エピソード 1ー5

 ダンスの誘いに応じたロゼッタは、ダンスホールへと向かう前に俺へ視線を向けた。


「ノエル、待っていてくださいますか?」

「私のことなど気にせず、ゆっくりと踊ってきてください」


 俺は笑顔で応じ、二人がダンスホールに向かうのを見送った。

 ……一時はどうなることかと思ったが、結果的には良かったのかもしれない。

 ルシアがやらかしたことでロゼッタにも責が及ぶのではないかと心配したが、ラッセル王子は自分と踊ることで不問にすると明言した。

 ロゼッタを批難する意図がないことは明らかだ。


 結果的に、立場をなくすのは教育不足のルシアと、その母親であるオリビアだけ。王子から好意を得たロゼッタはもちろん、その父であるラスティローズ侯爵も被害は少ない。

 ラスティローズ侯爵の場合は、娘二人を合わせて少しの痛手と言ったところだろう。


 その上で、この件が耳に入ればラスティローズ侯爵も真実に気付くかもしれない。少なくとも、ルシアの嘘に騙され、ロゼッタとラッセル王子の婚約をふいにすることはないだろう。


 問題は、ロゼッタとラッセル王子の関係だが――と視線を向ける。

 ダンスホールの端にあるテーブル席付近に移動して、二人が踊り始めるのをも見守る。この国の第二王子と、侯爵令嬢のダンスに否が応でも視線が集まっていく。


 ホールドを取り、大きなスウィングで踊り始める。

 ワルツのステップには色々な組み合わせがある。国や曲によって定番があったりもするが、上位貴族はその教養を証明するため、いくつかのルーティーンを組み合わせていく。

 つまり、同じ音楽に合わせていても上位貴族は各々のステップを踏むことになる。


 ゆえに打ち合わせなく踊るのは、踊りなれた相手と踊るよりも難易度が上がる。にもかかわらず、ラッセル王子のリードに合わせ、ロゼッタは優雅な振る舞いで踊っている。


 クルリとターンを決めれば、ロゼッタのピンクゴールドの髪が遠心力でふわりと広がり、魔導具のスポットライトを浴びてキラキラと煌めいた。

 その光景はまるで、音楽の神様が二人を祝福しているかのようだ。


 それを眺めていると、ふいに胸に小さな痛みが走った。頭を振って拳を握り締め、自分の胸を押さえる。

 これでいい。

 俺の望みは、ロゼッタを幸せにすることだから。


 ――と、今度は激しい頭痛に見舞われた。

 脳裏に、様々な記憶が浮かんでは消えていく。巻き戻り直後と似ているようでどこか違う。思いだしたのは、こことは違う世界で生きた少年の記憶だった。


 この世界よりずっと魔術が発展した世界。

 空を飛ぶ乗り物に、遠くの者と話をする魔導具。それにあらかじめ組み込んだ物語を体験することの出来る魔導具などなど。魔導列車なんて目じゃない様々な魔導具が存在する世界。


 俺はその世界で魔術を専攻する学生だった。そして姉の勧めでとある乙女ゲームをプレイした。それが『ひだまり聖女のカンタービレ』である。


 この世界は、その乙女ゲームの舞台そのものだった。

 社交界のマナーやファッションなど、基本的には貴族社会がベースになっている。だが私服が近代的なことや、貴族令嬢が水着姿になることを許される価値観。そういったパラダイムは、明らかにスチル映えやイベントの内容を意識して歪められた設定だ。

 最近の俺がそれらに違和感を抱いていたのは、こことはまるで違う価値観を持つ世界で生まれ育った記憶を取り戻しつつあったからだろう。


 もっとも、そういった点については、戸惑いこそしても問題はない。問題なのは、現状が乙女ゲームのシナリオにがっつりと影響を及ぼしていることだ。


 ひだまり聖女のカンタービレは、聖女に選ばれたヒロインが攻略対象と結ばれる乙女ゲームである。そしてその障害となるのが封印されている魔王の復活だ。


 中盤で個別ルートに入った後に魔王が復活の兆しを見せる。そのとき、ヒロインがある条件を満たしていなければバッドエンドになってしまう。


 その条件というのが、ラッセル王子から一定以上の好意を得ること、である。

 魔王を封印できるのは聖女であるヒロインだけなのだが、そのヒロインは当然ながら魔王の眷属から狙われる。誰のルートでも、初代聖女の血を引く王子の助けが必要なのだ。


 だが、王子の好感度が足りなければ、王子がヒロインを護ってくれない。

 攻略対象が騎士隊長だった場合に限り、王子が護ってくれずとも、騎士隊長の命と引き換えに魔王の封印に成功するが、それ以外は攻略対象と共にヒロインが亡くなり、魔王を封印できずに世界が破滅するバッドエンドに直行だ。


 そして、ヒロインと王子の仲を邪魔するのが悪役令嬢であるロゼッタである。つまり、ゼッタと王子を婚約させると、ヒロインと王子が仲良くなるイベントそのものが消滅する。

 王子がヒロインと仲良くなるのは、ロゼッタに婚約を断られることが切っ掛けだからだ。


 いますぐロゼッタとラッセル王子の仲を引き裂かなくてはいけない。そうしなければ、魔王が復活して、この世界そのものが破滅してしまう。


 ロゼッタと王子の仲を原作通りに引き裂いて、世界の救済はヒロインと王子に任せる。そうして、俺は傷付いたお嬢様に手を差し伸べ、二人で幸せな未来を目指す。


 一瞬だけ、本当に一瞬だけ、自分にとって都合のいい未来を想像して唇を噛んだ。

 俺はロゼッタを護ると誓った。二度と間違ったりしないと誓った。愛する人と結ばれるために努力を重ねたロゼッタを裏切るなんて死んでも出来ない。

 だから――と、俺はラッセル王子と踊るその場に残し、そっとダンスホールを後にした。


 向かうのは、中庭へと続く渡り廊下だ。

 原作通りならヒロインが迷子になっている。そこに通りかかったラッセル王子が道案内をすることで小さな縁を繋ぐ。それが二年後の学園で二人が仲良くなる切っ掛けの一つだ。


 いま、ラッセル王子はロゼッタと踊っている。原作よりも、そして巻き戻り前よりも美しく育ったロゼッタは、ラッセル王子を魅力して決して離さないだろう。

 だからいまのうちに、俺がヒロインとの縁を繋ぐ。


 俺はラッセル王子のように、初代聖女の血を引いている訳ではないが、巻き戻りで身に付けた力と、前世の記憶を取り戻して得た優れた魔術の知識がある。いまから原作が始まるまでに自分を鍛えれば、騎士隊長と同程度の武力は身に付けられるだろう。


 ――そう。

 俺がラッセル王子の代わりに、命を懸けてヒロインを護る。そうすれば、ヒロインが誰と結ばれたとしても、ヒロインは無事に魔王を封印してくれるだろう。

 世界が破滅しなければ、ロゼッタとラッセル王子もハッピーエンドを迎えられる。


 巻き戻り前の約束は守れそうにないけれど、あのときの約束を覚えているロゼッタはどこにもいない。ロゼッタが幸せになるのなら、俺はそれ以上は望まない。

 中庭へと続く渡り廊下を訪れた俺は、途方に暮れているヒロイン、ティナを見つけた。


「このような場所で、どうかしましたか?」


 俺が声を掛けると、彼女はびくりと身を震わせた。


「え、あ、その……迷子になってしまって」

「王城は広いですからね」

「そ、そうなんです。物凄く広くて、びっくりしてしまいました」


 ひとりぼっちで不安だったのか、共感が得られたことが嬉しかったのだろう。ティナは少しだけ声を弾ませた。自分は方向音痴ではないと主張しているのかもしれない。


「では、パーティー会場まで案内いたしましょう。こちらです」

「あ、ありがとうございます。……っ」


 誘導しようとすると、ティナがわずかに顔をしかめる。その仕草が足を庇ったように見えたので、おそらく靴擦れを起こしているのだろうと当たりを付けた。


「……もしかして、靴擦れですか?」

「え、あ、その……恥ずかしいです」


 下ろしたての靴でパーティーに参加したのだろう。

 このまま歩かせるのは少し可哀想だ。


「見たところ、プティデビューを終えたばかりなのではありませんか? であれば、靴擦れを恥じるようなことはありません。大変失礼かと存じますが、患部を見せて頂けますか?」

「ふえっ? そ、それは、その……」


 ティナは視線を彷徨わせる。


「もちろん、断って頂いてもかまいません。ただ、パーティー会場まで、決して短い距離ではございません。貴女のよいと思う方を選んでください」

「それじゃ……その、ご迷惑でなければ」

「迷惑など、ありませんよ」


 渡り廊下の縁に自分の上着を敷いて、そこに腰を下ろしてもらう。その前に膝を突いた俺は、靴擦れをした方の足を取って靴を脱がす。踵の部分に血が滲んでいた。

 応急処置としてハンカチを切り裂き、それを患部が触れる靴底に敷いた。これで滑りがよくなって、靴擦れが少しだけマシになるはずだ。


「お待たせしました、これで少しはマシでしょう。あくまで応急処置ですので、使用人と合流したら、ちゃんと手当てをしてもらってください」

「あ、凄い、あんまり痛くなくなりました!」


 無邪気に笑う。そんな彼女を見て少しだけ懐かしいと思った。ロゼッタが彼女と敵対するようになって疎遠になったけれど、それまでは少しだけ交流があったのだ。


 ……それに、彼女はロゼッタの助命嘆願をしてくれた。王子ルートは譲れないけれど、魔王の封印と引き換えに想い人が死ぬ結末や、ティナ自身が死んでしまう結末には絶対させない。

 ――たとえ、俺の命が必要だとしても。

 そんな想いを胸に、俺はティナをパーティー会場に送り届けた。


 別れ際、ティナからお礼の言葉を受け取った俺は、パーティー会場を歩いてロゼッタを探す。彼女がいそうな場所に向かうと、すぐにその姿を見つけることが出来た。

 ロゼッタは、俺を見つけるとすぐに駆け寄ってきた。側仕えとして控えているロッティはいるが、ラッセル王子の姿は見当たらない。どこへ行ってしまったんだろう?


「ノエル、探したのですよ!」

「申し訳ありません、少し席を外しておりました。ラッセル王子ともう少しお話しをなさっていると思ったのですが、なにかございましたか?」


 俺の問い掛けに対し、ロゼッタはわずかに眉を動かした。

 なにかあったようだが、ラッセル王子は完全にロゼッタに見惚れていたはずだし、ルシアだって排除済み。オリビアだって、今頃はルシアの件で呼び出されているだろう。


 ロゼッタの邪魔をする者はどこにもないはずなのに……一体なにが? そんな風に考えていると、ロゼッタが手を上げてロッティを下がらせた。

 どうやら、あまり人に聞かせられない話のようだ。


「……一体、なにがあったのですか?」

「実は……ラッセル王子に求婚されたのです」


 予想していたのとはまるで違う答え。その言葉を理解した瞬間、俺の胸の内に様々な感情が浮かび上がった。わずかに走った胸の痛みを受け流し、俺は殊更笑顔を浮かべる。


「おめでとうございます、ロゼッタお嬢様」

「ちっともおめでたくありません」

「……え?」

「既に断ってきましたもの」

「なっ! なぜ……ですか?」


 信じられない。

 いまの俺はロゼッタの気持ちがまるで理解できなかった。


「ルシアがラッセル王子に信じられないほどの失態を犯しました。ルシアの姉であるわたくしにも責任があるため、ラッセル王子には相応しくないとお断りいたしました」

「なっ、なにをおっしゃっているのですか!」


 思わず声を荒らげて、それから冷静になろうと大きく息を吐いた。


「……ルシア様は妹とはいえ腹違いでほとんど関わりもない。彼女の教育不足はオリビア様の責任でしょう。それなのに、なぜロゼッタお嬢様が責任などと――」


 俺の言葉を、ロゼッタが手で制した。


「いまのは建前で、本心は別にあります」

「……別、ですか?」

「そうですよ。というか、どうしてノエルが不思議そうにしているのですか? わたくしは、共に歩きたい人がいると言ったではありませんか」

「それは、もちろん、聞きましたが……」


 え? ラッセル王子のことじゃなかったのか? いやでも、原作を思い返しても、巻き戻り前のあれこれを思い返しても、ロゼッタの憧れの相手はラッセル王子だったはずだ。


 それこそ、俺と同じようにに、巻き戻り前の記憶でもない限り――


「ノエル、わたくしはかつて、ある人と約束をしたのです。間違いだらけの人生だったけれど、もう一度やり直し、一緒に幸せな未来を掴み取る、と」


 まさか――と、目を見張った。

 いまのロゼッタは間違いなんて犯していない。少なくとも、間違いだらけの人生なんて言葉が出てくるはずがない。それを口にするとすれば、それは巻き戻り前のロゼッタだけだ。


 まさか、まさか本当に、ロゼッタの隣を歩みたい相手は……俺、なのか?

 もしそうなら俺は、俺は……あれ?


「ロゼッタお嬢様、自分はラッセル王子に相応しくないとお断りしたのですよね?」

「え? ええ……他に妥当な口実がありませんでしたから」


 ロゼッタは、そこでその反応? とでも言いたげな顔をする。だが、俺にとっては絶対に確認しなければいけない問題だ。


 いまのロゼッタは、外見も内面も原作や巻き戻り前とは比べものにならないほど美しく成長した。そんな彼女が、妹の愚かな行為に責任を感じて王子の求愛を辞退する。

 相応しくないどころか、聖女のように思われたのではないだろうか?


 少なくとも、その言葉で自分が拒絶されたと認識できる男は少ないだろう。つまり、ラッセル王子はおそらく、まだロゼッタのことを想っている。

 むしろ、その想いをより強めた可能性が高い。


 でもって、俺が王子の代わりにティナと出会ってしまった。このままでは、ラッセル王子とティナが仲良くなる可能性は絶望的である。


 つまり、俺がラッセル王子の代わりにヒロインを護らなければ世界が滅ぶ。


 だが、聡明に育ったとはいえ、ロゼッタは原作の悪役令嬢だ。もしもロゼッタの想い人が俺だった場合、俺がティナと仲良くすると、ロゼッタは闇堕ちするのではないだろうか?

 可能性は十分に高い気がする。


 その点をクリアできたとして、俺はティナを護って死ぬ運命にある。その結果を超えた先に、ロゼッタお嬢様が笑える世界があるのだろうか?


 おそらくは無理だ。共にやり直すという約束だけでなく、ロゼッタを幸せにするという約束も果たせない。どうやっても詰んでいる気がするのだが――


「わたくしには共に歩みたい人がいます。その人の隣を歩けるように正しく成長して、幸せになりたいと願っています。ノエルは……協力してくださいますか?」


 俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。

 俺がティナを支えればロゼッタが闇堕ちするかもしれないし、そうじゃなくても俺はティナを護って死ぬ未来が待っている。どう考えても絶望的な状況。


 だけど、その絶望的な状況を乗り越えた先にあるのは、ロゼッタと共に歩む幸せな未来。

 その未来を掴み取るためなら、恐れるものなんてなにもない。

 だから――


「……約束します。今度はきっとお嬢様を幸せにする、と」

 

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