テイルコート・ボーイ

春日康徳

テイルコート・ボーイ

 その地方でデステルヴァル屋敷といえば、知らぬ者はいなかった。


 伯爵が二〇〇年に渡って所有するその大邸宅は鬱蒼と茂る森に囲まれ、人里離れていた。


 故に財政界の大物や国会議員、王室や教会関係者が集い、秘密会談が開かれていた。


 重要な来客をお迎えするべく、屋敷では百名を超える使用人たちが忙しなく働く。

 メイドたちは深い緑のエプロンドレスを身にまとい、襟元と袖は白いレースで縁取られていた。

 従僕たちも黒い燕尾服を身に着け、洗練された動きで屋敷を管理している。


 その日も屋敷には多くの来客があり、広大な邸宅内は――よく冷えた。


 折しも季節は冬。

 各部屋に備え付けの暖炉の薪が、不足していた……。


「スティーブン。常日頃、薪を集めておけばこんなことにはらないのだ。大体だな……」


 老齢の執事長が、いたぶるようなお小言を連ねる。


 五〇名を超える来客が一晩でいっせいに暖炉を使用すれば、一ヶ月、必死にかき集めた薪だってすぐに底をついてしまう。


 なぜそんな当然の理がわからないのか? スティーブンは泣きたい気持ちだった。


「何をしている? さっさと仕事に取りかかれ」


 スティーブンは「はい」と力なく返事をして、凍えるような寒さの夜の森へと向かった。




 一〇歳からデステルヴァル屋敷で働いているスティーブンは、今年一四になるというのに、給仕や秘書業務などの屋敷内の仕事は任せてもらえなかった。


 彼の仕事は、薪の確保。広大な森の管理。

 仕事場はいつも外だった。

 燕尾服は泥だらけで、薄汚れている。

 四年間、一着しかない燕尾服を洗ったり縫ったりしているから、それはそれはみすぼらしい服装だった。


『そんな格好でお客様の対応ができるはずがないだろう?』


 執事長はいつもそういって、スティーブンを屋敷の外に追いやる。


 死ぬまで、いや、もしかしたら死んでも――自分は屋敷のなかで働くことはできないのだろう。

 諦めたようにスティーブンは白い息を吐き出した。

 月明かりを頼りに木を集め、斧で割って薪を集める。手はかじかみ、切り傷でいっぱいになった。


 外から眺めるデステルヴァル屋敷は、とても美しかった。

 黒いゴシック様式の窓から差し込むオレンジ色の光が、澄み切った夜空に浮かんでいる。

 まるで自分のいる暗闇とは別世界だ。


 薪を担いで、ボロボロの燕尾服の尾を引きずり、スティーブンは屋敷に戻った。

 地下の倉庫に薪を補充したが、まだまだ足りそうにはない。

 再び地下から庭園に出ると、白いドレスをまとった美しい銀髪の少女が月を眺めていた。


「…………っ!?」

 

 人の気配にハッとして、女性はスティーブンに警戒した顔を向ける。

 スティーブンは慌てて目を伏せ、その場を立ち去ろうとした。


「お待ちなさい」


 呼び止められ、スティーブンは不安になった。

 身なりからして、女性が高貴な身分であることは一目瞭然だった。

 そして――高貴な身分の者は、スティーブンに厄介事を持ち込むことも。


「こんな時間にお仕事を?」


「はい……薪を集めなければなりませんので」


「あなた……」

 

 少女は目を細めた。

 きっとスティーブンの薄汚い身なりを見て、嫌悪感を抱いているのだろう。


「……今夜は冷えます。どうぞお屋敷にお戻りください」

 

 会話を振り切るように、スティーブンは言った。


「ありがとう。あなた、少し休んだほうがいいわ。顔色が悪い。疲れているみたい」


「はあ……」


「デステルヴァル卿にわたくしから申し付けておきましょう」


「そんな、とんでもないです……」


「わたしの名はヴィクトリア。ヴィクトリア――」

 

 バタン、と玄関のドアが開いた。

 執事長が顔を真っ青にして立っている。


「陛下! このようなところで何を……」


「失礼します」

 

 また怒られたら面倒だ。

 スティーブンはそう言うとそそくさとその場を去った。

 

 ああ――屋敷に戻ったら執事長にどんなお小言を言われるのだろうな、とスティーブンは暗い気持ちになった。

 高い身分の少女と話して、仕事をサボっていたと、難癖つけられるに決まっている。


 スティーブンは邪念を振り払うようにふたたび森に分け入った。


「デステルヴァル屋敷の従僕だな?」


 突然、声をかけられて、スティーブンは顔を上げた。


 夜闇に慣れた目を細め、おぼろげに見えるのは、木の枝に止まった一羽の大鴉だった。


「貴様に話しかけている」


「カラスがしゃべった……?」


 スティーブンは驚き、生唾を飲み込んだ。


「女王陛下からの伝達だ。屋敷に危機が迫っておる。森守りは可及的速やかに対処せよ」


 くちばしを動かし、そう言った大鴉は、脚に掴んでいた“何か”を投げてよこした。


「…………?」


 それは、鍛造された矢床だった。鋼鉄の塊がドスン、と地面に落ちる。


「危機……対処って……? この僕が?」


 大鴉の言っていることの意味を判じかねて、スティーブンは聞き返す。


「貴様は森守りであろう? 魔女と戦うのだ」


「魔女って……魔法を使う悪い人? 魔女がどうして……」


「決まっている。屋敷で行われている秘密会談の議題は、魔女裁判についてだからな?」


「どうして僕なんかが……」


「魔女に対抗しうるのは貴様しかおらんからだ」


 何をこの大鴉は言っているのだろう?

 スティーブンは訝った。薪を運ぶだけの自分が、魔女とかいう存在と渡り合えるはずがないではないか。


 混乱するスティーブンに、大鴉はさらに追い打ちをかけてきた。


「お前は、最後にいつ寝たのだ?」


「……え?」


 そういえば――ここのところずっと働き詰めだった。

 薪だって寝ないでずっと集めている。


「お前は、死んでいるのに気づいていないのか? 死んでもなお働きつづけるとは……従僕の鏡だな?」

 

 自分がすでに死んでいる――到底、信じがたい事実を、スティーブンは自分の胸に手を当てて、受け入れざるを得ないことを思い知った。

 

 心臓が、拍動していない――。

 

 屋敷に入れさせてもらえない理由。

 執事長に忌み嫌われる理由。

 それは、自分が死んでいるからで――。


「不死者を使役するとは……魔女顔負けの魔術を使うのだな。デステルヴァル卿は?」

 

 大鴉は関心したように言う。

 死んでいる。

 その事に気づかずに、働かされていた。

 

 スティーブンはその場にへたり込んだ。


「僕は……嫌だ。どうして僕が戦わなくっちゃいけないんだよ」


 誰も優しくしてくれなかった。

 屋敷の誰も。

 思い浮かぶのは、自分に向けられる白い目。

 見下すような目ばかりだった。

 そんな人々に危機が迫っている。

 だから戦え?

 自分はもう死んでいるというのに?

 

 理不尽にも程がある――その刹那、怪物の咆哮が森を揺るがした。

 

 グギャアアアアアァァァァァッ!! 

 

 森の木々を押し倒し、スティーブンの前に突進してきたのは、獣の顎門あぎとに二脚が直結した化け物だった。


「魔女だ! 戦え! スティーブン!」


「これが……魔女?」


 それは魔女とは名ばかりの怪物。

 巨大な顎門には鉄をも砕きそうな牙が密集している。


「何をしている! 喰われるぞ!」


 大鴉が警告してくる。


「いや――ここで死ねるのなら、それで本望だ」

 

 これで眠れるのなら。

 寒さや労働の厳しさから開放されるなら。

 

 ――そうだ。

 

 魔女が屋敷をぐちゃぐちゃにしてくれたら。

 意地悪な執事長や。

 自分を顧みなかったメイドたち。

 全員、死ぬ。

 

 そう――ヴィクトリアと名乗ったあの少女も。


「――――ッ!?」


 ドスン!


 魔女の突進をスティーブンはかわした。

 怪物は大木に突っ込んで、グルゥゥゥゥゥ……と唸っている。


 魔女は暗い森で視力を奪われているらしい。

 だが、スティーブンには見えた。

 ずっとこの森で薪を集めつづけてきた。

 夜目にも慣れている。


「矢床を手に取れ! 脚を狙えばヤツは身動きできん!」


 大鴉が叫んでいる。


 自分には、できるのかもしれない。

 いや――自分にしかできない。


 ヴィクトリア。

 彼女だけは、自分を見下さなかった。


 それどころか、ねぎらいの言葉や気遣いをしてくれた。

 それだけで十分な気がした。


 気がつけば、スティーブンは矢床を拾い上げていた。


 突然、体中に活力がみなぎり、まるでしぼんでいた全身の筋肉が膨張する。

 目の前の敵への戦意が燃えるように、闘志が沸き立った。


「死んでいるのなら――もう怖いものもない、か」


「気が変わったか、燕尾服の不死者よ?」


「まあ……多少ね」


 グゴォォォォォォォォォォォォッ!!


 魔女がふたたび叫んで突進してくる。

 巨大な顎門を広げて、スティーブンを平らげようとする。


「僕の仕事を……増やすんじゃない!」


 デステルヴァル卿によって使役される不死者。

 死んでいる自分に、幸せは二度と訪れないだろう。


 それでも。

 誰かの幸せを守ることはできる。


「うおおおおおおおおおおお!」


 スティーブンは矢床を振るい、魔女の脚をいだ。




 翌日。

 案の定、執事長に呼び出された。

 お屋敷の玄関ホールに出向くと、デステルヴァル卿と昨夜の少女が並んで立っている。

 彼女の頭には冠がちょこんと載っており……。


 ヴィクトリア女王陛下。


 昨夜の少女の印象とはがらりと変わって、威厳のあるその姿に、スティーブンは度肝を抜かれた。


「デステルヴァル卿。この屋敷には、魔女よりも醜い下郎がおるな?」


 射るような鋭い目つきで、女王は卿に確認する。

 執事長がニヤリ、と笑ってスティーブンに視線を送ってくる。

 自分のことか、とスティーブンは動揺した。昨夜の戦いを見られたのかもしれない。


 皮肉なものだ。魔女と戦って、みんなを守った気でいた自分が愚かしい。

 でも、もうどうでもよかった。死んでいる自分には、もう何もないのだから。


「それはその男です」


 ヴィクトリア女王が指さしていたのは――執事長だった。


「従僕の労働環境は劣悪なものです。我が国内において、何人たりとも尊厳を踏みにじられて労働することなど、許してはらない」


「陛下……」


「下がれ、執事長」


 デステルヴァル卿が執事長に言い放つ。

 執事長は苦笑いを浮かべてすがりついた。


旦那様マイロード……お言葉ですが……」


「下がれと言っている。沙汰は追って伝える」


 執事長は呆然とその場に立ち尽くした。


「以上です。今後とも正義が完遂されることを願います」


「は、陛下――」


 デステルヴァル卿をはじめ、お付きの者たちもいっせいに頭を下げる。

 女王はドレスの裾を翻して屋敷を去っていった。


 その去り際、スティーブンに軽くウィンクを投げてよこしたような気がした。


終わり

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