エピソード 1ー1
ふと我に返ると、王城の中庭に立っていた。
デビュタントは終えていない、けれどお披露目を終えた幼少期の子供達が集まるパーティーの最中で、俺は子供達とおしゃべりに興じていた。
だが同時に、長い長い夢を見ていたような気がする。
「やめて、触らないで!」
「なんだよ、親に見捨てられて可哀想だから相手してやってるんだろっ」
怯える女の子の声と、傲慢な男の子の笑い声を聞いて現実に引き戻される。女の子はラスティローズ侯爵家のご令嬢で、からかっているのは伯爵家の男の子とその取り巻き達だ。
自分の置かれた状況に混乱しながらも、おおよその状況は把握する。夢で見た光景と同じだ。ここでロゼッタを助けなければ、あの夢の結末を迎えることになるかもしれない。
冗談じゃない。
ロゼッタが悲しむ未来なんて選べるはずがない。
俺は二人のあいだに割って入っていた。
「彼女が嫌がっています。それくらいにしたらいかがですか?」
「なんだ、おまえ。子爵家の次男の分際で、伯爵家の俺に逆らうつもりか。引っ込んでろ。じゃなきゃ、おまえの実家を潰してやる」
彼――シーグルはたしかに伯爵家の長男だ。子爵家の、それも次男でしかない俺が彼に逆らうということは、実家に迷惑を及ぼす可能性を否定できない。
さっきまでの俺なら怯えて口を閉ざしただろう。だが、ここで口を閉ざせばどうなるかを夢で見た。あのような結末を迎えるほど怖いことは他にない。
そもそも――
「貴方には無理ですよ」
「なんだとっ!」
激昂したシーグルが胸ぐらを摑んでくる。だけど俺はそれに合わせ、彼の瞳を真正面から覗き込んだ。その怒りに曇った瞳の中に幼い自分の姿が映り込んでいる。
「私の実家を潰すと、そうおっしゃいましたね? 一体、どのような理由で、貴方のお父上を説得するつもりですか? 侯爵家の令嬢を虐めていたら、子爵家の次男に止められて腹が立った、と? 貴方の父上がそのような言葉に耳を貸すとは思えませんが」
俺の知る――正確には夢で知ったシーグルの父は、殊更優秀な訳ではないが、逆に愚かな訳でもない。子供の戯れ言に流され、自ら恥をさらすような愚かな真似はしない。
夢で得た知識を当てにするのはどうかと思うが、いまの俺は少しも疑っていなかった。
ゆえに、そのようなことを訴えれば叱責されるのが関の山だろう。あるいは、既に叱られたことがあるのかもしれない。シーグルはそんな俺の指摘に対して露骨に目を泳がせた。
ここが折り合いの付け所だろう。ここで徹底的にやり込めて恨みを買えば、相手が損得を度外視して復讐に及ぶ可能性も否定は出来ない。
だから――と、俺はシーグルに顔を寄せた。
「それに、これは貴方のためでもあるのですよ?」
「……は? どういう意味だ?」
「彼女は侯爵家のご令嬢です。貴方は彼女を下に見ているようですが、彼女の家の扱いなど関係ありません。伯爵家を脅す口実を、侯爵家が見逃すと思っているのですか?」
これは、夢の中で起きたことだ。
伯爵家の人間が、侯爵家のご令嬢を傷付けた。ロゼッタの継母はその事実を使って脅し、伯爵家という手駒を手に入れるのだ。
そんな未来をほのめかせば、シーグルは顔面を蒼白にして俺から後ずさった。
「……くっ、覚えてろっ! いくぞ、おまえら!」
「ま、待ってください、シーグル様っ」
シーグルが逃げるように立ち去り、その後を取り巻き達が追い掛けていく。それを見送り、俺はいまだ沈黙を守っているロゼッタに向き直った。
彼女は、アメシストの瞳を大きく見開いていた。
俺は夢を見たことで大きく成長した。
俺の認識が正しければ、つい先ほどまでの俺と、いまの俺にはおよそ七年分の経験の差がある。ロゼッタにしてみれば、俺が別人のごとく豹変したように見えるだろう。
俺があの結末からこの時点に戻ってきた理由は分からない。そもそも、これが現実なのか、あの結末が本当にあったことかどうかも分からない。
だが、この胸を苛む後悔を正すことが出来るのならなんだっていい。俺はロゼッタを破滅へと導く原点を潰した。このまま運命を変え、ロゼッタを幸せな未来へと導いてみせる。
――そんなことをしたら、原作のストーリーが崩壊して世界が滅ぶぞ。
……え? いま、俺は……なにを?
~~~っ。酷い頭痛がする。
「あの……大丈夫?」
頭を押さえて顔をしかめる俺を、ロゼッタが心配そうに見つめていた。俺は慌ててなんでもありませんと取り繕う。その上で、貴女こそ大丈夫でしたかと問い掛けた。
「うん。私は大丈夫だよ。ノエル、助けてくれてありがとうっ」
少し子供っぽさの残る口調でお礼を口にして、アメシストの瞳を輝かせた。年相応の無邪気さを覗かせて、じぃっと俺に視線を注いでくる。
「あの、私の顔になにか付いていますか?」
「え? あ、ご、ごめんなさい!」
ロゼッタは恥ずかしげに目を伏せてしまう。そう言えば、この頃のお嬢様が引っ込み思案だったな。そんな風に考えていると、ロゼッタが顔をしかめてこめかみに手を当てた。
「ロゼッタお嬢様?」
「……え? ノエル、なの?」
「はい、ノエルです。……大丈夫ですか?」
「え、あ、はい。――わたくしは、問題ありません」
困惑したような顔。様子がおかしいと心配するが、そこにロゼッタを探すメイドがやってくる。ロゼッタお付きのメイド――とはいえ、彼女は継母側の人間である。
現時点での接触を嫌った俺は、ロゼッタに別れの挨拶を口にした。
「ノエル……また会えますか?」
「はい。きっとすぐ会えますよ」
――などと言ったものの、俺達が本当に再会できるかは微妙なところだ。
夢――というにはあまりに鮮明だ。死亡をトリガーに七年前に戻ったと考える方がしっくりくるほどに。ゆえに、これからは七年前に巻き戻ったことを前提に考えよう。
巻き戻りで消えた未来では、この直後にロゼッタの専属執事として勧誘された。だがそれは、ロゼッタに対する継母の嫌がらせの結果である。
身も蓋もない言い方をすれば、俺が執事になることで嫌がるロゼッタを見たからこそ、継母は俺をロゼッタの専属執事に抜擢したのだ。
つまり、ロゼッタを助けたことで、巻き戻り前と同じように専属執事に抜擢される道が閉ざされた。なにか別の手を考えなくてはいけない。
そんな風に考えていたのだが、なぜか巻き戻り前と同様に専属執事に抜擢されてしまった。
俺を勧誘したのは巻き戻り前と同様にロゼッタの継母、オリビアだ。名目も同じで“人見知りなロゼッタが心配なので、ロゼッタと仲のよい貴方に目を付けた”というものだ。
巻き戻り前の出来事がなければ、これが義理の娘に向ける善意だと思ったかもしれない。だが、巻き戻り前のあれこれを知っている俺には、その言葉を信じることは出来なかった。
……可能性として考えられるのは、ロゼッタが巻き戻り前と同じく俺を避けていること。だが、巻き戻り前と違って、俺はロゼッタを見捨てなかった。
さすがに避けられるようなことはない……はずだ。
他に考えられるのは、オリビアが誤認した可能性、だろうか?
理由は分からないが都合はいい。
俺は巻き戻り前と同じように応じ、ロゼッタの専属執事となることを選んだ。
一ヶ月後。
正式な手続きを経て、俺はラスティローズ侯爵家へと足を運んだ。
侯爵は非常に多忙な方で滅多に姿を見せないため、この日もオリビアが対応し、彼女のいる前でロゼッタと引き合わされた。
オリビアの呼び出しに応じ、ロゼッタが応接間へと姿を現す。彼女は仏頂面で俺を一瞥すると「オリビア様、私を呼びましたか?」と口にした。
「ロゼッタ、彼は貴女の専属執事です」
「……女性の私に、専属執事を付けるのですか?」
ロゼッタが難色を示す。
ここで少し補足すると、一言で使用人と言っても役割はいくつにも分かれている。
まずはハウスキーパー。一般的にはメイド長と呼ばれる存在で、雑務担当のハウスメイド、洗濯専門のランドリーメイドや、料理担当のキッチンメイドの総轄をしている。
そこから独立しているのがレディースメイド。いわゆる側仕えや侍女と呼ばれる存在で、女性貴族の身の回りのお世話をする上級メイドである。
でもって、専属執事はその男性版。
つまりオリビアは、男の俺にロゼッタの身の回りのお世話をさせると言っているのだ。
「だって貴女は、私の選んだレディースメイドをやめさせてしまったでしょう? でも、彼とは仲が良いと聞き、わざわざ貴女のために選んだのですよ。それに、彼にさせたくないことは、いままで通り他のメイドにさせればいいでしょう?」
「……これ以上の使用人は必要ありません」
ロゼッタは眉をひそめてやんわりと拒絶した。
巻き戻り前とほぼ同じやりとり。あのときの俺は、このセリフにショックを受け、避けられるのは自業自得だと自分を責め、取り乱さないようにするのが精一杯だった。
だけどいまの俺は違う。だから気付いた。ロゼッタが遠回しの拒絶を口にした瞬間、オリビアがニヤリと笑ったことに。……ホント、性格悪いな。
その後も、オリビアはあれこれと利点を並び立てて、ロゼッタのためだと説得する。それに辟易したのだろう。ロゼッタは小さな溜め息を吐いた。
「……分かりました。オリビア様の言うとおりにします」
これもまた、巻き戻り前と同じセリフである。もしここでロゼッタが喜んで応じていたら、おそらくオリビアは俺を専属執事にすることを考え直しただろう。
そういう意味では助かるけど……もしかして俺、ロゼッタに避けられてる? 巻き戻り前とは違って、避けられる理由はないはずなんだけどな。
ともあれ、俺はロゼッタの専属執事に選ばれた。
「話は以上です。全員退出なさい」
オリビアに退出を命じられ、ロゼッタやそのお付きのメイドと共に部屋を出る。
「あの、ロゼッタお嬢様」
「――話しかけないで」
声を掛けるなり拒絶される。
……俺、ちゃんとロゼッタを助けたよな? もしかして、助けたのは俺の妄想だった?
自信がなくなってきたが、黙れと言われれば黙るしかない。
俺は口を閉ざし、無言で歩き出したロゼッタの斜め後ろを付き従う。ほどなく彼女は自室に戻り、俺はメイド長から仕事を学ぶように言われた。
言われたのだが――
「子供の貴方にはなにも期待していません。精々、お嬢様に言われた仕事でもなさい」
部屋を追い出された。
なんともやる気のなさが伝わってくるが、これまた巻き戻り前と同じ展開だ。そもそもメイド長はオリビアの手駒なので、実質ロゼッタの敵である。
そうして部屋を出たところで、見かねたように女の子が声を掛けてくれた。
彼女の名前はロッティ。まだ十四歳のハウスメイドだが、レディースメイドを持たないロゼッタの身の回りのお世話を兼任している。
「ごめんね、メイド長は気難しい人だから」
「いえ、気にしていません」
「そっか、キミは見た目よりしっかりしてるんだね。私の名前はロッティ。キミよりも先輩ではあるけど、立場的には下になるから呼び捨てでいいよ」
「……ではお言葉に甘えて。ロッティと呼ばせていただきます」
赤い髪を後ろで束ねた彼女は、柔らかな笑みを浮かべた。優しげな少女ではあるが絆されてはいけない。彼女もまた、ロゼッタの様子をオリビアに報告する立場にある。
それはともかく、俺は巻き戻り前と同様に彼女から仕事の内容を聞く。と言っても、ロゼッタの身の回りのお世話は、俺が七年続けてきたお仕事である。
誰かに教えられるまでもなく把握している。一通りの手順を聞いた俺は、理解いたしましたと話を終え、ロゼッタの元へ紅茶を届けることにした。
「ノエルです。紅茶をお持ちいたしました」
「……入って」
ロゼッタの部屋の前、ノックをして声を掛けると、ことのほか素直な答えが返ってきた。巻き戻り前はこのときも追い返されたのだが、ようやく違う反応が得られた。
「失礼いたします」
部屋に入ると、ロゼッタが窓辺の机で本を読んでいた。
近年、植物紙の登場によって紙の値段が下がり始めているとはいえ、本はまだまだ貴重な存在である。決して汚すことがないよう、紅茶はソファの前にあるテーブル席に並べる。
ちなみに男女ともに七歳でお披露目、十四歳でプティデビュー、二十歳になると男女ともに成人。女性はデビュタントを経て、正式なレディと認められるようになる。
一般的には、プティデビュー前後から異性と二人っきりにならないような配慮が始まる。ロゼッタは既に十歳、異性と二人っきりになるのはそろそろ外聞が悪い。紅茶を並べ終えた俺はすぐに席を外そうとしたのだが――退出しようとしたところで呼び止められた。
「いまは貴方一人ですか?」
「はい。今後、着替えや入浴以外の身の回りのお世話は私がすることになりました。異性の私がお世話をすることに抵抗があるかもしれませんが――」
「かまいません」
「……え?」
思ってもいないことを言われて眉を上げる。
ロゼッタは本を机の上に置いて立ち上がり「一人で飲む紅茶は味気がありません。少しわたくしの話に付き合ってくださいませ」とピンクゴールドの髪を指先で掻き上げた。
「お話、ですか?」
困惑する俺の目の前、彼女はスカートの裾を摘まんでカーテシーをする。淑女の挨拶だが、それは本来目上の者に対する挨拶だ。少なくとも、使用人に対しておこなう挨拶ではない。
「ロゼッタお嬢様。私は貴女の使用人となりました。ですから、そのような挨拶は無用です」
「いまのは、わたくしを救ってくださった友人であり、颯爽と助けてくださった王子様への挨拶です。先日は庇ってくださってありがとう存じます。感謝の言葉もございませんわ」
「いえ、その……当然のことをしたまでです」
驚いた……けど、安心もした。あまりに巻き戻り前と同じ展開だったから、俺がロゼッタを助けたのは妄想だったのかと思うところだった。
でも、だったらどうして、いままで反応が巻き戻り前と同じだったんだろう?
「さて、ノエルはいま、わたくしの反応に戸惑っているでしょう? だから、その事情を説明させて頂きますね。実は――」
ロゼッタの口から聞かされたのは、いまの彼女の現状だ。継母のオリビアに嫌がらせを受けており、使用人達もオリビアから送り込まれた監視であるという事実だった。
俺がその事実に気付いたのは夢の中でもずいぶん先のことだが、彼女はこの頃から気付いているらしい。
「――という訳で、貴方を歓迎していると知られれば、間違いなく貴方は専属執事を下ろされます。だから嫌がっている振りをいたしました。気分を害したらごめんなさいね」
「いえ、そういうことであれば問題はございません。ただ一つ伺いたいのですが、質問をしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん。一つでも二つでも、好きなだけ聞いてください」
アメシストの瞳が無邪気に輝いた。その様子からは、異性の俺が身の回りのお世話をすることに対する忌避は感じられない。俺が望まれていない、ということはなさそうだ。
「ありがとう存じます。ですが、質問の必要がなくなってしまいました」
「……そう? なら、わたくしからもいいかしら?」
「なんでしょう?」
「さっき言った通り、わたくしは継母のオリビア様から嫌われています。その上、ここにいるメイド達はオリビア様の目も同然なので下手なことは出来ません。……分かりますか?」
試すような眼差し。巻き戻り前の幼い俺なら理解に時間が掛かったかもしれない。だが、七年分の経験を持ついまの俺は、ロゼッタが求めていることをすぐに理解する。
「監視の目を誤魔化せばよいのですね」
「話が早くて助かります。可能ですか?」
「そう、ですね……簡単ではありませんが、不可能ではないと思います。ですが、ロゼッタお嬢様は監視の目を逃れ、一体なにをするつもりですか?」
巻き戻り前のロゼッタは、闇堕ちしてティナに危害を加えようとした。いまのロゼッタは闇堕ちする前なので大丈夫だとは思うが、念のために確認せずにはいられない。
ロゼッタは頬に指先を添えて、そうですね……と呟く。
「……わたくしには共に歩みたい人がいます。その人の隣を歩けるように、まずはお勉強。様々なことを学び、正しく成長して、その……幸せになりたいと思っています」
ほんのりと頬を赤く染めるロゼッタが可愛らしい。思わず、巻き戻り前のやりとりを思いだしてしまった。ロゼッタと二人で歩むことが出来ればきっと俺も幸せになれるだろう。
だけど……違う。
あの壮絶な最期を経て、この時間に戻ってきたのは俺だけだ。一緒に一からやり直そうなんて話をしたことを、いまのロゼッタは知らない。
共に歩きたい相手は別の誰かのことだ。
この頃のロゼッタは……そう、ラッセル王子に憧れている。
いつか王家に嫁ぐことになると言われて育った。いまはまだ交流がなくて淡い憧れを抱いているだけだが、十四になって参加するパーティーで王子と出会って恋に落ちる。
だから――
「ロゼッタお嬢様の望みを叶えられるよう、全力を尽くすと約束いたします」
「ありがとう。それじゃ……」
穏やかな笑みを浮かべ、彼女はそっと手を差し出してきた。巻き戻り前には決して届かなかった手が目の前にある。俺は唇をきゅっと結び、恐る恐る自分の手を伸ばした。
刹那――
「ノエル、これからは一緒に頑張ろうねっ」
ロゼッタが自ら手を伸ばし、俺の手をぎゅっと握り締めた。巻き戻り前の、もはや叶わぬ約束を思い出し、思わず泣きそうになるのを必死に堪える。
「ロゼッタお嬢様の仰せのままに」
一緒にという約束は叶えられなくても、ロゼッタは必ず幸せにしてみせる。そんな想いを胸に、俺はロゼッタの手を握り返した。
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