失格執事だけど、今度はお嬢様を幸せにする

緋色の雨

プロローグ

「やめて、引っ張らないで!」


        「なんだよ、親に見捨てられて可哀想だから相手してやってるんだろっ」


「わ、私は見捨てられてなんてないもんっ」


        「強がってるんじゃねぇよ。おまえは――」


    「――嫌がってるだろ、やめろよ!」


        「はあ? 家を潰されたくなければおまえは黙ってろ」




 十歳だったあの日、脅しに屈した俺はロゼッタを護ることが出来なかった。

 そして七年が過ぎ――


「ロゼッタ・ラスティローズ、そなたを断罪する」


 必要最低限まで人を排した王城の一室。ラスティローズ家のご令嬢であるロゼッタと、その執事である俺が真っ赤な絨毯の上に跪いていた。

 そんな俺達を見下ろし、ラッセル王子が厳かに言い放つ。


「そなたはティナに危害を加えようとした。この国の聖女に危害を及ぼそうとした罪は許しがたい。よって王都からの追放を申し渡す」

「……王都からの追放、ですか?」


 ロゼッタが呟き、俺は驚きに目を見張った。

 彼女と俺が犯したのは、反逆罪に問われてもおかしくないほどの罪だ。いくら彼女が侯爵家の令嬢だったとしても、追放程度の処分で許されることではない。


「……ティナ本人と、そなたの父が助命嘆願をしたのだ」


 ロゼッタが弾かれたように頭を上げる。

 いまは艶を失ってしまったピンクゴールドの髪が大きく揺れた。


 継母に虐げられ、嫉妬にかられてティナに害意を向けてしまった。ロゼッタは、自分がすべてを失ったと思っていたからだ。

 だが、実際はどうだ? 父が、そしてティナが、ロゼッタの助命を願ったのだという。彼女はすべてを失ったのではない。自分から、すべてを手放してしまったのだ。

 それにようやく気付いたのだろう。俺の視界の隅で、ロゼッタが顔をくしゃりと歪ませる。


「異論は、あるか?」

「……いいえ、愚かなわたくしに慈悲を賜ったこと、心より感謝いたします」


 ロゼッタが嗚咽混じりの声で答え、深々と頭を下げる。

 それを見届けたラッセル王子は続けて俺へと視線を向けた。


「ノエル、そなたも同様に王都から追放とする。なにか異論は……ないな?」

「はい。これからもロゼッタお嬢様にお仕え出来るのなら異論などあろうはずもありません。殿下の寛大な沙汰に感謝いたします」

「……そうか、そなたは最後までロゼッタの執事なのだな」


 ラッセル王子は少し寂しげに笑った。

 どれくらいそうしていただろうか? 連れて行けというラッセル王子の一声で俺とロゼッタは兵士に引き立てられ、部屋から連れ出される。

 兵士が扉を閉める寸前、ラッセル王子の呟きが聞こえた。


「……残念だよ」



 こうして王都から追放となった俺とロゼッタは、ラスティローズ侯爵家の所有する僻地へ封じられることとなった。その僻地へと移送するために用意された馬車の前にはロゼッタの父であるラスティローズ侯爵とその後妻、それに義妹が待ち受けていた。


「ロゼッタ、なぜ相談してくれなかったのだ」

「申し訳、ありません」

「……いや、私こそすまない。思えば忙しさにかまけ、オリビアにばかり家のことを任せっきりで、そなたのことを気に掛けてやれなかった。どうか……許してくれ」


 ロゼッタをここまで追い詰めた責任の一端はオリビアにある。だが、ロゼッタはそのことを口にせず、なにかを堪えるようにスカートをぎゅっと握り締めた。


「お父様は愚かなわたくしのために、助命嘆願をしてくださったとうかがっています。おかげで生きながらえることが出来ました。心より感謝いたします」

「……ロゼッタ、そなたはこれからも私の娘だ。僻地での暮らしは決して楽なものではないが、どうか健やかに暮らして欲しい」

「……はい、お父様」


 侯爵が離れると、交代でロゼッタの腹違いの妹、ラスティローズ侯爵と継母のあいだに生まれた娘が近付いてきた。彼女はいかにも悲しげな顔をしてロゼッタに抱きついた。


「――ようやく私の前から消えてくれるのね。とても嬉しいわ」


 あの継母にしてこの娘あり。彼女はおそらくわざと、ロゼッタだけではなく俺にも聞こえるように囁いて、「もう会うこともないでしょうがご機嫌よう」とロゼッタから身を離した。

 離れた彼女は再び、姉との別れを悲しむ顔をしていた。



 ロゼッタが馬車に乗り込んでいく。後に続こうとしたところで、ラスティローズ侯爵より、娘を頼むとの言葉を掛けられた。それに無言で応じ、ロゼッタに続いて馬車に乗り込んだ。

 ほどなく、馬車はゆっくりと走り出した。生まれ育った貴族街を抜け、大通りを通って王都の外へと向かう。窓の景色を眺めていたお嬢様がぽつりと呟いた。


「……どうして、こんなことになってしまったのかしら?」


 俺はその問いに答えられなかった。

 俺達が断罪されたのは、この国の聖女に危害を加えようとしたからだ。

 だが、ロゼッタは子供の頃から継母とその娘である義妹に虐められていた。その事実を知る貴族の子供達からは軽んじられ、嫌がらせを受けていた。


 そんなロゼッタにとって唯一の心のよりどころはラッセル王子だった。

 優しくて強い、物語の主人公のような王子様に憧れを抱いていた。そしてラッセル王子もまんざらではなく、ロゼッタに婚約の打診をした。

 暗闇で育ったロゼッタは王子という光に救われ、ハッピーエンドとなるはずだった。なのに妹が『姉は王子との婚約を望んでいない』と嘘を吐き、婚約は泡と消えてしまった。


 すべてが終わった後、その事実を知ったロゼッタの心はズタズタに引き裂かれた。

 泣き叫んで、艶やかな髪がくすむぐらいの悲しみを抱え、それでも顔を上げ、自ら幸せを掴み取るための努力を続けた。ロゼッタは聡明で、とても強い女の子だった。


 そんなある日、ロゼッタはティナに出会った。

 ティナは子爵家の次女で、ロゼッタと境遇が似通っていた。だから、ロゼッタはティナを目に掛けていた。自分と同じ苦難を受けさせないように救いの手を差し伸べた。

 身分差はあれども、二人はたしかに友達だった。


 そんな矢先、ティナが聖女に認定された。

 いままで彼女を見下していた者達は手のひらを返し、彼女を虐める者はいなくなった。そして取り巻きとなった者達が、ロゼッタは聖女の友人に相応しくないと排除に動きだした。


 もちろん、ティナが望んだことではない。それはロゼッタも分かっていただろう。だがそんな矢先、ティナとラッセル王子の婚約が決まった。


 ティナはすべてを手に入れ、幸せな道を歩み始めたのだ。


 それは、ロゼッタがどれだけ望んでも手に入れられなかった未来だ。数え切れないほどの不条理を抱えながら、それでも前を向き続けたロゼッタにも限界が訪れた。

 結果、ロゼッタは闇堕ちし、決して許されぬ罪を犯してしまった。


 だが、ラッセル王子はロゼッタに振られたと思っているし、水面下でおこなわれたことであるため、ティナはそもそも二人のあいだに起きたすれ違いを知らない。

 どうしてこんなことになってしまったのか? なんて、簡単に語ることは出来ない。

 それでも、もしも原因を上げるとすれば――


「七年前のあの日、私が勇気を出していれば、こんなことにはならなかったでしょう」


 当時の俺は子爵家の次男坊でありながら、ロゼッタを友人と呼べる関係にあった。にもかかわらず、ロゼッタが虐められているとき、俺は脅しに屈して見て見ぬ振りをしてしまった。

 それが、俺の犯した許されぬ罪だ。

 当然、俺とロゼッタの友情は粉々に砕け散った。


 それからほどなく、俺は十歳であるにもかかわらず、ロゼッタの専属執事に抜擢された。

 ……抜擢されたというのは正しくないな。執事というのは本来、使用人の上級職であるため、俺のような子供が付く職業ではない。

 ましてや専属、つまりは世話係。

 男の俺が令嬢の世話係を務めるのはかなりの異例である。


 にもかかわらず、俺が専属執事に選ばれたのは、ロゼッタの継母が動いたからだ。継母はパーティーでの一件を知り、嫌がらせで俺をロゼッタの専属執事に抜擢したのだ。

 名目上は、人見知りなロゼッタが珍しく心を許す友人として。そしてその本音は、ロゼッタがいまもっとも見たくないであろう相手を側に置くため。


 最高に皮肉が効いた嫌がらせだ。

 当然、ロゼッタが俺に心を開くはずもない。本来ならもっとも信頼できる世話係すら、彼女の心のよりどころにはならない。彼女の心は傷付き続けた。

 それがきっと、“こんなことになってしまった”一つ目の原因だ。


「ノエルは……まだあの日のことを気にしていたのね。もしかして、貴方がわたくしに仕えてくれているのは、罪悪感からかしら」

「――それは違いますっ!」


 とっさに否定が口を突いた。

 驚くロゼッタを前に、俺はぎゅっと拳を握り締めて自分を落ち着かせた。


「私はロゼッタお嬢様を護れなかった。そのことをいまも悔やんでいます。でも、側にいるのは罪悪感なんかじゃありません。私は自分の意思で貴女に仕えているのです」


 ロゼッタを止めたのは罪悪感でも保身でもない。ただ守りたいだけだと訴えかければ、ここ数年はずっと曇りがちだった彼女の瞳に小さな光が宿った。


「わ、わたくしは、過ちを犯して追放された身ですよ?」

「関係ありません」


 幼い頃、子爵家の次男でしかない俺が、恐れ多くも侯爵家のご令嬢を守ろうとして無様を晒した。あのときの無謀に比べれば、いまの方がよほど現実的と言えるだろう。

 だから――


「ロゼッタお嬢様、一緒にやり直しましょう。二人ならきっと生きていけます」


 手を差し出せば、アメシストの瞳が戸惑うように揺れた。


「……本気で、言っているのですか?」

「このようなこと、冗談では申しません」


 七年前は間違ってしまったけれど、今度は絶対に間違えない。そんな意思を込めた視線を向ければ、ロゼッタはポロポロと泣き出してしまった。


「……ずるい、ずるいです。今更そんなことを言うなんてっ。貴方に見捨てられ、わたくしがどれだけ傷付いたと思っているのですか……っ」

「申し訳……ありません」


 泣きじゃくるロゼッタに心からの謝罪を。

 それから俺はグッと背筋を伸ばし、彼女に向かって手を差し伸べた。


「ロゼッタお嬢様。何度も間違った執事失格の私ですが、それでもロゼッタお嬢様をお守りしたいと想う気持ちは本物です。だから、もう一度だけ私を信じていただけませんか?」


 手を差し伸べたまま彼女をじっと見つめると、ロゼッタは俺の顔と手を見比べた。それから遠慮がちに手を伸ばす。その手が俺の手に触れる――直前、前触れもなく馬が嘶き、馬車がガクンと揺れて急停車した。


「何事ですか!」


 即座に御者に問い掛けるが返事がない。急いで窓の外に視線を向ければ、御者が這々の体で逃げ出していくところだった。そして周囲を賊とおぼしき連中が取り巻いていた。


「お嬢様はここにいて、決して馬車から出ないように」

「ノエル、待ちなさいっ」


 ロゼッタの声を振り切って馬車から飛び降りた。続けて周囲を見回すが、いつの間にか街道を外れて人気のない脇道に連れ込まれている。

 真っ先に逃げたことを考えると、御者が懐柔でもされていたのだろう。


 そうして孤立した俺達を、十数人の賊とおぼしき怪しげな連中が取り囲んでいた。対してこちらは馬車を動かす御者もおらず、残されたのはお嬢様と俺の二人だけ。絶望的な状況だ。


「この馬車に乗るのがラスティローズ侯爵家のご令嬢だと知っての狼藉ですか?」


 一縷の望みに掛け、賊のリーダーらしき隻眼の男に視線を向けた。彼は俺の言葉にニヤリと笑って「やれ」と命令を下した。

 彼の隣にいた男が剣を抜き、流れるような動きで距離を詰めてくる。ただのゴロツキではあり得ない、明らかに訓練を受けた者の動きだ。

 だが、彼らは有利な状況に油断があった。俺は相手の無造作な一撃に合わせて踏み込み、彼の一撃が届くよりも早くにその懐に飛び込んだ。

 男の鳩尾を殴打して、素早く剣を奪い取る。


「バカがっ、だから油断するなと言っただろうが」


 隻眼の男が忌々しげに呟き、他の連中が一斉に剣を抜く。今度は数人掛かりで襲いかかってきた。一人目は不意を突けたが、いまは多勢に無勢。防戦一方へと追い込まれる。いまの俺に、この人数差をひっくり返すだけの力はない。

 次第に追い詰められ、いくつも手傷を負わされる。


 そんな俺の耳に、ロゼッタの悲鳴が飛び込んできた。視線を向ければ、連中に捕まったロゼッタが、馬車から引きずり下ろされるところだった。

 ロゼッタの首筋には短剣が突きつけられている。


「……そいつが例のお嬢様か?」

「はい。紫の瞳にピンクゴールドの髪、間違いありやせん」

「そうか、よくやった」


 隻眼の男が抑揚に頷き、それから武器を構える俺に視線を向けて言い放った。「彼女に危害を加えられたくなければ武器を捨てろっ!」と。

 俺は血が滲むほどに唇を噛んだ。


「ダメですよ、ノエル!」

「……ロゼッタお嬢様」


 言葉に詰まる。

 援軍が期待できるのなら、あるいは俺の命でロゼッタが救えるのなら、武器を捨てるという選択もあった。だが、この状況で援軍なんて期待できない。彼女を救おうとする人間が俺しかいない以上、俺がここで武器を捨てれば、ロゼッタを救う者は誰もいなくなってしまう。


 だが……この状況を覆すのも難しい。いや……弱気になったらダメだ。何度も間違った俺だけど、今度は間違ったりしない。この命に替えても彼女だけは護ってみせる。

 そう決意する俺に、ロゼッタは小さく微笑んだ。


「ノエル。一緒にやり直そう――と、貴方が言ってくれたことがわたくしはとても嬉しかったのです。愚かなわたくしですが、貴方と共に歩めば幸せになれるでしょうか?」

「……なれます。必ず、私が幸せにいたします。だから、安心して、お待ちください」


 ロゼッタを安心させるように言い放った。自分をも言い含めるように、一字一句丁寧に言葉を紡ぐ俺に、ロゼッタはその瞳から止め処なく涙をこぼしながら微笑んだ。


「ありがとう、ノエル。最後に素敵な夢を見せてくれて。間違いだらけの人生だったけど、貴方がいてくれて幸せでした。だから、どうか……」

「やめ――っ」


 背筋がぞわりとして、思わず手を伸ばした。

 次の瞬間、ロゼッタは自分が傷付くのも厭わずに、自分を拘束する男を全力で突き飛ばした。その反動で彼女の首に赤い筋が走る。

 次の瞬間――


 俺の視界が真っ赤に染まった。ロゼッタの胸に短剣が突き刺さっている。とっさのことで、俺も、そして賊の連中も動けなかった。

 ロゼッタの胸を貫いたのは――彼女自身が隠し持っていた短剣だった。


「……貴方は、逃げ、て……」

「ロゼッタお嬢様っ!」


 必死に駆け寄る。途中に立ち塞がった男の一人を斬り伏せるが、それが隙になって、別の男から背中を切りつけられた。

 激しい痛みに襲われ、喉の奥から血が込み上げてくる。


「邪魔を、するな――っ」


 膝を屈しそうになるが気合いで踏みとどまり、目の前の敵を斬り伏せた。そうしてロゼッタの元に掛けようとするが、そこに新たな敵からの一撃を食らった。


「――邪魔だと、言ってるだろっ!」


 俺を斬りつけ、ニヤけた笑みを浮かべていた男の首を刎ねる。ニヤけた顔のまま宙を舞う彼を見届けることなく、残された身体を押しのけてロゼッタの元へと向かう。

 だが、一歩一歩が凄まじく重い。

 たった十歩程度の距離が、永遠にも感じられる。


「ロゼッタ、お嬢、様、いま、お側に……っ」


 足が震えていまにも膝から崩れ落ちそうになる。それでも必死に踏ん張り、一歩、また一歩とロゼッタのもとへと向かう。そんな俺に恐れをなした連中が退いていく。

 だが、自らの血で足を滑らせた俺は無様に倒れ込んだ。自らの作った血だまりに倒れ、生々しい水音が響く。意識が遠くなり、それでも俺は手を伸ばした。

 ぼやけた視界の先、俺と同じように、ロゼッタが手を伸ばしている。

 彼女の表情はぼやけてみることが出来ない。


「ノエ、ル……」


 自由に動ければ、一呼吸で埋まる距離。それがいまは永遠のように感じられる。どれだけ手を伸ばしても、ロゼッタの手には届かない。やがて誰かの「殺せ」という声が響き、ロゼッタの背中に剣が突き立てられ、俺もまたその光景を最後に意識を失った。

 

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