9章-6
生徒玄関を出たところで恵美を待たせ、光一は駐輪場に自転車を取りに行った。登校時、ぎゅうぎゅうに詰まっているところに無理矢理押し込めた彼の自転車は、今はがら空きになったスペースに横倒しになっていた。光一は舌打ちしながら自転車を起こした。
運動部がグラウンドでランニングするかけ声が聞こえてくる。それは物理的にも心理的にも遠い出来事のように感じられた。もはや自分はそこに身を置くことはできないのだという現実が光一を切ない気持ちにさせた。
……早く恵美のところに戻ろう。あいつは待たせるとうるさいからな。
光一が自転車を引いて駐輪場を出ると、校門前に恵美の姿が見えた。
恵美は何やら誰かと話をしているようだ。その相手は学生服ではなく、白い練習用の野球のユニフォームを着ている。
「恵美、どうしたんだ?」
「あ、光一……」
光一が声を掛けると、はっとしたように恵美は振り向いた。それはまるで、別の男との逢い引き現場を見つかったかのような気まずい表情をしている。
いったい何事かと思い、光一は相手の顔を見た。
「新山……」
そこにいたのは光一の野球部の後輩で、現キャプテンの新山博久だった。
「チィース」新山は運動部特有の短い挨拶をする。
そして、二人は互いの顔を見つめたまま黙り込んでしまう。
夏休み中、光一が後輩達に無理矢理練習をやらせて顰蹙を買い、部室で怒り任せに新山を殴って以来の再会だった。その時のわだかまりがまだ二人の間に残っていた。
「あ、あのね――」恵美は気まずい雰囲気の二人を取りなすように言った。「わたし、新山君にビンタしちゃったこと謝ったところなんだ。光一もそうしたら? 新山君だって悪かったと思っているだろうしさ。いいかげん二人とも仲直りしなよ」
懸命に二人を取りなそうとする恵美に対し、光一と新山は黙ったままだ。
やがて、その沈黙に耐えかねたように光一は二人に背を向け、自転車を引いてその場を立ち去ろうとする。
「光一……」
恵美が悲しげな顔で見送ろうとしたところ、
「澤崎先輩!」
意を決したように新山が声を掛けた。光一は足を止めて振り返る。
やや間を置いてから新山は言った。「俺はあの日のことを謝る気はないですから」
「に、新山君!?」
新山に文句を言おうとする恵美を光一は遮る。
「別にかまわないさ。悪いのはむしろ俺のほうだ。あの時の俺は、お前が指摘した通りの心理状態だったからな。お前たち後輩に迷惑かけてすまなかった」
光一の謝罪を「そうすか」と平然と受け入れた新山は、さらに続ける。
「でも、コーチしてくれること自体は迷惑じゃないんで。他の連中はどうか知りませんけど、俺は歓迎します。何だかんだ言って俺は行きたいですからね、甲子園」
「そうか……」
「言いたいことはそれだけです。ロードワークの途中なんでこれで」
新山は軽く頭を下げると、走って去っていった。
「よかったじゃない。受け入れてもらえてさ」恵美は小さくなっていく新山の後ろ姿を見つめながら光一に言った。
「どうだかな」光一はそっけなく答えたものの、その顔は嬉しさを隠せなかった。これで自分の居場所を取り戻せたわけではないものの、それでも繋がっていられるという喜びを感じずにはいられなかった。
「どうする? さっそくこれから練習を覗いてく?」
そう尋ねる恵美に、光一は頭を振って、
「いいや、今日はやめておく。いきなり行ってもまた顰蹙買うばかりだろうし、それに今日はお前の買い物に付き合うことになっているからな」
光一はひらりと自転車に飛び乗ると、少し錆びているリアキャリアを指差した。
「ほら、乗れよ」
「え……いいの?」
戸惑いながら聞く恵美に、光一は「当たり前だろ」と答える。
「せっかくの自転車だっていうのに、乗らずにちんたら引っ張っていたら宝の持ち腐れだろうが。よく三島たちを乗せて走っていたから、二人乗りはお手の物だぜ。少なくとも、河合の車よりは安全だぞ」
「わかったよ」恵美はリアキャリアに腰を下ろすと、恐る恐る光一の腰に手を回した。
「よし、しっかり捕まってな」
光一は勢いよく自転車をこぎ出した。段差でがくんと車体が揺れ、恵美は思わず「きゃっ!?」と小さな悲鳴をあげる。
自転車は歩いている生徒の間を軽快にすり抜け、校門の外へと飛び出した。風が髪をさらっていく。
「いい気持ち……」片手で髪を押さえながら恵美は呟いた。
「何だって?」
「もっとスピードを上げてって言ったの!」
その返答に、光一はにやりと笑った。
「よし、しっかり掴まってろよ!」
「うん!」
恵美は腕に込める力を強めた。光一の背中に頬が密着する。少し汗ばんでいて、そしてとても暖かかった。
二人の乗せた自転車は軽快に坂道を下っていった。
夏の終わり 大里トモキ @osatotomo
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