エピソード 1ー3
更に月日は流れ、ロゼッタは十一歳になった。
俺がラスティローズ侯爵家に来てから一年近くが経った計算だ。そのあいだにロゼッタの教育を進め、同時に飴と鞭を使い分けてメイド長をがんじがらめにしていく。
その過程で、俺はロッティの情報を仕入れた。
彼女はグラスグリーン子爵家の三女だ。そんな彼女の実家はラスティローズ侯爵家――正確にはオリビアに借金を肩代わりしてもらっているらしい。その上で、少しでも家計の助けになるようにとロッティが雇ってもらっているようだ。
つまり、ロッティは実家のために働いている。ロゼッタのことをメイド長に報告しているのも、恩人であるオリビアに頼まれたからというのが理由のようだ。
だからこそ厄介だと俺は思った。
メイド長のように後ろ暗いことがあれば、そこを突いて口を封じることも難しくはない。だが、ロッティに悪意はない。そんな彼女の口を封じるのは難しい。
どうしたものかと考えていたんだけど、この一年色々と調べているうちに見えてきたことがある。それは、彼女の実家が借金を負った原因だ。
彼女の実家である子爵家は商売をしている。
その商売に失敗したのがそもそもの原因――ではない。たしかに商売に失敗したのが借金の原因ではあるが、商売に失敗した原因は別に存在しているのだ。
その確証を手に入れた俺はある日、ロッティの部屋を訪ねた。
「ロッティ、少し話があるのですが」
「ノエルくん、改まってどうかしたの?」
「貴女がメイド長を通し、ロゼッタお嬢様の情報をオリビア様に流しているのは知ってます」
「な、なんのこと?」
ロッティは否定こそしたが、その目は完全に泳いでいる。それどころか、「わ、私、用事を思いだしたから部屋に戻るねっ」と、自分の部屋から出て行こうとする。
いくらなんでも慌てすぎである。
「落ち着きなさい、貴方の部屋はここですよ」
「えっと……あ、そうだ。お嬢様のお世話にいかないと」
「お嬢様ならお勉強中です」
俺はロッティの腕を摑み、逃げようとする彼女をソファに座らせた。その上でソファの背もたれに手を突いて、彼女が立ち上がれないように追い詰める。
「逃げても無駄ですよ。ここで逃げれば、私は貴方がロゼッタお嬢様の情報をオリビア様に流していると認めたと、オリビア様に密告します」
「そ、そんなことをしたら――っ」
みなまで言わず、ロッティはその続きを飲み込んだ。だが、手遅れだ。もしも俺の言っていることが間違っているのなら、ロッティが慌てる必要はなかった。
慌てたことこそが、彼女が情報を流している証拠である。
「……私をどうするつもりですか?」
「そう警戒しないでください。取り引きをしましょう。私の指示に従ってくれるのなら、貴方がオリビア様に情報を流していると白状したことは黙っています」
「わ、私は白状してないよ」
「それをオリビア様が信じてくださるといいですね?」
信じるはずがないと、俺の心の声は正しく通じたようで、彼女は目をまん丸に見開いた。
「わ、悪い子だ。ノエルくんが悪い子だよ……」
「それは否定しませんが、話を聞いても損はしないと思いますよ」
「うぅ……」
ロッティはまだ十五歳だ。俺は見た目は十一歳だが、中身は十七まで生きた経験がある。年下の女の子をやり込めることに心が痛まなくもないが、必要なことだと割り切って続ける。
「こちらの望みはオリビア様に流す情報の統制です。もし取り引きに応じてくださるのなら、貴女の実家の借金をなんとかする方法を教えて差し上げましょう」
ロッティの頭がぐらりと揺れた。幼くして実家のためにメイドをしているくらいだ。実家をなんとかしたいという想いは人一倍強いのだろう。
「いかがですか? 借金がなくなれば、オリビア様に従う必要もなくなりますし、貴女にとって悪い話ではないと思うのですが」
俺がそう口にした瞬間、ロッティはきゅっと唇を噛んだ。
「オリビア様はグラスグリーン子爵家の恩人だよ。たとえ借金がなくなったとしても、オリビア様を裏切る真似なんてしないから!」
恩人を裏切れないと、ロッティは俺の誘惑を振り切った。
だから俺は――思わず頬を緩めた。
「いいですね、貴女は私が思っていたとおりの人間だ」
「な、なにを言ってるの?」
「貴女が義理堅い人間であることは予想していました。だからこそ、私は貴女に取り引きを持ちかけたのです。これをご覧ください」
俺がこの一年で集めた資料を纏めたものを彼女の目前に突きつける。
「これは……何処かの商会の取引履歴?」
「オリビア様が懇意にしている商会の取引履歴です」
「そんなものを、どうやって……」
メイド長を通じて手に入れた資料だが、手の内を明かす気はないと、無言で笑みを浮かべてみせた。そんな俺の意思が通じたのだろう。ロッティは情報のでどころを知るのは諦めて、その取り引きの内容に目を通しはじめた。
「どうですか、なにか思うところはありませんか?」
「ずいぶんと儲けているんだね、羨ましい」
たしかにその通りだけどそうじゃない。さすがに、十五歳の女の子にこれだけで気付けというのは無謀だったようだ。俺は履歴のある一点を指差した。
「利益の出た時期、それに品目に注目してください」
「時期と品目? ……あれ、これって……」
「なにか、気付きましたか?」
「四年前に大きな利益を出しているこの水の魔石。たしか、うちが同じ時期に買い集めて、大きな損を出したってお父様が。私がここに来ることになった切っ掛けだから覚えてる。もしかして、私の家が商売でことごとく失敗してるのって……っ」
「そういうことです」
オリビアは決して無能ではない。それどころか、ラスティローズ侯爵にバレないようにロゼッタを冷遇して、後妻である自分の娘を跡継ぎに押し上げるほどに有能だ。
「味方の振りをして貴女を誘導し、実家にわざと不利益を被らせる。そうして儲けたお金を使って貴女の実家を支援し、貴女やその実家を思うままに動かしているんですよ、彼女は」
味方の振りをして思いのままに操る、それがオリビアの基本戦術である。巻き戻り前に散々してやられたため、いまの俺はそのことをよく理解している。
「……この取引履歴が本物だという証拠はありますか?」
「いいえ。ですが、それは貴女に差し上げます。自分達の商売がなぜ失敗しているか分かれば、それを逆手にとって儲けることも可能でしょう?」
「それは、えっと……たぶん、出来ると思います」
なんとも頼りない答えだ。
だけど……そうか。彼女も幼くしてここに連れてこられた。ロゼッタと同様、ちゃんと学ぶ機会を得られない環境で育った以上、頼りなく感じるのは当然だろう。
もう少し、彼女を説得する材料が必要だ。
そう考えた俺は、ペンを取って別の紙にサラサラと情報を書き込んでいく。いまから半年分、巻き戻り前の記憶を頼りにある情報を書き込んだ俺は、それをロッティに手渡した。
「……なんですか、これは」
「これから半年、大きく変動するであろう商品のリストです」
「変動する商品の項目……? 本気で言っているんですか?」
ロッティの黄色い瞳が疑惑の色に染まる。
「すべてがそのリスト通りになる保証はありません。それに、簡単に信じることも出来ないでしょう。ですがそれがあれば、貴女の実家の借金はすぐに消えると確信しています」
疑いの眼差しを真正面から受け止めた。ソファの背もたれに手を突いている俺は、ロッティと至近距離で見つめ合っている。やがて、彼女がゆっくりと口を開いた。
「……取り引きは、私が報告する情報の統制、でしたね。具体的には、どういった情報を制限するつもりですか?」
「私の目的は、ロゼッタお嬢様を素敵なレディに育てることです。ですが、それはオリビア様の望みに反することでしょう? ですから――」
「お嬢様の努力や成長を誤魔化せ、と?」
「その通りです」
話が早くて助かると口元に笑みを浮かべた。
「……ならもう一つだけ。私がもし断ったらどうするつもりなの?」
「他のメイドがロゼッタお嬢様を蔑ろにする中でたった一人、誠心誠意ロゼッタお嬢様のお世話をする貴女が、この申し出を断るはずがないでしょう?」
俺はこの一年でそのことを確信していた。だから、彼女の実家の一件は保険と、味方になる彼女への報酬のようなものだ。
ロッティは目を見開いて、それから柔らかい笑みを浮かべた。
「……なるほど。分かりました、貴方との取り引きに応じます。ただし、もしもノエルくんのもたらした情報が嘘なら、そのときは覚悟しておいてくださいね?」
「心得ています。ですが、その心配は杞憂ですよ」
メイド長の懐柔に続き、ロッティを味方に引き入れ、オリビアの目と耳を潰した。他から情報が流れる可能性も零ではないが、屋敷内ではかなり自由に行動できるだろう。
こうして、俺はロゼッタの育成計画に本腰を入れはじめた。
まずは様々な参考書を入手して、一般教養を身に付けていく。ロッティの実家の商売が上手く回り始めた頃には、使用人と称して家庭教師を引き入れることにも成功した。
その上で、他よりも遅れていた実技、礼儀作法やダンス、それに声楽やヴァイオリン、刺繍を始めとした教養も学んでいく。
ロゼッタはとても頑張り屋さんだった。見ているこっちが心配するレベルで努力を重ねる。
たとえば、ダンスのお稽古の最中――
「ロゼッタお嬢様、靴下に血が滲んでいます。足の皮がめくれているじゃありませんか?」
「……ごめんなさい、手当てしてくれるかしら?」
「もちろんです」
ロゼッタを椅子に座らせた俺は、その目の前に膝を突いてロゼッタの足を乗せる。失礼しますと靴下を脱がせば、足の皮がずるりと剥けていた。
ロッティに用意させた水で傷口を清め、塗り薬を塗って包帯を巻いていく。ロゼッタは泣き言一つ言わないが、これだけ皮がめくれていて痛くないはずがない。
と言うか、見ているこっちが痛々しい。
「ロゼッタお嬢様、今日のお稽古はお休みにしましょう」
「それはダメよ。ダンスは休むけど、代わりにヴァイオリンのお稽古をするわ。オリビア様が出掛けていて、音を自由に出せる機会なんてそうそうないもの」
――と、こんな感じである。
見ていて痛々しいと思う反面、ひたむきな姿勢がとても好ましい。だから俺も勉強を教えられるように共に努力を重ね、ロゼッタが幸せになるための後押しをしていく。
そうしてあっという間に三年が過ぎ、俺とロゼッタは十四歳になった。
十四歳になるとプティデビューを終えて、いくつかのパーティーに参加できるようになる。
そんなパーティーの一つ。アズールカリス王家の第二王子、ラッセル王子の誕生パーティーに参加するべく、俺達は魔導列車に揺られていた。
魔導列車とは、魔石を動力とした魔導具を動力に走る列車である。王都と主要な街を繋いでいるので、王都からラスティローズ侯爵領とは直通で繋がっている。
そんな魔導列車の個室、そこにいるのはロゼッタと俺、それにロッティの三人だけだ。
ラスティローズ侯爵は多忙なため、もともと王都に滞在している。継母のオリビアは直前まで侯爵領にある屋敷に滞在していたが、なにかと理由を付けて別行動だ。
という訳で、ロゼッタの一行は三人だけ。
いくら治安がよいとはいえ、最年長が十八歳のロッティで成人もしていない。色々と不安がある――と思われそうだが、俺達にとっては監視の目がなくて都合がいい。
それに実のところ護衛は存在している。俺の助言で立ち直ったロッティの実家、グラスグリーン子爵家が密かに護衛を付けてくれているのだ。
グラスグリーン子爵は俺が想像しているよりも有能だった。
俺から情報を手に入れた子爵はすぐさま行動を開始。オリビアの裏切りに気付いたことを隠したまま立ち回り、巧妙に利益を上げていった。そうして、いまでもオリビアに従っている振りをしたまま、ロゼッタに便宜を図ってくれている。
もちろん、ロッティもいまではすっかりロゼッタの味方だ。
という訳で、魔導列車の個室、俺達三人は実にのんびりとした時間を過ごしている。窓際の席、窓の外を流れる景色を眺めていたロゼッタがおもむろに俺を見た。
「ノエル、見てください! 地面の下に空がありますよ!」
一瞬なんのことかと視線を向ければ、たしかに地面の下に空が広がっていた。
「スカイブルー湖ですね。この国で一番大きな塩湖ですよ」
「あれが湖なのですか? スカイブルーという地名は聞いたことがありますが、見るのは初めてです。なぜ、あんな風に空が映っているのですか?」
「塩の結晶が水面まであり、水が鏡のようになっていると聞いたことがあります」
なので、少しでも風があったりするとあのように綺麗には映らない。いままでにも何度か魔導列車に乗っているが、俺もあのような景色を見るのは初めてだった。
「素敵ですね……でも、水面まで塩の結晶があるなら、泳げそうにはありませんね」
「……ロゼッタお嬢様は泳ぎたいのですか?」
「そうですね、お屋敷から出ることはあまりありませんから。いつか、みんなで泳ぎに行きたいとは思っています」
「それは、きっと楽しいでしょうね。ラスティローズ侯爵領にもプライベートビーチがあると記憶しています。いつか本当の意味でお嬢様が自由になったらお連れいたします」
「約束ですよ。水着選びも付き合ってくださいね」
悪戯っ子のように笑う。
この国は十四前後から男女が二人っきりになったりしないように気を使い始めるのだが、男女が水着で一緒に遊ぶと言ったことは特に禁止されていない。
二人っきりなのが問題であって、人目があれば問題はない、という世界観。個人的には、それでよいのかと突っ込みたくなるような決まりだが、この国ではそれが一般的な考えだ。
ノエルはどんな水着がいいと思いますか? なんて感じで俺を困らせつつ、ロゼッタは上機嫌でおしゃべりを続ける。巻き戻り前では決してあり得なかったやりとりだ。
それが嬉しいような、寂しいような、少しだけ複雑な気持ちになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます