エピソード 1ー2
ロゼッタを幸せに導くためにクリアしなければいけない問題は大まかに分けて三つある。
一つ目は、ロゼッタの不幸を願う継母やその娘の監視の目を誤魔化すこと。
二つ目は、ラッセル王子とのあいだに持ち上がった婚約を妹に潰されないようにすること。
三つ目は、ティナにラッセル王子の心を奪われないようにすることである。
ロゼッタは継母の嫌がらせを受けてなお、自力で侯爵令嬢に恥ずかしくない程度の教養を身に付けるほどに賢く、王子を一目惚れさせるくらいに美しい容姿の持ち主だ。
巻き戻り前はロゼッタを教育する人間がいなかったが、いまは七年ロゼッタに仕えた知識を持つ俺がいる。俺が全力で彼女を教育すれば、巻き戻り前より素敵に育つだろう。。
そう考えた俺は、さっそくお嬢様の教育を開始した。
礼儀作法はもちろん、座学全般に加え、ダンスやヴァイオリン、刺繍などの令嬢としての教養。いままでの遅れをこれから取り戻していく必要がある。
そう思っていたが、ロゼッタは俺が想像しているよりもずっと教養があった。なにより、この状況を抜け出そうとする気概が感じられる。この調子で学んでいけば、プティデビューを終える頃には聡明で美しいレディに成長しているだろう。
だがそれはあくまで、この調子で学んでいけば、である。
お嬢様に教養があり、俺が彼女の成長を促す力があるとオリビアに知られれば、俺はあっという間に専属執事の座を降ろされてしまうだろう。
それを防ぐには、教育の場をメイド達に見せないのが一番だ。
だが厄介なことに、ロッティは仕事熱心だ。他のメイドは、俺がお嬢様を見ておくので大丈夫ですよと唆せば、喜んでサボってくれるのだが……ロッティはサボらない。
むしろ、他のメイドがサボっていることを知り、ロッティがロゼッタの専属のように付き従うようになってしまった。このままでは、俺もロゼッタも自由に動くことが出来ない。
幸い、巻き戻り前の七年間でオリビアが自ら様子を見に来たことはただの一度もない。監視の目さえ誤魔化すことが出来れば、オリビアに邪魔されることはないだろう。
ゆえにロッティの口を封じることが出来れば一番だが、俺は彼女の口を封じる術を知らない。そこで考えたのが、メイドの階級である。
まず、メイドの総轄がメイド長。彼女がオリビアの目であり耳であり、彼女の見聞きした事実は確実にオリビアに届けられる。
メイド長の部下である、ハウスメイドを始めとした様々なメイド達。ロッティ達の見聞きしたあれこれもすべて、上司であるメイド長を通して、オリビアの元に届けられる。
本来であれば、そこに独立したレディースメイドが存在するのだが……そこは空席で、代わりに専属執事という形で俺が収まっている。
むろん、俺がロゼッタの不利な情報をオリビアに流すことはない。
つまり、メイド長さえ抱き込んでしまえば、オリビアの目と耳は潰すことが出来る。
という訳で、メイド長を抱き込めば解決である。では、どうやって抱き込むかだが、これは巻き戻り前の記憶を利用した。その記憶を元に裏付けをおこない、彼女の部屋を訪ねる。
「メイド長、少し相談があるのですが……」
「相談なら、ロッティになさい」
「申し訳ありません。彼女ではなく、メイド長にしか相談できないことなんです」
いかにも頼りなさげな子供の振りをして、メイド長に縋ってみせた。彼女はいかにも面倒くさそうな顔をするが、自分より三十近く年下の俺に対して無警戒だ。
仕方ありませんねと溜め息をつきつつも部屋に招き入れてくれた。
「それで、相談というのはなんですか? 私は忙しいので早く言ってください」
「では単刀直入に――これをご覧ください」
メイド長にとある報告書の写しを差し出した。面倒くさそうに視線を落とした彼女の顔が見る見る驚愕に染まり、続けて青ざめていく。
俺が見せたのは、彼女が犯した横領の証拠だ。
「こ、これをどこで手に入れたのですか!?」
「驚きですよね。お屋敷で使っている消耗品の単価を誤魔化し、毎月結構な額がどこかのメイドの懐に流れているのですから」
「私はどこで手に入れたのかと聞いているのですっ!」
メイド長は焦りと怒りで我を失いそうになっている。だが、それは俺の望むべき状況ではない。彼女を追い詰めすぎないように、俺は出来るだけ無邪気に笑って見せた。
「ご心配なく。私がこの屋敷で元気に働いている限り、その情報はどこにも漏れません」
俺になにかあれば、その情報が明るみに出ると脅して自分の安全を確保。同時に、現状を維持する限り、俺がその情報を公表する気がないと匂わせた。
腐ってもメイド長だ。彼女はすぐにこちらの意図を理解した。
「……貴方は、なにを企んでいるのですか? ……いえ、貴方のような子供が、このような手を打てるはずがありません。背後にいるのはウィスタリア子爵でしょうか?」
「古来より、好奇心が旺盛な猫は首を刎ねられると相場が決まっていますよ?」
余計な詮索は無用だと無邪気に笑うと、彼女は得体の知れない物を見るような顔をした。
「わ、私になにをさせるつもりですか?」
「……なにも」
メイド長が眉を吊り上げる。
「ここまでして、なにもと言うことはないでしょう! なにを企んでいるのかおっしゃいなさい! でなければ、協力いたしませんよ!」
「……それは、自分の罪が明るみに出てもよいと言うことですか? 長年、自らの主を裏切って横領を働いた罪、その末路は悲惨なものだと思いますが」
「くっ、卑怯な……っ」
卑怯なのはその通りだが、貴女にだけは言われたくないと嗤ってみせる。そうして立場を分からせた上で、教えてもいいでしょうと一歩引いてみせた。
その上で、彼女に俺の言葉に従う名目を与える。
「ラスティローズ侯爵家のご令嬢の身の回りのお世話を任せて頂く。これがどれだけの幸運かは言うまでもないことでしょう? 私はこの幸運を逃したくないのです」
ロゼッタに取り入って、自分の出世に使う。あるいは、ロゼッタを自分のモノにしようとしている。そう思われてもかまわないくらいのニュアンスで言い放った。
「……幼いなりで、ずいぶんな野望を持っているようですね」
「だったらどうしますか?」
俺の問い掛けに彼女は沈黙した。
オリビアを裏切れと脅したなら、オリビアの粛正を恐れて拒絶したかもしれない。
だが、俺はロゼッタを自分のモノにするとほのめかした。それはロゼッタを貶めようとするオリビアの指示にも沿っている。
つまり、俺との取り引きはオリビアを裏切ることにはならない――と、言い訳が出来る。
だから――
「いいでしょう。貴方が専属執事の座を追われないように協力いたしましょう」
メイド長は自分の保身に走った。
これで、俺がロゼッタの取り巻く環境を改善していっても、しばらくは黙認してくれるだろう。いずれは俺の嘘に気付くかもしれないが……その頃には手遅れだ。
オリビアを裏切り、俺に弱みを握られている彼女は、俺に従う意外に生きる道はない。
ラスティローズ侯爵家のお屋敷に来てから一ヶ月が過ぎた。
朝起きた俺は洗面所の鏡の前、魔導具を起動して顔を洗うための水を蛇口から流す。それを手で掬ってバシャバシャと顔を洗った。水を流す魔導具は、いまでは平民の家にも備え付けられているが、やはり侯爵家の魔導具は性能がいい。
俺は爽快な気分で朝の準備を終え、それからロゼッタの部屋を訪ねた。ロゼッタは既にロッティの手で朝の準備を終えており、春らしいゆったりとした洋服に身を包んでいる。
「おはよう、ノエル。素敵な朝ね」
「おはようございます、ロゼッタお嬢様。衣替えをなさったのですね」
「ええ。春らしくなってきたから、流行の服を取り寄せてもらったの。オリビア様も、わたくしが着飾ることにかんしては文句を言いませんから」
たしかに――と、苦笑いを浮かべた。
継母のオリビアはロゼッタを冷遇している。だが夢の通りなら、ロゼッタの実の父であるラスティローズ侯爵は家を留守がちなだけで、ロゼッタを冷遇している訳ではない。
ゆえに、ラスティローズ侯爵にバレるような冷遇の仕方はしない、という訳だ。もっと分かりやすい嫌がらせの仕方をしてくれたら、こっちとしては助かるんだけどな。
「……どうですか?」
ロゼッタが立ち上がり、クルリとターンした。ドレスはロングスカートと決まっているが、私服はそういった決まりは一切ない。いまのロゼッタはゆったりとしたブラウスに、膝丈のフレアスカートという愛らしい服を身に着けている。
「とてもよくお似合いですよ」
「可愛いですか?」
「とても可愛いです」
「……そうですか」
えへへと、子供らしくはにかんだ。とてもしっかりしているお嬢様だが、こういうところは年相応に可愛らしい。だがそれは、普段が環境に合わせて無理をしているということだ。
「ノエル、急に黙り込んでどうかしましたか?」
「いえ、私にもう少し力があれば、ロゼッタお嬢様がもっと自由に過ごせるのに、と」
メイト長には、俺がロゼッタに取り入ろうとしていると思い込ませてある。ゆえに、俺がロゼッタに座学の勉強を教えている程度なら、ロッティが報告しても問題はない。
だが、ダンスやヴァイオリンなどは第三者からも、その稽古の内容がお遊戯レベルではないとバレ、不審に思われてしまうだろう。以前よりは動きやすくなったとはいえ、まだ完全な自由を得たとは言い難い。そう言って顔を曇らせれば、ロゼッタはイタズラっぽく笑った。
「たしかに、わたくしはまだ本当の意味で自由じゃないわ。でも、ノエルがいてくれるおかげで以前よりはずっと自由になった。これ以上を望むのは贅沢というものよ」
「……お嬢様」
これ以上は贅沢。言い換えれば、心の何処かでは我慢していると言うことだ。やはり、ロッティの監視もなんとかする必要がありそうだ。
俺はロゼッタのために、もう一歩踏み込む決意を下した。
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