桜の実
相模奏音/才羽司
桜の実
春、今年も花見のシーズンが来る。断れない性格から俺は昔から会社の頼み事を受けていた。
今日も前日の夜中から、公園にある満開の桜並木の合間を縫うようにブルーシートを引き、私物を置いて社員が座る場所を着々と確保していく。もう慣れたものだ。
場所が確保できたら、今度は酒と食べ物を買ってくる。買い出し中が一番楽しい。明確なやる事があり、最低限の忙しさがある方が人間、楽しいものだ。
買ってきた大量の酒と食べ物をクーラーボックスに入れ、仕事は終わる。あとは明日の昼まで荷物番をするだけ。ここからが退屈だ。治安が良い日本という国だが、万が一を考えると眠ることも出来ない。
「1本ぐらい飲んでもバチは当たらないよな」
眠れないのは承知だが、酒でも飲んでいないとやってられない。クーラーボックスから缶ビールを1本取る。かなり多めに買ってあるので、別に構わないだろう。
「月も綺麗ですし、夜桜も良いですよね」
どことなく耳元から声が聞こえ、驚きで持っている缶ビールを投げ捨てそうになる。恐る恐る見ると、見覚えのある女性社員だった。
「香坂か……」
香坂恵。5個下の社員で広報部。歳が歳なので恥ずかしいが、お化けなどではなく、話しかけてきたのがれっきとした人だった事実に胸を撫で下ろす。
「あれ? 私の名前知ってるんですね」
彼女は目を丸くして俺を見る。言われてみると、面識はないが、名前は知っている。まぁ、社内で人気のある人だから知っていたのだろう。
「なんでここに? 花見は明日だぞ?」
「ここに来たら、一足先にお酒が飲めるって聞いたので!」
香坂は目を爛々と輝かせ、俺を見る。少々、欲求に忠実すぎないだろうか。だが、そういうあざとさが人気の所以なのだろう。どことなく腹が立ったのでチョップするように軽く叩くと、「いたっ」と可愛い声が漏れる。
「明日まで待ってろ、子どもじゃないんだから」
「ケチ……
上目遣いに加えて、ムスッとした顔でそう言われるとドキッとするのだが、振り払うように首を横に振る。
「俺は良いんだよ、仕事なんだから」
そう言うと、香坂は突然俺が持っていた缶ビールを奪い取って、1度地面に落とし、すぐさま拾い、空けて飲む。
「香坂お前!」
俺が奪い取ろうと身を乗り出すが、香坂は両手を後ろに引き下げて、避ける。
「私は落ちたものを拾って飲んだだけです! 文句なんて言わせません!」
一歩も引かず、子どものような屁理屈を立て続ける香坂を見ていると、笑えてきた。
「分かった分かった。お前が本気なのはよく分かったよ、俺の負けだ」
香坂の顔が一気に明るくなったかと思うと、彼女は近くのクーラーボックスからもう1本缶ビールを俺に差し出す。
「共犯にするつもりか?」
「もちろん!」
もう酔いが回っているのかと思うような明るいテンションに心配になるが、彼女はいつもそうだから大丈夫だろう。
罪悪感はとっくに薄れており、俺は素直に受け取る。缶を空けようと蓋に指をかけた瞬間、脳裏に疑問がよぎる。
「なんでわざわざここなんだ? 別に酒が飲みたいなら家なり店なりあるだろ?」
わざわざ夜桜を見ると言っても、別に今日こんなところで見る必要はないだろう。そんなに深いことを聞いたつもりはないのに、香坂の表情が曇る。
「なんか……疲れたんです。誰かと居るのも、1人で居るのも」
分かりやすく矛盾している。俺が困惑していると、補足するように再び口を開く。
「私は寂しがり屋だから誰かと一緒に居たいんですよ。ですけど、面倒くさがり屋なので誰にも会いたくないんですよ」
「……要するに、ワガママなんだな」
「そんなにハッキリ言わないでくださいよ、傷つきますよ?」
珍しくテンションが下がったのか、静かに睨みつけられ、そっと目を逸らす。だが、少し経って、ある言葉を思い出す。
「誰かといると、自分の冷たさが分かるもんな」
「……え?」
予期していなかった言葉に香坂は目を丸くする。
「昔ある人が言ってたんだ。誰かといると自分が冷たい人に思えるって」
その人のことはよく覚えている。いつも明るいのに、1人で部屋に居ると泣いてしまうような人。大切な人のはずなのに、顔と名前が出てこないのは酔いのせいだろう。
「俺は冷たい人間だから、花見よりもこの1人でいる時間が好きなんだ」
最初は押し付けられたと思っていたが、嫌よ嫌よも好きのうちなのだろう。
「上城さんもそうなんですね、私もですよ。自分が冷たい人だと思ってる」
そう言うと、香坂は俺の隣に座り、身体を押し付けてくる。だが、そこに情感もないも湧かないのは彼女の顔が死んでるからだろう。
「冷たい人同士寄り添えば暖かいですよ。でも、段々冷たくなっていく。冷たくなって、足りなくなって、バラバラになる。そう思うと、怖くないですか?」
今は密着しているから暖かくても、30分もすれば冷める。誰にでも分かる事だ。
「なのに、どうして恋なんてするんでしょうね。終わりが分かるのに、こんなに憧れて、恋焦がれて、終わりへ歩いていく。自分が求めてる物なんて、そこにないと分かっているのに」
しんみりとした話から逸らすように顔を上げると、月に照らされた桜が目に入る。
「桜は毎年咲いて、散る。基本的に実もならない。だけど、毎年性懲りも無く咲く」
「なんでそんな意味の無いことするんでしょうね」
「そうだな……桜は実るはずのない桜の実が実るんじゃないかって待ち続けてるのかもしれない」
そう言って少しすると、香坂が突然吹き出して笑い出す。その様子を見て、俺自身も急に羞恥心に襲われる。
「いやぁ……案外ロマンチストなんですね、上城さんって」
「……良いだろ、酔ってるんだから」
「顔紅くなってますよ、恥ずかしいんだ」
半笑いでそう言われ、ムカッとするが、反論はしないでいると、香坂はふと寂しげな表情になる。
「でも、そうだと思いますよ。意味が無いと分かっていても、求め続ける限り辞められない。今の上城さんもそう」
香坂は俺の前に座り、両手を俺の肩に置く。
「さっきまでの言葉は誰かの受け売りでしょ? 貴方に根付く、誰かの言葉」
そう言われ、脳裏にある言葉がよぎる。
『私、桜の実ってならないって言われてるやつでもなる気がするんですよ』
ああ、そうか。
「また来てください。愛しの上城光輝さん」
あの日、部屋で1人泣いてたのはお前だったな、香坂恵。
愛する人からの口付けを受け入れ、意識が覚醒する。
カプセルの中で、目が覚める。
薄暗い部屋で天井も高い。そうか、俺は会社から頼みを受けていたんだった。
「被検体594133、覚醒しました。バイタル安定しています。エネルギー目標値の137%を獲得。次回ダイブは2時間後ですので、十分に休息を取るように」
白衣の男にそう言われ、俺はカプセルから出て、自分の机に置いてある写真を見る。夜桜を背に写る俺と恵。彼女は笑っているが、写真が苦手な俺は上手く笑えていない。
「恵……会いたいよ……」
2年前。恵は、妻は死んだ。交通事故だった。
◇
西暦2060年代、人の感情を新たなエネルギー源として扱う装置が開発された。そのため、沢山の会社で夢から感情を抽出できる装置が置かれるようになった。
そして、安眠をもたらし、理想の夢を映し出すための薬も開発された。桜色のその丸薬は『桜の実』と呼ばれた。
桜の実 相模奏音/才羽司 @sagami0117
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます