親子は一世

 なにか嫌な予感がする、という虫の知らせは大体当たってしまうのが世の常だ。もっとも私は今「祟られている」ので、嫌な予感も何もないんだけれど……

「桔梗ちゃん、体調悪い?」

 そんなことを思っていたせいだろうか、不意に郷美ちゃんが気づかわし気にこちらを覗きこんでいるのに反応が遅れてしまった。

「え、ううん。大丈夫だよ」

 塾の帰り、私と彼女はこうやって一緒に帰ることが多くなっていた。郷美ちゃんとは色んな話題で盛り上がることが出来て、一緒にいると結構楽しい。同い年だけれど妹みたいで可愛く思えた。

「あ、私今日用事あるから……」

「うん、また明日頑張ろうね」

 そう言って彼女と別れて、私は首塚に向かう。辿り着けばそこにはやっぱり将門がいた。

「こんばんは、将門」

「また来たのか」

 呆れたような将門に向けていつも通りのやり取りをする。けれど、将門は不意に目を丸くすると私の方を指さした。

「おい、桔梗。そいつは誰だ?」

 ううん、私を指さしたんじゃない。私の後ろを指さしているのだ。その言葉に恐る恐る後ろを向けば、そこにはミルクティー色のロングヘアーの女性が立っていた。

 瞳もカラコンを入れているのか色素が薄い。全体的にはかなげで、夜闇に浮かび上がる様はなんだか幻想的だった。大学生くらいだろうか。少しお酒の匂いがして、飲み会の帰りなんだろうなということがうかがえた。

 その女性はぽかんとしていたものの、すぐさまおずおずと将門に向けて語り掛ける。

「あなたが、平将門ですか?」

「……だったら、どうした?」 

 その女性に向けて将門はじろりと厳しい視線を向けた。その姿はこの人が怨霊なのだということを私に思い起こさせる。そんな目を向けられたら、震えあがってしまうんじゃないだろうか。

 女性はと言えば、しばらく震えて俯いていたかと思うとよたよたと将門の方へと歩み寄る。そして彼の手を掴むと勢いよく顔を上げて叫んだ。

「ずっとお会いしとうございました、父上!」

「は?」

 思いもよらぬ言葉に私も将門もフリーズしてしまう。父上って言ったよね。今この人。ということは将門の娘さん?

 そんな疑問に答えるように、酔っているせいかテンション高めに女性が声を張り上げる。

「私ですよ。五月です」

「五月姫……?」

 将門は訝し気な様子を隠すこともなく、五月と名乗ったその女性をねめつける。そしてしばらくの逡巡の後「お前みたいな女は知らない」と吐き捨てた。

「そんなぁ、あなたの娘の五月ですよ。よく見てください」

「俺の知っている五月はもっと賢そうだった。そもそも顔が違う」

 遠慮のない一言に対しても五月さんは怯んだ様子はない。相変わらずにこにこと笑顔のまま将門の腕に腕を絡めた。

「でしたらもっと賢くなりますね。整形もすればいいですか?」

「いい、いい。かまうな」

 強く当たっているにも関わらずまったく退く様子のない五月さんに、将門も扱いに困っているらしい。可哀想だけれど私にもどうにもできなくて黙っていれば不意に五月さんがこちらに視線を向けた。

「ところで父上、あの方は?」

 五月さん……つまり将門の娘さんからすれば私の存在は非常に迷惑なんじゃないだろうか。そう思っておもわず視線を避ける私を、将門は何でもないことの様に告げた。

「あいつは……桔梗。桔梗姫に似てるけどただの桔梗だ」

 その言葉がちく、とわずかに胸を刺す。それはそうだろう。私は生まれ変わりなんて信じていないし、彼女の代わりになると言っただけ。それでも彼の中では別人なのだと思えばなんだかおなかの底がそわそわして落ち着かなかった。

「桔梗姫?」

 けれどそんなことを言っている場合ではないらしい。五月さんは先ほどまでの笑顔はどこへやら、驚愕の表情でこちらを見つめる。

「父上、まだあの女がお好きなんですか?」

「誰が自分を裏切った女なんて好きかよ」

 そして私を見て、私の制服を見て、彼女は吊り上げた眉をようやく下げた。どうやら怒りは静まったらしい。その代わり今度は不思議そうな顔でこちらを見やる。

「こうやって集まっているということは、つまり桔梗さんも父上のファンなのですね?」

「いや、私将門のこと全然知らないし……」

 授業で習ったこと以上のことは全く知らない。そのことを素直に伝えれば今度こそ五月さんは声を荒げた。

「なんですって!」

 そして私の手を力強く掴むと、五月さんはぎらぎらとした目で見つめながら告げる。

「桔梗さん。このあとちょっと付き合ってください!」




 お父さんに「今日は友達と食べて帰るね」と連絡をする。それを終えて携帯を伏せたタイミングで、頼んだ飲み物が運ばれてきた。五月さんはアイスコーヒーに口をつけると、そっと口を開く。

「桔梗さんは、今おいくつですか?」

「えっと……十五、です」

 敬語の拙さがおかしかったのか、五月さんはくすりと笑って「ため口でいいですよ」と言ってくれた。

「じゃあ、父上について少し勉強はしてるんですね」

「うん……五月さんは、将門のファンなの?」

 私もジャスミンティーに口を付ければ、華やかなお花の香りにほっと肩の力が抜ける。それを見届けてから、五月さんは語り始めた。

「私は小さい頃から歴史が好きで、特に日本史の……平将門の部分が好きでした。そして中学生のころからずっと研究を続けている内に、気づいたんです」

 そのヘーゼルの瞳にうっとりとした色が浮かびあがる。それは恍惚、という他のない感情だった。

「私が平将門の娘だったってことに!」

 そのあまりの思い込みの激しさがまぶしいくらいで、私はごくりと唾をのむ。どうしてそうなったの、とか証拠はあるの、とかいろんな言葉が頭をよぎるけれど、そんなことを言うのは野暮なくらい彼女は幸せそうだった。

「それに気づいてからはもっとずっと彼を知りたくって、私は今大学で彼について学んでいるんですよ」

「……大学、楽しい?」

 話題に出てきた大学について尋ねれば、五月さんはきょとんとしたあと朗らかに笑う。

「大変な授業もありますけど、やっぱり好きなことをしているのは楽しいですよ」

 やっぱり五月さんがまぶしくって、私は自然と俯いてしまった。そんな私に彼女が優しい声をかける。

「桔梗さんは、父上のことはよく知らないんですよね?」

 その言葉にこくりと頷けば、五月さんの華奢な指が私の指に絡められた。

「父上は悪い人だと言われがちだけれど、そうじゃないんです」

 そうして彼女なりの平将門像……正義感が強かったがゆえに朝廷に楯突いたという説や、奥さんを巡った義父とのいさかいが原因である説など様々な話が簡潔に彼女の口から語られてゆく。

「これは勝手な私の想定ですけれどね、父上は元は優しい人だったと思うんです。ほんとうに、ただの希望ですが……」

 その言葉に、私の知っている将門の姿が脳裏をよぎる。ぶっきらぼうだけど、私のことを無理に追い出したりしない人。でもちょっぴり冷たくって不思議な人。考えれば考えるほどあの人の思惑が分からない。

「私、全然何も知らないや……」

 将門のことも、将来のことも。

 つないだ指をもじもじと動かしながら私がそう呟けば、その言葉を聞いた五月さんがくすりと笑みを漏らした。

「それなら、これからいろんなことを知ればいいんですよ。父上のことも、他のことも」

 私に、知れるのだろうか。

 そんな不安を口にしようとしたタイミングでハンバーグが運ばれてきたからこの話はそこでおしまい。

「それじゃあ、いただきましょうか」

「うん……ありがとう」

 もそもそと口を動かしてお礼を言えば、やっぱり五月さんは輝くような笑みを浮かべる。

「父上のお友達ですから!」

 その言葉に思いっきりむせながらも和気あいあいと雑談は続いていったのだった。




「それで、どうしてまた来てるんだよ?」

 そうして翌日、また五月さんは将門の元を訪れていた。

「そんなぁ。ご迷惑ですか?」

 たれ目がちの瞳をうるうると潤ませて縋りつく五月さんに、どうやら将門は強く出られないようだった。迷惑だともそうだともはっきり言えないまま、口をもごもごと動かして眉を顰める将門の姿が面白くって、追い打ちをかけてやる。

「いいじゃない。別に将門の事嫌ってるわけじゃないんだし」

「……お前、他人事だと思って」

 じろりとザクロの瞳が向けられるけど、女の子一人に強く言えない怨霊なんて怖くもなんともない。

「良かったね。好きだって言ってくれる人が出来て」

 だからからかうようにそう伝えれば、今度こそ彼は片手で顔を覆って大きなため息を吐いたのだった。

「もう、良い。好きにしろ」

 その言葉にきゃあと五月さんが歓喜の声を上げる。

「やったぁ、父上愛してます!」

 こうして夜の将門首塚はますます騒がしくなってゆくのだった。

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