそうだってことと、日常では普通に生活している事が分かったんですから。」


 「新橋さんは前向きですねぇ。応援しているスポーツチームが負けても良かったところを探すのが上手なのでは?」


 「心当たりはありますが、負け慣れている様な評価は若干心外ですね。」


 そして、それを否定しきれないところも、また心外である。


 結局、食事までの間に事件性のある動きは皆無だった。家事手伝いの人物は、食事の前に2人に入浴を促すと、その後は彼らが食事を進める間に風呂掃除を済ませ、手際よく片付けまで終えて去って行った。


 ニュースには出て居なかった人物ということで警戒してみたものの、ここで離れると言うことは、事件とは関係無い人物ということだろうか。


 「先生、佐野さんご帰宅されました。」


 手伝いの女性が確かに帰宅したことを確認し、薪坂少年が三ヶ木氏に報告する。白髪の交じる男性は一言承知した旨声を掛けると、席を立った。


 静かな足取りの三ヶ木氏の後を薪坂少年が追う。どこに向かうか定かでは無いが何やら独特の空気を感じさせる。考えてみれば、半日追跡していて二人が行動を供にするタイミングは、これが初めてだった。


 どうやら、ここからが本題らしい。


 「結局、昼間から張り付いていた意味はなかった見たいですね。無駄足でした。」


 いよいよだと言うのに、夜風がここまでの追跡に飽きたかのように愚痴を漏らす。


 「事前に探りを入れるなら、数日くらいは様子を見るべきだったかもしれないですね。」


 「えー、疲れるじゃ無いですか。それに、ここまで何事もなかったおじ様の観察を何日も続けるなんて正気じゃありませんよ?」


 それはそうなんだが、とことん探偵稼業には向いていないな、僕たちは。

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現代悪魔の実験ノート2 怪奇検証 @vanlock

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