リアル

睦月文香

リアル


 今まで、自分の過去とは自分なりに向き合ってきたつもりだった。自分の重さや、特異性とも、うまく折り合いをつけてきたはずだった。

 でもずっとひとりで書いていた文章を人が見つけられるような場に投げ置くようになってから、私の中には案外まだ掘り起こされていないものがたくさんあることに気が付いた。

 掘り起こす……というより、救い出すということかもなのかもしれない。

 その過去を思い出すことは何度もやった。でもそれを、「必要な美しい想い出」に変えることは、できていなかった。誰にも伝えてこなかったせいか、それは内側で醜く熟れて腐ってしまっている。


 とにかく、あまりにも重い話は、人に伝わらない。読む前に、恐ろしくなって心の扉を閉ざしてしまうのが常だ。だからこそ、本当に伝えたいことを伝える時は、それがまるで作り話かのように語らなくちゃいけない。

 そうすれば、ひとつの物語として、気楽に受け取ってもらえる。だから……これは、私の物語ではなく、私によく似た誰かの物語だ。

 現実を救い出すために、嘘をつこう。本当にあったことを、あえて捻じ曲げて、ひとつの……完成された価値に置き換えよう。


 そうしなければ、私のこのどうしようもない苦しみと憎しみは、解決されない。

 生きる上で、悲しむことは悪い事じゃないと思うけれど、憎むことは悪いことだと思う。だから……私らしく、伝えきらないと。


 いわば、これは最後の切り札なのだ。私の中のもっとも重く深い部分。これを書ききってしまえば、私にはもう何も残らないかもしれない。私の心の底に積もった、一番深い味のするもの。

 宝物というよりこれは……呪いに近い。だからこれは、この呪いを宝物に変えようとする試みなのだ。


 もしどんな不幸も、痛みも、作品にすることによって価値になるのならば、私たちはもう何も恐れる必要がない。私は私の心のうめき声を、美しい歌声に変えてみたい。変えて見せる。


 どうか、真剣に向き合っていただきたい。ダメなら、笑って馬鹿にしていただきたい。


 いずれにしろ私を……読むことで、解釈することで、助けていただきたい。私は自分の人生に耐え難い。



 私が自殺未遂をしたことを知っているのは、両親と、ひとつ年上の友人ひとりだけ。その理由は複雑で、いくつかの奇妙な事情が重なった結果だった。

 それを説明するのは困難で、どのように説明しても、誤解を招いてしまうと思う。それでも、私にはそれを描く以上、説明の義務がある。拙くまとまりのない言葉だとしても、どうか想像力を働かせて、決めつけないで読んでいただきたい。

 それは本当のことなのだから。


 はとこにあたる遠縁の親戚を、私は「兄さん」と呼んで親しんでいた。彼は真面目な性格で、誰にでも優しく、それでいて自分の意見をはっきり持つ人だった。繊細で、どんな小さなことにも反応しすぎてしまう人だった。

 彼が、ある日自殺した。彼の住んでいた家と私の住んでいた家は比較的近所だったから、その話はすぐに伝わってきた。

「あの人、死んだんだって」

 多分、最初に教えてくれたのは母だったと思う。「そういえば」というような口調だった。ちょっと自分たちに関係のあるニュースを、まだ知らない人に教えてあげるような口調だった。

「何ていうんだっけ。あの大きな橋。あそこから下の車道に飛び降りて、車に撥ねられたんだって。怖いね。で、車の方は轢き逃げ。まあでも、自殺だったみたいだし」

 本当に他人事のような態度で、私はぽかんと口を空けて立ち尽くした。母は、私と彼が親しかったことを知っていたはずなのに。

「へー。そうなんだ」

 しかし、私の口から飛び出た言葉は、母と同じような無関心の言葉だった。私は自分でそれに驚きすらしなかった。自分が今までどんなふうに生きてきて、これからどんな風に生きていくか、今この瞬間、決定されてしまったように感じた。急に心臓が震えだして、私は自分が生きていることを許せなくなった。

 あんなにかわいがってもらったのに。あんなに親しく語り合ったのに。あんなに……

 思い出が、怒涛のように想起された。どれももう、本当にあったことのように思えなかった。私の頭が都合よく作り出した、フィクションのように思えた。

 なんだかこの世の全てが馬鹿馬鹿しいように思えた。


 当時、私は中学三年生だった。学校の勉強はつまらなくて、嫌いだった。受験勉強には真面目に取り組んでいた。理由はなかった。ただ、他にすることがなかったから、受験に集中しているだけだった。

 私は自分の将来を一切考えていなかった。このまま楽な方に楽な方にと流れていって、それなりに幸せに生きて、それなりに死んでいくのだと、そんな予感だけがあった。

 生きているという実感がなく、この世に無数に存在する顔のない人たちのひとりとして私も生きていくのだと、ぼんやりそう思っていた。別にそれでもいいと思ってたし、何かを変えるつもりもなかった。

 私にこの世の悲惨さや見苦しさを変えるつもりはなかったし、変えようと思えば思うほど身を引き裂くような苦痛と無力感に囚われることも知っていた。だから「私には関係のないことだ」と自分を守ることが癖になっていた。

 そうじゃなければ、あの狭苦しい義務の教室を黙って耐えることができなかったと思う。私はただ、人に迷惑をかけないように生きようと、静かに、せめて自分だけは不正なく生きていこうと、そう決めていた。


 人生は一度きりだからこそ、耐えきることできる。どんな我慢だって、一度きりならば、笑い話で済む。

 死にたいと思うことは、小学生の低学年ころから、しょっちゅうだった。一見幸福そうで、よく笑う気のいい少女は、心の中で全てを軽蔑していた。嘘つきばかり。自分勝手ばかり。自分勝手すぎて「自分勝手」という言葉すら、相手を都合よく攻撃するための言葉に成り下がっていた。

 私は誰とも争いたくなかったけれど、人は人を比べずにいられなくて、この競争社会の準備期間である学校でも、同じことだった。私がうまくやれば、私は褒められる。私よりうまくできなかった子は、私ほど褒められることはない。その子が、私のことを邪魔だと思ったのは本当のことで、私は自分が喜んでいいタイミングがいつなのか分からないまま大きくなった。いつまでたっても、私は邪魔者だった。

 大人はみんな自立していて、私の助けを必要とはしていなかったから「君がいてくれてよかった」と言ってもらったこともなければ、たとえ言われたとしても素直に受け取れないであろうことも、私は理解していた。


 どうしようもない悲観主義者だった。この世界の全て楽しみは、しょせん大きすぎる悲しみに対する慰めであり、それだけでしかないと、そう感じていた。

 運動をすれば、気が晴れる。何も考えず死んだように眠れば、気持ちよく朝起きられる。でも何のために気を晴らすのか。何のために、気持ちよく朝起きる必要があるのか。それが、この世の中と何の関係があるだろうか? そもそもこの世の中に、どれだけ改善の余地があるだろうか? この無関心で幸福な人々に、繊細で不幸な私は、何を言うべきだろうか? 何も言うべきではなかった。

 私はみんなのために、黙っているべきだったから、黙っていた。


 みんなは毎日祭りがしたかった。騒いで、笑っていたかった。でも私は、悲しむべき時は、悲しんでいたいと思っていた。皆は優しいから、私が泣くと、おろおろして取り乱し、親切にしてくれる。私のプライドは、自分の都合のために皆の優しさを利用することを、私に許さなかった。我慢して、歯を食いしばって、鏡の前で何度も練習をした綺麗な笑顔で、その場をやり過ごす。

 きっと私の存在は不気味だった。時々私は、なぜ怒らないのかと不思議がられた。

 理由はただ、その時私は、怒るということが分からなくなっていた。怒るべきことがあまりにも多すぎたのだと思う。

 私は、不機嫌であることは他者を不幸にすることだと知っていたから、怒ることを忘れた。人に恐怖を与えたり、自分の気持ちを押し付けたりすることを、嫌った。

 それは私が人を傷つけたくないと思う以上に、人にこれ以上傷つけられたくないと思っていたことも、原因だと思う。

 怒れば怒るほど、想いは伝わらなくなる。でもどれだけ柔和に、真剣に、言葉を尽くしても伝わらない事ばかりだ。伝わったとしても、その相手が一週間後全て忘れ去ってしまっていた時の悲しみを思うと、そもそもそれなら伝わらない方がよかったのだと、そう思えてしまう。だってそうじゃないか……伝わったうえで忘れるのならば、その子は私の苦しみや悩みを、少しも重要なことだと思っていなかった何よりの証拠といえるのだから。


 もし私が死んでも、みんなきっと一年もすれば私の存在を全部忘れてしまうだろう。それが現実だし、だからこそ私は人の迷惑など考えず、自分の生き死について真剣に考えることができた。

 自分の責任で、ただただ孤独に、生きる意味について考えることができた。


 でも考えるだけで行動しないなら、何の意味もなかった。頭でっかちになるばかりだった。

 だからこそ、兄さんが死んだとき、私はどうしようもない人間だったのだ。


 この世界では幸福が大事なこととされている。当たり前のことだけど、幸福というのは伝播する。だから、他人のために人間は自分が幸福であるように努めなくてはならない。幸福でいることが難しくなった人は、邪魔な人間になる。

 だから、誰か傷ついている人や苦しんでいる人を見て胸を痛め真剣に悩む優しい人は、邪魔なのだ。だから、こんなに傷ついているのに、それを癒してくれる人は誰もいなくて、私も兄さんも、ただ黙って何も感じていないふりをするしかなかったのだ。


 耐えることは難しかった。その耐えることの難しさを、早熟な二人は、分かち合っていた。時々会って、それでも笑っていようと、耐え抜こうと、私たちはそう語り合っていた。熱くて優しい言葉で、兄さんは私を励ましてくれていた。

 それなのに、私は彼が死んだと聞かされた時「へー。そうなんだ」という、あのどうしようもない現実的な言葉を吐き出してしまった。泣き崩れることも、母の無関心さに怒ることもできず、ただ母と同じ調子で、日常の悲惨のニュースを聞いたときと同じような反応をとってしまった。

 ひとりきりになってやっと取り乱した。布団にくるまって、泣いてみて、それなのにそれは、まるで言い訳みたいな涙だった。これは偽物だと思った。

 だから私の心は全体的に冷めていて、泣いているのは、ただ自分の気持ちをコントロールするためなのだと、そう察していた。私の中に、人生を真剣に生きようとする熱い思いがもう残っていないのだと思うと、もっと涙が出てきた。

 苦しいと思った。死んでしまいたかった。


 それから私は近所のつぶれかけの花屋に行って、店員さんに「死んでしまった人に添える花をください」と頼んだ。店員さんは親切に、菊と百合とカーネーションを選んで綺麗な花束にしてくれた。私はそれが嘘くさくて、どうしようもないものに見えた。この花に、何の意味があるだろう? この花の美しさに。彼はもう死んでしまったのに。

 彼があんなにあっさり、何も残さずに世界から消えていったのに、この人は、いや私は、この綺麗な花束をどこに持っていこうというのか。

 お金を払って受け取ると、嫌な臭いがした。どの花の臭いかは分からなかったけれど、そんなつまらない悪臭で私の思考は途切れ、普通の不愉快が訪れてしまうことが、悔しくて、悲しくて、泣いてしまった。

 店員さんに変な世話を焼かれないために、私はすぐに背を向けて花屋をあとにした。

 今思えば、私はどんなことでも傷ついていたと思う。どんな親切にも、どんな暖かさにも、私にとっては悲しさと悔しさと空しさ以外を感じさせてくれなかったと思う。

 でも、誰かが、めいっぱい抱きしめてくれたら。私がいつまでも泣き止まないことも、世界を呪っていることも、許してくれる人がいれば、違ったかもしれない。

 私がいい子である必要も、幸福である必要も、何もないのだと言って、全てを赦してくれる人がいれば。


 私自身が、そうであるしかなかった。私自身が、私自身を赦すしかなかった。それ以外に、方法はなかった。当時の私は、それが分かっていた。でも、できないと確信していた。私は私を赦せないと、分かっていた。

 赦したかった。赦すためには、一度……大きな変化が必要だった。

 動かない私を動かすには、大きな感情が必要があった。怒りと悲しみと悔しさが必要だった。でもそれは感情だから、すぐに消えてしまう一瞬のチャンスなのだと知っていた。

 私は、取り返しのつかないことをしようと思った。賭けに出ようと思った。この人生の今後を決定的に決めるサイコロを振ろうと思った。

 そうじゃないと、私はこのままくだらない人生を歩む。生を呪いながら、生に執着し続ける人生を歩むのだと、そう確信していた。

 賭けるしかないのだと思うと、きっと兄さんもそうだったのだと感じた。兄さんが私の後ろに立って、私を励ましているように思えた。唇を噛んで、クソみたいな花束を踏みつぶして、走り出した。あの時の足の裏の感触は、覚えている。気持ちがよかった。皆が大切にしているクソを踏みつぶした感触だった。生易しい感傷は、いらない。くだらない。足の裏にあるべきものだ。

 もっと鋭く、苦しく、深刻に。私はずっと、そう生きることを欲していた。何も感じないで生きるには、私は豊か過ぎた。

 私は死ぬことができる。自分の意志で、死ななくてもいい時に、死ぬことができる。誰も私が自殺することなど想像もしないタイミングで、私は死ぬことができる。

 私の心は、たしかに喜んでいた。生を実感していた。死のうと思った。死ねると思った。私は笑っていた。笑いながら、あの橋から飛び降りた。

 落下は、一瞬だった。ほんとは一瞬ではなく、ただ記憶が飛んでしまっただけかもしれない。落ちている最中のことは、少しも覚えていないから。ただいつの間にか私は橋の下の車道の路肩に倒れていた。

 自分が生きているのか死んでいるのかもわからなかったけれど、隣を走り抜ける自動車の音が、私の心を現実に戻らせた。

 あぁこのうるさい騒音と排気ガスの悪臭は、現実そのものだと私は思った。地獄や天国までこんな様子なら、もうどうしようもないなと、そんな冗談を頭の中で浮かべ、私は笑った。そんな冗談が頭の中に浮かんだことに驚き、また笑った。笑えていることに驚き、もっと笑った。

 何も痛くはなかった。だから立ち上がってみようとした瞬間、体中に鋭い痛みが走った。特に腰とかかと。

 あまり覚えていないが、多分「ぎゃっ」と嫌な悲鳴を上げたと思う。うずくまって、動けないことが分かった。車道を見て、そこに体を投げ出せば簡単に死ねるだろうなと思った。兄さんは、もしかしたら私と同じように、落ちたときは生きていたけれど、死のうと思って車の方に体を寄せたのかもしれない。きっとそうだと思った。そうに違いないと思った。

 そして、私と兄さんは似ているけれど、違う存在なのだと思った。私は彼ほど傷ついてはいなかった。もし兄さんが死ななければ、私はこんな風に痛い思いをすることを選ぶことはできなかっただろうと思った。

 兄さんは、私を深くしてくれた。私を、強くしてくれた。だから私は、生きようと思った。本当に私は、あのとき生きようと思ったのだ。笑って、笑いながら「助けてください!」と目いっぱい叫んだ。するとすぐに人が集まってきて、そのうちのひとりが救急車を呼んでくれた。


 かかとの軟骨が何本か砕け、背骨にひびが入っただけで済んだ。コルセットを二か月ほど着用する羽目になったが、大した手術もせずに完治した。私の体は健康そのものだったようで、医者は「若いから自然治癒力が高くていいですねぇ」と客観的かつ嬉しい事実を教えてくれた。


 母はこの件で一度だけ泣いたが、まともに話をしてくれることはなかった。聞いてくれようともしなかった。父は泣かなかったが、話を聞こうとはしてくれた。でも父に話すべきことは何もなかった。

 カウンセラーの人は、どこかで聞いたことのあるような定型文を繰り返すだけだった。

 「あなたが死んだら悲しむ人がいます」

 「もう二度と自殺しないでください」

 「自分のやりたいことを探してください」

 「あなたは綺麗な人だから、大切にしてくれる人ときっと出会えます」

 どの言葉も、くだらなくてくだらなくて仕方がなかった。私はいつもの笑顔で「大丈夫ですよ。一時の気の迷いでしたので」と、嘘をついた。

 もう、何もかもが本当の意味でどうでもよくなっていた。

 

 あと半年、中学校は全部休むと決めた。でも受験はちゃんとする。多分私は、この半年どれだけ自堕落に過ごしても、高校には受かるだろうと思っていた。結果としてそれは正しかったし、それ自体が私を失望させたのも本当だった。私は人と比べて意味もなく優秀だった。人より優っていたいとも、誰かの羨望を得たいとも思っていないのに、そう願っている人よりもうまくできてしまっていた。

 県内でもっとも入るのが難しいとされる共学の県立高に入学したが、私はすぐに通うのをやめた。

 もう、あの狭苦しい空間は耐え難かったし、こんなものを抱えて他の人たちと同じように生きることは無理だと思ったのだ。両親は、やっぱり何も言わなかった。ただ私が食事をおいしそうに食べているだけで十分のようだったし、私自身も、別に何かを深刻に考える必要もないと思っていた。

 時々学校に行ってみたりもした。私が学校に行くと、見知らぬクラスメイトは大げさな歓迎をしてくれた。私のことでたくさんの質問をしてくれたし、私がまともに喋れる人間であることが、彼らには意外であると同時に面白いことでもあったようだ。でも私自身は、彼らにも自分自身にもあまり興味がなかった。

 コロナ騒動で一時授業がほとんどリモートになったのも都合がよく、担任の先生が用意してくれた「これさえやっとけば進級できる分の大量の課題」をやっつけでこなしきれたので、出席日数が足りなかったのに、なぜか進級させてもらえた。

 たしかに私はこの一年を、何とか乗り切ることができた。たくさんの人の親切心もあって。でも、もうやめようと思っている。全てを投げ出そうと思っている。

 私がこの社会で我慢して生きる必要はない。いつ死んだって構わないと思っている人間が、どうしてこの社会の奴隷となることを、自ら選び取れるだろうか? 私は断固拒否する。


 学校に行かずに過ごした一年半で、私はたくさんのことを学んだ。元々哲学書が好きな人間だったが、退屈することが増えたので、今までちゃんとゆっくり読めていなかった部分を読み直すいい機会になった。

 昔からずっと自制してきたゲームを好き放題やる日もあった。でもすぐに飽きるし、なんだか空しいので、長続きしなかった。

 絵を描いたり音楽を作ることも、自分の下手くそさにうんざりするせいで、あまり集中できなかった。

 中学の授業では、美術も音楽もいつも5だったし、褒められることも多かったけど、何か形のあるものを自主的に作ってみようと思ったら、すぐに壁を感じた。何というか、気まぐれに遊びでやる人と趣味として真剣にやる人の間の壁すら、私には超えたい、超えようとは思えなかった。

 所詮私が作るものは遊びだったし、授業でいやいやながら描いたものよりもいいものは結局ひとつもできなかった。

 小説を書くのは昔からそれなりに好きだったけれど、恥ずかしくて人に見てもらったことはなかった。


 それをインターネット上にアップしてみると、私は自分の書いたものが余計分からなくなった。読んでくれた人が私の話を理解してくれているのかどうかは一切分からないし、その褒め言葉が、何か下心があっての言葉ではないという証拠もなかった。

 私は結局、面と向かって話すことでしか、人の気持ちを察することができない。画面の向こうの人たちが考えていることは、不気味だ。私には何も分からないし、分からないままでいい。

 

 *


 生ぬるいなと思った。フィクション染みていると思った。書き尽くせていないと思った。

 あの、高校に入ってから一人だけできた素敵な友人のことも書けていないし、兄さんの残した文章のことも書けていない。両親が私に抱いている奇妙な期待も、どこからでも聞こえてくる低劣で下品な社会の声の話も、書けていない。

 書きたいことはたくさんあるのに、でもそれを書いていいのかも分からないし、書けば書くほど、損なわれていくような気持になってしまう。

 まだ早すぎるような気がする。こんなことで、私は自分の痛みを解決してしまっていいのだろうか? それとも痛みとは全てくだらないもので、大切にしまっておくより、とっととゴミ袋に入れて燃やしてしまった方がいいのだろうか?

 たしかにそれは悪臭を放つ。大事そうにしまっておいても、悪いものが繁殖するだけだ。

 でも、本当に?


 *


 切り札などと言ったが、私のこれは必ず不発に終わるだろう。誰の胸にも響かないし、私自身でさえ軽蔑するものになるだろう。

 私はこれに真剣になったが、真剣になったからといって、できたものがいいものになるわけではない。

 時間をかけることはできなかったし、根気よく取り組むこともできなかった。

 他でもない私がこれを、腫物扱いすることしかできないのだ。美しくないし、改善の余地もない。


 私の現実は、過去は、もはやどれだけ努力しても、美しく昇華することができない。汚らしくて、どうしようもない。私自身の魂が穢れてしまっているからだろうか? それとも私は元々、夜に産まれた子供だったのだろうか。

 悲しみと苦しみの星のもと、産まれた人間だったのだろうか。


 悲劇的になりきることすらままならない。自己嫌悪に沈むことすらままならない。私はこんな私を愛してしまっているし、これでいいのだと納得してしまっている。

 「してしまっている」などという表現が、わざとらしく感じられるほどに。

 「私は自分の悲惨さに納得できている」という言葉の方が、私の心情を正確に表しているのだ。


 私は今幸福で、安心しきっている。世界は穏やかに回っていて、あの人が死んだことなどやっぱりどうでもいいのだと……私の半身は、たしかにそう語っているのだ。

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