他人は五世
きっかけは、ほんの些細な一言だった。ペンのインクが切れたり、借りたかった参考書がちょうど借りられていて無かったり、そういう不運の積み重ね。
相変わらずだなあ、なんて思って気が抜けていたんだと思う。だから郷美ちゃんが「ついてないね」と声をかけてきた時にも思わず本音を漏らしてしまったのだ。
「呪われてるからね〜」
冗談めかした、さらりと受け流されそうな一言だったと思う。学校の友達とかなら笑って済ましてくれたんじゃないかな。けれど、郷美ちゃんは違った。
「なにそれ」
今まで聞いたことのないくらいの硬い声にゆっくりそちらを振り向けば、そこにはくりくりとした目を険しく尖らせている郷美ちゃんの姿があった。
「相手はどこの誰。桔梗ちゃんにそんなことするなんて許せない」
私よりずっと小柄なのに溢れ出る有無を言わなさい迫力に気圧されて、私はおずおずと口を開く。
「いや、郷美ちゃんにも迷惑かかるし……」
冗談だよ、と言ってあげれば良かったと気づいた頃には郷美ちゃんは私の手を強く掴むとずずいと顔を寄せて言い切ったのだった。
「その人のところに案内して!」
「私がガツンと言ってあげるからね!」
そうして今、私と郷美ちゃんは塾の終わりに二人で連れ立って将門首塚に向かっている。そもそも郷美ちゃんに将門は見えるんだろうかとか幽霊相手にどうするんだろうとか疑問は尽きないけれど、口を挟むことも許されないくらいの勢いが彼女にはあった。
そして何より、首塚に向かうにつれて彼女の怒気は膨れ上がっているように見える。なにがそんなに彼女を駆り立てるんだろうか。
もしかして、そこまで私のこと友達だって思ってくれてるのかな。
そんなこと考えたタイミングでついに辿り着いた将門首塚。さてなんて説明しようかと口を開いたタイミングで郷美ちゃんは地の底を這うような声を上げた。
「…………やっぱり」
やっぱり?
「ねぇ、それって」
どう言うこと?
その言葉を口にすることは叶わない。それこそ地獄の釜を煮詰めたみたいな声がその場に鳴り響いたからだった。
「秀郷、てめえ」
その言葉と共に姿を現した将門はそれこそ怨霊然とした、今にも人を殺しそうな形相をしていた。
その姿にさっと血の気が引いていくのがわかる。もしかしたら郷美ちゃんも首を絞められて今度こそそのまま殺されてしまうかも。
私は縋るようにぎゅっと郷美ちゃんの手を握る。けれど殺気を向けられた当の本人は私の手を握り返すと、怯んだ様子もなくハキハキと言葉を発した。
「まだお前この人を諦めて無かったのか。さっさと諦めて成仏しろ。そして二度と僕らに迷惑をかけるな!」
じろりと私と郷美ちゃんに視線を向けた後、将門はギラギラとした瞳のまま口を開く。
「テメエになんで指図されなきゃならねえんだよ」
「ね、ねえ」
あまりにも険悪な雰囲気に思わずあげた声は少し震えていて、なんだかカッコ悪かった。
二人はまだピリついた雰囲気を残しつつも私の方に視線を向ける。だから私は深呼吸するとゆっくりと問いを口にした。
「二人って知り合いなの?」
そうすれば将門は未だにぎらついた視線のまま、淡々と答える。
「コイツは藤原秀郷。俺を殺した張本人で……桔梗姫の弟だ」
「おい、なんで言うんだ」
その答えに色を失ったのは郷美ちゃんの方だった。その様子がおかしいのか、将門は嘲りの笑みを浮かべたまますらすらと言葉を並べる。
「友人だなんてお笑い種だな。お前の側にいるためなら手段も選ばねえんだろ。あの頃からちっとも変わらねえシスコン野郎め」
「いつまでも成仏しない粘着質な負け犬に比べたらマシだろ」
その言葉に改めて戦いの火蓋が切って落とされたらしい。将門は郷美ちゃんの長い三つ編みを掴むとぐいと自分の方に引き寄せる。
「っ……!」
郷美ちゃんの正体だとか話し方とか気になることはいっぱいあるけれど、私は慌てて二人の間に割って入ると彼女を抱きしめた。
「やめて、私の友達に酷いことしないで!」
そうすれば殺気だっていた将門のザクロ色の瞳が大きく見開かれて、そうして不満げに細められる。
「…………またかよ」
また?
そう一言呟くと、将門はぱっと郷美ちゃんのおさげを離した。彼女は彼女で暴れる気満々だったのか、振り上げていた拳をゆっくりと下ろしていく。
「姉さん……ありがとうございます」
そうしてそのまま庇った私をぎゅうと抱きしめた。だから私は抱きしめ合ったまま、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「ごめんね、郷美ちゃん。私は自分が桔梗姫かどうかわからないし、あなたのことを郷美ちゃん以上には見られないよ」
私の言葉にゆっくりと郷美ちゃんは体を離す。さっきまでの「秀郷」である彼の影はすっかりなりをひそめていた。
「えっと……桔梗ちゃん。今まで黙っててごめんね」
そうして紡がれたのは友人である彼女としての言葉。
「もちろん、桔梗ちゃんが姉さんに似ているって言うのもあるけれど、私はただの桔梗ちゃんも好きだよ」
その返事に私の身体からゆるゆると力が抜けていく。ただの桔梗。ただの私。
それに価値を認めてくれるって言うんだろうか。
「私も今はもうただの郷美だから」
彼女のセリフに返事するように、後ろから盛大なため息が聞こえて来る。それは将門の嘆息だった。
「ふざけるなよ、やりづれぇな……」
毒気を抜かれたのか、将門からはさっきまでのピリピリとした雰囲気は感じられなかった。
自分を殺した秀郷は許せないけれど、生まれ変わったただの郷美ちゃんを殺すのは気が引けるんだろうか。
とにかく二人が喧嘩するような事態は避けられてよかった。
「けどそれとこれとは話が別だろ。桔梗ちゃんに対する祟りを即刻やめろ」
私へのしおらしい態度はどこへやら。郷美ちゃんはイラついた様子で将門につっかかってみせる。一方の将門はハンと鼻で笑うと私の方を指さした。
「やめるも何も、コイツから祟れと言い出したんだ」
「なんでっ?」
弾かれるようにこちらを向く郷美ちゃんから視線をサッと逸らす。将門からも追及するような視線が飛んできて、私はしばらくの逡巡の後、もごもごと口を動かした。
「秘密っ……私もう帰るね!」
「嘘でしょう、姉さん。待って!」
そのまま逃れるように踵を返す私を郷美ちゃんが追いかける。それが情けなくて面白いのか、珍しく将門は愉快げに笑うと私へと言葉を投げかける。
「もう来るなよ」
それはいつも通りの言葉のはずなのに、やけに私の耳の中でリフレインしたのだった。
翌日は、塾の講習のない日だった。本当ならゆっくり家で休んだり復習をした後はすぐにベッドに入るべきなのだろう。
それなのに私は日も沈んだあと塾の最寄り駅に足を運んで、将門首塚に訪れていた。
そんな私の姿に気づいて、そして私の手に持ったものに気づいて将門は目を丸くする。
「……お前に献花の概念があったのか」
「馬鹿にしないで」
私が手に持っていたのは小さな菊の花束だった。そんなに大きなものは作れなかったけど、お供えならこれで十分だろう。
「どういう風の吹き回しだ?」
「気分」
将門の声色にからかうような、不思議そうな色が混じっているのが恥ずかしくって私はぶっきらぼうに答えを返す。
あれからずっと考えていたのだ。将門のこぼした「またかよ」ってどういうことなんだろうって。
そうして昨日お風呂に入っていた時にはたと考えが至った。以前耳にした桔梗姫と平将門の伝説。
桔梗姫は弟と夫を天秤にかけて、弟を選んだ。
その時のことを思い出してしまったんじゃないかって。
それでもしかしたら、傷つけてしまったんじゃないかって。
私は私だし、桔梗姫かどうかわからない。代わりにはなれるけど本人にはなれない。だから私が謝るのはお門違いだろう。
けど、だからって傷つけて良い理由にはならない。だって、大人だって傷つくのだもの。
そうしてうんと考えた末に捻り出したのがコレだった。
「気分か」
そう言ったきり、将門は何にも言わずに嫌がらせみたいに私のお団子をぐしゃぐしゃに乱してくる。それは気に入らないけれど、それ以上の追及は許してくれたらしくって私は内心でほっと溜息をついた。
「……呪われてどういう気分だ?」
けれど代わりに一つ問いを投げかけられる。そんなの一つに決まっているだろう。
「最悪」
呪われて祟られて嫌な気分にならない人はいないのだから。
私のその答えに将門は怪訝そうに眉を顰めた後、やっぱりため息を吐いた。
「そうかよ」
「うん」
その言葉を皮切りに、私は帰るべく出口に足を向ける。それを見送る将門は何か言いかけて、やめる。
「もう来るな」
そうしてやっぱりお決まりのセリフを口にするものだから、私はいつも通り無視してやるのだった。
夜風が少しずつ、涼しくなってきた頃のことだった。
骨の髄まで憎んでね 折原ひつじ @sanonotigami
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