エピソード 1ー4

 数時間を経て、魔導列車は王都に到着した。

 淡い色のブラウスに、ティアードスカートとニーハイソックスという出で立ち。愛らしい姿のロゼッタは、ピンクゴールドの髪をふわりと広げてクルリと回る。


 ロゼッタはこの数年で驚くほど綺麗になった。巻き戻り前の彼女も十分綺麗だったけれど、いまの彼女は以前よりずっと明るくなった。それに、自分の魅力を十分に理解し、最大限に引き出している。彼女がふわりと微笑めば、行き交う人々がほぅっと溜め息を吐くほどだ。


「さぁ、ノエル、ロッティ。お屋敷に行きますよ」


 手配した馬車に乗り、王都にあるラスティローズ侯爵家のお屋敷に向かう。

 心なしか楽しそうなのは、王都のお屋敷にはラスティローズ侯爵、ロゼッタの父親がいるからだろう。彼のいる前では、オリビアもあからさまな嫌がらせはしない。


「お父様、ご無沙汰しています」

「おぉ、ロゼッタ、また少し背が大きくなったな。それに綺麗になった」

「本当ですか? えへへ、嬉しいです」


 ロゼッタがラスティローズ侯爵にぎゅっとしがみついた。

 巻き戻り前には見られなかった光景だ。巻き戻り前は俺も、そしておそらくはロゼッタも、ラスティローズ侯爵が、オリビアの暴走を、見て見ぬ振りをしていると思い込んでいた。

 だけど、違う。

 彼は仕事に忙殺されていて家庭のことに目が届かないだけで、決して継母やその娘だけを可愛がって、ロゼッタのことを邪険にしている訳ではない。俺はもちろん、いまのロゼッタもそのことに気が付いている。おかげで、ロゼッタとラスティローズ侯爵の仲は円満だ。


 もちろん、オリビアはそのことが気に入らないはずだ。ラスティローズ侯爵と一緒にロゼッタを出迎えた彼女は、二人のやりとりを苦々しい顔で見ている。


「しかし、最近のロゼッタは本当に明るくなったな。これも、オリビアが同じ年頃の子供を使用人に付けてくれたおかげだ」

「もったいないお言葉です。でも、あまり侯爵令嬢らしからぬ振る舞いを覚えるのは考えものかもしれません。そろそろ――」


 想定外の形で感謝されたオリビアの顔が強張った。

 自分の思惑通りにことが進んでいない。そう感じ、邪魔になった俺やロッティを排除しようと考えたのだろう。オリビアが意見しようとするが、それに気付いたロゼッタが先手を打つ。


「お父様。オリビア様がノエルやロッティを付けてくださったおかげで、凄く凄く助かっているのです。これからも二人はわたくしの専属のままにしてくださいね」


 要約すると、オリビアの思い通りにはなってないから、という痛烈な皮肉。だがそれは、オリビアの思惑を知らないものには通じない。

 オリビアは悔しそうに顔を歪めているが、ラスティローズ侯爵は笑みを零した。


「ふむ、おまえがそこまで言うとは珍しいな。そういうことなら、これからも二人はおまえの専属として働かせるとしよう」

「約束、ですからね?」

「ああ、約束だ」


 愛らしく育ったロゼッタのおねだりに、ラスティローズ侯爵はデレデレだ。だが、しっかりとラスティローズ侯爵から言質をもぎ取った。これで、オリビアも口出しは出来ない。

 それを理解したオリビアが顔を真っ赤にしてロゼッタを睨みつけているが、ロゼッタはそれを笑顔で受け流した。今回の戦いは、ロゼッタの完全勝利のようだ。


「さて、長旅で疲れただろう。パーティーは明日だ。今日はゆっくり部屋で休みなさい。それと、パーティーのエスコート役だが――」

「ロゼッタはノエルのことが気に入っているようですし、エスコートも彼に任せれば良いのではありませんか?」


 ラスティローズ侯爵にオリビアが進言する。気遣っている体ではあるが、要約すれば、貴女にはしがない執事がパートナーにお似合いよ、である。

 もっとも、ロゼッタのお目当てはラッセル王子である。パートナーに願っても現時点ではどうしようもない相手だ。そういう意味では、身軽な俺がパートナーの方が都合はいい。

 ロゼッタも同じ考えのようで、それでかまいませんとすまし顔で応じた。



 ということで翌日。

 俺がロゼッタの私室を訪ねると、彼女は赤いドレスを身に着けていた。Aラインのドレスは肩出しで、裾に向けて緩やかに広がっている。


「ノエル、似合っていますか?」

「もちろん、とてもよくお似合いです。いまのお嬢様を見て見惚れない方はいませんよ」

「……では、ノエルも見惚れてくれているのですか?」


 腰を曲げて上半身を突き出して、上目遣いで俺を見上げる。アメシストの瞳の奥からいたずらっ子が顔を覗かせた。否定すれば拗ねて、肯定すればからかわれるのが目に見えている。

 俺はいたずらっ子にお仕置きをするため、ロゼッタの腰を軽く抱き寄せた。


「もちろん、私も見惚れていますよ。このままお屋敷に閉じ込めてしまいたいくらいに」

「ふえっ!? え、あ、その……わたくしは、外の世界を見てみたいかな、なんて。でもでも、ノエルがそう望むなら、それも悪くはないかな……なんて」

「――冗談ですよ」


 慌てふためくお嬢様から身を離し、小さく笑って言い放つ。呆気にとられた顔をしたロゼッタは、すぐにからかわれたと気付いて頬を膨らませた。


「もうもうっ、ノエルのイジワル!」

「そうですよ。ですが、先にイジワルなことを言ったのはお嬢様ではないですか。人をからかうときは、からかわれる覚悟もしなければいけませんよ」


 そう言って笑い、外で待っていますねと部屋から退出する。それからほどなく、ちょっぴりばつの悪そうな顔をしたロゼッタが部屋から出てきて、無言で手を差し出してきた。

 エスコートをして欲しい、ということのようだ。


「それでは、パーティー会場までエスコートいたします」


 俺はロゼッタを王子の元へ導くため、仮初めのパートナーを務める。



 王都にあるラスティローズ侯爵家の別宅。そこから馬車で王城に向かう。門で招待状を見せて城内に入れば、すぐに会場からオーケストラの音楽が聞こえてきた。

 今日は第一王子の誕生パーティーである。


 ちなみに、年に一度の誕生パーティーだが、誕生日におこなわれる訳ではない。王都付近の領地の者はともかく、地方の領地で暮らす者が王都にやってくるのは大変だ。ゆえに、春から夏にかけての社交シーズンにあらゆるパーティーはおこなわれる。

 第一王子の誕生パーティーもしかり、である。


 それはともかく、重要なのはパーティーでの立ち回りだ。

 巻き戻り前、ロゼッタとラッセル王子はこのパーティーで知り合い、互いに惹かれあい、親同士のあいだで婚約の話が持ち上がるのだ。


 その後、嫉妬した妹の嘘でラッセル王子がロゼッタに拒絶されたと誤解し、婚約は立ち消えになる。傷付いたラッセル王子は様々な困難を乗り越えて聖女であるティナ、つまりはヒロインと結ばれるが、それを見たロゼッタは闇堕ちして悪事を働いてしまう。


 最終的にはロゼッタが断罪され、ヒロインと王子が結ばれ……あれ? ヒロインってなんだ? 俺はどうして、ティナがヒロインだなんて思ったんだ?


 ~~~っ。

 頭の中に色々な情報が入ってきて気持ち悪い。

 でも……いまはこのパーティーでの立ち回りだ。

 ロゼッタとラッセル王子が出会うのはこのパーティーだけど、ラッセル王子とティナが出会うのもこのパーティーだ。王子とティナはこのパーティーで出会い、後に再会することで行動をともにする。それが、これから起きるはずの出来事だ。


 巻き戻り前と同じく、ロゼッタとラッセル王子が出会うように仕向け、妹が嘘を吐く前にロゼッタがラッセル王子に惹かれていることを明らかにして、ラッセル王子とティナの出会いを妨げる。そうすれば、ロゼッタがラッセル王子と結ばれる未来を邪魔するものはなにもない。


 そのためにも、まずはロゼッタとラッセル王子を引き合わせるのだが……


「ロゼッタお嬢様、私と一曲踊って頂けますか?」


 エスコート役として、俺はロゼッタに問い掛けた。彼女は信じられないと目を見張って、それからいたずらっ子のように目を細めた。


「あら、ノエルはわたくしと踊りたいのですか?」

「はい。受けてくださいますか?」


 からかうようなロゼッタに、俺は殊更真面目な口調で問い返した。思えば、専属執事になる前の俺は彼女に淡い想いを抱いていた。その後、彼女を護れなかったことを悔やみ、彼女を護るために全力を尽くすと誓ったけれど、根本にあるのはロゼッタへの憧れだ。


 巻き戻りの終わる直前。手を差し伸べた俺がロゼッタに抱いていたのはきっと、憧れを超えた特別な想いだった。そして、もしかしたらロゼッタも……


 だけど、ロゼッタは巻き戻りで消えた出来事を知らない。ロゼッタが望んでいるのは、ラッセル王子と結ばれる未来だ。だから俺はそれを全力で叶える。

 だけど、最後に一度だけ。


「ロゼッタお嬢様、俺(・)と一曲踊ってください」

「……っ。はいっ。私(・)でよければ喜んで!」


 ロゼッタは年相応に無邪気な笑みで答えてくれた。

 そんな彼女の手を取って、ダンスホールの真ん中へと足を運ぶ。ワルツのリズムに合わせて互いに礼をして、ホールドを取るように促し、最初の三拍子で歩き始める。


 ナチュラルスピンターンからターニングロックと繋げてステップを踏む。プティデビューを終えたばかりの少女には少しハードルが高い組み合わせ。だが、一人前のレディーから見れば、それほど難しくもない難易度。

 ロゼッタが優秀な娘だと周囲に見せつけながらも、ラッセル王子がダンスに誘うのを尻込みしない程度にゆとりのある難易度で踊っていく。ロゼッタはこの数年で驚くほど教養を身に付けた。ダンスの腕前もしかり。本気の彼女は既に巻き戻り前の十七歳だった頃を越えている。


 ワルツのリズムに踊る彼女は優雅で、それでいて自信に満ちている。俺をまっすぐに見つめるアメシストの瞳は、魔導具のスポットライトを浴びてキラキラと輝いていた。


「ノエル、わたくしはいま、きちんと踊れていますか?」

「もちろんです。みなさん見惚れていますよ」

「ノエルも……見惚れてくれていますか?」

「ええ。彼らより先に貴女と踊ったこと、心より光栄に思います」


 その言葉に嘘はない。事実、ロゼッタのダンスに気付いた殿方から熱い視線が注がれている。俺とのダンスが終われば、ロゼッタはすぐに次のダンスに誘われるだろう。

 その時点で俺は役目の大半を終えることになるが、彼女にとってのファーストダンスを踊った事実はこれからもずっと消えることはない。

 そんな甘酸っぱい想いを胸に踊る。緩やかな回転の中で、ロゼッタに見惚れるラッセル王子の姿を見つけた俺は、本当に自分が役割を終えたことを理解した。


 曲の終わりと共にダンスを終え、さり気なくラッセル王子の下へとロゼッタを誘導する。

 近くにいた他の男性がロゼッタをダンスに誘おうと集まってくるが、その垣根を越えてラッセル王子がロゼッタの前に立った。


「私はラッセル・アズールカリスと申します」

「まぁ、ラッセル王子ですか? お初にお目に掛かります。わたくしはロゼッタ・ラスティローズと申します。お会いできて光栄ですわ」


 可憐に微笑んだ彼女は、片足をもう片方の足の後ろに引き、スカートを軽く摘まんで膝を曲げる。この四年で培った礼儀作法を存分に発揮した優雅なカーテシーだ。

 その可憐な姿に周囲から溜め息が零れた。


 それはラッセル王子も例外ではない。彼は見惚れるように言葉を失い、それからぽーっと頬を赤く染めた。……俺はいま、王子様が恋に落ちる瞬間を目の当たりにした。


 顔を上げたロゼッタと、ラッセル王子が見つめ合う。それが十秒、二十秒と続き、周囲に沈黙が訪れる。基本的なマナーとして、社交の場で話し掛けるのは目上から。目上の者達の会話に割って入ってはならないと言ったマナーが存在する。


 そして、この場で一番身分が高いのはラッセル王子である。彼は無言でロゼッタに見惚れているため、ロゼッタもまた無言で視線を受け止めている。

 なんとも甘酸っぱい光景である。


 席を外すべきだろうかと身の置き所に困っていると、不意にラッセル王子の背後に控えていた側仕えが咳払いをした。それでラッセル王子がハッと我に返る。


「失礼いたしました。ロゼッタさん。私と踊って頂けますか?」


 ラッセル王子は少し舞い上がっているのだろう。手順をすっ飛ばしたダンスの誘いにロゼッタが目を見張った。だが、心情的にも、身分的にもここで断るという選択はあり得ない。

 すぐさま応じると思われたが、ロゼッタはなにか言いたげに俺を見た。


 彼女がなにを求めているか分からなくて困惑する。

 仮初めとはいえ、パートナーである俺とのダンスを終えた後だし、ラッセル王子の誘いに応じて困ることなどなにもない。

 不審に思ったのは俺だけじゃなかったようで、周囲も少しざわめき始めた。


「あら、ノエルお義姉様じゃありませんか。そちらの素敵な殿方はどなたですか?」


 周囲のざわめきをぶった切り、空気を読まない不躾な声が響く。ロゼッタの義理の妹、ルシア・ラスティローズである。社交界のマナーに反する彼女に非難の視線が向いた。

 慌ててロゼッタがたしなめた。


「ルシア、社交界では、目上の者の会話に割って入るのはマナー違反ですよ」

「ふぅん、それで、彼はどなたですか?」


 完全なスルー。ロゼッタが目上という認識がルシアにないためだろう。だが、ここにはラッセル王子がいる。ルシアの呆れた振る舞いに周囲の者達が顔をしかめた。


「ラッセル王子、申し訳ありません。彼女に変わって非礼をお詫びします。彼女はラスティローズ侯爵とオリビア夫人の娘で、わたくしの義理の妹に当たります」


 ロゼッタが王子に謝罪する。それで一度は周囲の空気も和らいだのだが、ルシアがロゼッタを押しのけるように前に出た。


「まぁ、王子様ですか? お会いできて光栄ですわ!」


 ルシアがつかつかと歩み寄り、ラッセル王子の手を取ろうとした。その瞬間、ラッセル王子の背後に控えていた側仕え達が二人の前に割って入る。


「ルシア嬢、許可なく主に触れないで頂きたい」

「な、なによあなた達。私は王子様とお友達になろうとしているだけじゃない!」


 その発言に俺は頭を抱えた。王子と侯爵令嬢が友達になる。それは決してあり得ない話ではない。だがそれは、きちんと手順を踏んで友好を結べば、の話である。


 なんでそんなことも知らないんだよ!

 そんな風に内心で叫んだのは俺だけじゃないだろう。周囲の者達はみな、頭が痛いという顔をしている。当の本人だけは、当然のように振る舞っているが。


 でも……いまにしてみれば、巻き戻り前のルシアもこんな感じだった。

 ただ、ロゼッタは虐げられていたし、このように目立つ機会はほとんどなかったため、ルシアが対抗してしゃしゃり出てくることもなかったのだろう。

 自滅するのは勝手だが、ロゼッタを巻き込まないで欲しいと思わずにはいられない。


 どうしたものかと考えていると、ラッセル王子の側仕えが主に向かってなにか囁いた。それを聞いた王子が「ほぅ……」と剣呑な表情を浮かべた。

 ロゼッタとルシアを見比べたので、二人の確執を聞いたのだろう。


「兄上のパーティーに出席を許されている女性は、プティデビューを終えた者だけだ。礼儀知らずな彼女はこのパーティーに相応しくない、つまみ出せ」

「――はっ!」


 側仕えには護衛としての役目もあるのだろう。進み出た二人があっという間にルシアを拘束してしまう。当然といえば当然の結果だが、ルシアは理解できないと身をよじった。


「な、なにをするのですか! 私はちゃんとプティデビューを終えています!」


 嘘ではない。ロゼッタの妹とはいえ、数ヶ月ほどしか誕生日が変わらないからだ。

 だが王子が口にしたのはもちろんそういう意味ではない。ラッセル王子の言葉は、年相応のマナーすら身に付けられていないという強烈な皮肉だ。


 結局、騒ぎながら引きずられていった彼女は、自ら自分の傷を広げまくった。このようなおめでたい席で、つまみ出されるくらい非常識な令嬢だと知れ渡ってしまったのだ。

 それを見届けた直後、ロゼッタはその場に片膝を突いてかしこまった。


「ラッセル王子、妹の非礼をあらためてお詫びいたします」

「心配するな。そなたが悪くないことは分かっている。だが、もし責任を感じているのであれば、私と踊って頂けないだろうか?」

「……光栄ですわ、ラッセル王子」

 

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