あなたに私の人生を捧げます
ザパァ・・・
川は結構深かった。
まぁ深くなかったら、橋から落ちた時に怪我をしていただろうけど。
ここは、繁華街から離れた下流の橋の下。
英治は川岸に這い上がって来た。
正直危なかった。
ジャンパーが体に張り付いた上に、いろんなものを装着していたので泳ぎにくい。
危なく、溺れるところだった。
川から上がり、よろよろと這って橋の下の遊歩道に移動し座り込む。
4月。まだ水温は低く寒い。
ガタガタと震える。
だが、この震えは寒いだけではない。
ジャンパーのジッパーを開き、体にガムテープで巻きつけたものを外していく。
お腹にフライパン・・・そして分厚い雑誌を何冊も。
銃弾の一発はフライパンに当たった痕があった。へこんでいる。
もう一発は・・・どこだろう。
英治はポケットから取り出した缶コーヒー。
上部がひしゃげて、コーヒーが漏れている。
おそらく、上部の接合部の硬いところに偶然、銃弾が当たり軌道をそらしてくれたのらしい。
コーヒーのシミがジャンパーに黒く広がっている。
これも血液のように見えただろう。
まさか、後ろから撃たれるとは思っていなかった。
”本当に、死ぬところだったんだな・・・”
今になって、恐怖が襲ってきた。震えが止まらない。
怖かった・・・本当は怖かったのだ。
銃で撃たれたとき。スーツの男はためらいもなく撃ってきた。
明らかに、英治を殺すつもりで。
いままで、いろいろな事件に立ち向かったが英治に明確な殺意を向けられたことはなかった。
それが・・・明らかに、殺すつもりで撃たれた。
その殺意・・・
今さらになって恐怖となったのだ。
今回は、何とか生き延びることができた。でも次は?
「・・・・見つけました!」
突然声を掛けられた。
遊歩道を走ってきて、ゼイゼイと息を切らす楓だった。
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楓が、英治を探して橋まで来た時。橋から人が落ちて行くところ。
あの落ちて行く人影・・・ジャンパーに見覚えがあった。
慌てて橋の上に行って下を見る。
水面には誰も見えない。
周りを見回しても、座り込んで真っ青な顔でガタガタ震える初老のタクシーの運転手しかいない。
楓は走り出した。
あの少年は下流に流されているはず。
探さなきゃ!
下流に向かって、遊歩道を走っていく。
運動不足なので、すぐに息が切れる。
でも、そんなこと気にしていられない。
あぁ・・呼びかける名前も知らない。
声を上げて探すこともできない。
ただ、走っては水面を見る・・・走っては水面を見る・・・の繰り返しだった。
やがて、次の橋が見えてきた。
遊歩道は橋の下をくぐる。
その橋の陰に、人影があった。
走っていくと・・・あの少年だった。
ずぶ濡れで・・・真っ青な顔で座っている。
「見つけました!」
思わず、抱きついた。
ずぶ濡れの少年。楓も濡れる。
だけど、かまわなかった。
生きてる・・・よかった・・・
「どうして・・・どうして、こんな危険なことをするんですか?私の時もそうだけど。今回も誰かを助けるために危険な目にあったんでしょ?」
強く抱きしめる。
少年は・・・震えていた。ガタガタと・・・青い顔をして。
「こんなに震えて・・・」
楓は泣いていた。ボロボロと涙を流して。
英治も泣いていた。
「怖かった・・・怖かったんです・・」
「こんな危険なこと、なんであなたがする必要あるんですか!?」
「子供の頃・・・目の前で母が死んだんです・・・」
「え?」
「本当に目の前で・・・手を伸ばせば届くところで・・トラックに轢かれて・・・」
英治はつぶやくように言った。
「車が来るとわかっていたら手を伸ばして助けられた・・・なのに目の前で・・・」
あの時。目の前で笑っている母親がいきなり消えた。
目の前の歩行者信号は青だった。
母と一緒にいた自分は助けられなかった。
信号を無視してトラックが走ってきているとわかっていれば母を助けられたのに。
トラックが来るってわからなかった。
では・・・もし知っていたら?
「もう、僕には誰かが死ぬとわかっているのに何もしないなんてできないんです。せめて手の届く範囲の人は・・・それだけなんです」
涙を流しながらつぶやく少年。
ガタガタと震える少年を、楓はギュッと抱きしめた。
「知っているのは僕だけなんです・・・だから・・僕が何とかしないと・・」
「私にも・・・私もあなたと一緒にやらせてください・・何ができるかわからなけど」
楓は少年に、はっきりと言った。
楓は思った。
私は、この少年に救われた。きっと他にもいるのだろう。
でも、この少年は・・・孤独に戦ってきたんだ。
怖くても、苦しくても一人きりで。
自分は、2度もこの少年に命を救ってもらった。少年がいなかったら、もうこの世にはいないだろう。
両親はすでに他界し、親戚もいない。生涯孤独の身。ならば・・・
楓は、少年の正面に移動し、少年の手を取って言った。涙を流しながら。微笑んで。
「ねぇ・・あなたの名前を教えて?お願い・・」
「僕は・・・時田英治です・・・」
松下楓は時田英治の前で跪き。手を取って言った。
「私は、時田英治さんに私の人生すべてを捧げます。もう2度も失うはずだった命ですもの。惜しくはないです。
お願いです、私を英治さんの仲間にしてください」
涙を流しながら、英治に誓う楓。
それは、まるで中世の騎士のように。
「うぐっ・・うぐっ・・・ありがとう・・」
英治は、涙を流し震えながら言った。
本当は怖かったのだ。苦しかったのだ。いままで、孤独に耐えてきたのだった。
顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
楓は英治を抱きしめた。
「これからは、私も一緒・・・お願い・・・苦しまないで・・・」
オーバークロック、最初の仲間ができた瞬間であった。
ヒーローの苦悩 三枝 優 @7487sakuya
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