第3話 それでもわたしは生きていく ~世界中の誰よりきっと


 気が付くと、わたしは暗がりの中にいた。あたりを見回すと青く光るロボットの目。

 わたしは首をぶるぶると振ってみた。身体に異状はなさそうだ。暗闇の中、低い声でロボットに話しかけてみる。


「ねえ、ここはどこなの?」


 小さく話しかけたが、声に深い反響音リバーブがかかる。


「東経百四十度十七分二十三秒、北緯四十一度二十二分一秒。北海道新幹線青函トンネルの最深部デス。ココならばヴァニシング・フラッシュの影響を七十パーセントは遮蔽できマス。落雷するタイミングでこの防護耐雷ポンチョをかぶって伏せていれば、九十パーセントまでは安全デス」

「残りの十パーセントは?」

「ソレはどうやっても回避デキないデス。もしそれでもヴァニッシュしてしまったら、運が悪かったと思って諦めてくだサイ」

「……あんた、思ったよりもポンコツなのね」


 わたしがトミーに連れられて退避したのは、青函トンネルの最深部だった。地下二百四十メートル、海底下百メートルの暗いトンネルの中。たしかにここなら予め来ると分かっているヴァニシング・フラッシュにはかなり防御できそうだ。

 わたしはトミーの命ずるままに、防護耐雷ポンチョをかぶって過ごした。トンネルの中は風の唸り音だけが聞こえる真の闇の世界。時間の経過も曖昧だ。

 どれぐらいじっとしていただろう。トミーが話しかけてきた。


「ご主人サマ、栄養補給をしておかなければいけマセン。これを食べてクダサイ」

 わたしは感情のない人形のように、トミーに差し出された固形カロリーペーストと水を飲んだ。わたしのほうがロボットのようだ。


 それからさらにいくばくの時間が経過しただろうか。

 ある日、トミーが目を青く明滅させて話しかけてくる。


「ご主人サマ、もう大丈夫デス。ヴァニシング・フラッシュの通過が確認できマシた。大気は安定していて、当分発生しない見込みデス。トンネルを出まショウ。人間には日光が必要デス。次元転移は電力不足でもう使えまセン。頑張って歩きまショウ」

 わたしはふらふらと立ち上がると、どこか朦朧とした感覚とともに、トミーに連れられるようにして二十数キロを数日かけて歩いた。


 歩き始めて三日目。ついに、闇の向こうに明るく光るトンネルの出口が見える。感情もなく幽鬼のようにふらついていたわたしは、その光を見た途端、久しぶりに自ら声を上げた。


「まぶしい!」


 トンネルの出口まで来て見渡すと、地上はどこまでも明るく、風がやさしくほほを撫でた。吸い込む空気はトンネル内の湿ったものから、一気に初夏の透明なブルーに染まっていた。わたしは深呼吸をしてそれを肺の奥にまで送り込む。


「空気がおいしい!」


 人間にとって大災禍が起こったことなどみじんも感じさせない初夏の陽射しが、降り注いでいた。見渡す限り、ただ人間だけがいない世界だった。

 わたしは坑口に降り注ぐ透明な光のシャワーを身体いっぱいに浴びて、決心した。


 絶対、生き延びてやる!


「トミー、行くわよ。道、教えてちょうだい」

「ドコへデスか、ご主人サマ」

「決まってるじゃない。智昭くんといたカフェに戻って、そのあとわたしの家に帰るの。それから先のことは、その時考えるわ!」

「了解しまシタ。現在位置の測定中、ファースト・ターゲット・プレイスまで距離八百キロ、方角南南西。障害がなければ六十日で到着できマス」

「食料とか水とかどうしよう」

「ワタシのボディ内に備蓄品が百日分ありマス」

「まあ、人はいないけど、食料はなんとかなるでしょ。贅沢言わなければね。よーし、出発だー!」

「了解しまシタ」


 ◇


 わたしはトミーと、途中見つけた生存者のおばさんの家でしばらくお世話になったり、冬の積雪時期に行き倒れそうになっていたところを数十名が生存している村のコミュニティに助けてもらったりしながら、およそ一年かけて八百キロを南下してきた。


 そして、やっと、戻ってきた。ここに。


 古いログハウスの扉を開けると、そこは一年前に見た光景そのままだった。

 わたしは一気に押し寄せてきた記憶の洪水に、思わず膝をついてしまう。


「智昭くん……」


 しかし、呼びかけの声にはなんの反応もない。ウッディな内装の室内は静寂に包まれたままだ。ぽたぽたと雫が落ちる音がするなと思ったら、それはわたしの涙が床に降る音だった。

 分かっていた。彼はわたしとトミーを逃して、ここでヴァニシングフラッシュに巻き込まれて消え去ったんだ。それは、分かっていた。


「ご主人サマ、コレを」


 トミーがいつのまにかわたしの背後で、どこで拾ったのか白い花を持っていた。それを受け取ってそっとカフェのテーブルに供えて、手を合わせる。


 智昭くん、言えなかったことを言っておくね。

 わたしを助けてくれて、ありがとう。

 わたし、生きていくから。見守っていてね。

 好きだったよ。とっても、好きだったんだよ。


 合掌を終えたわたしに、トミーが瞳を明滅させながら問いかけてくる。

「ご主人サマ、コーヒーを飲みマスか?」

「砂糖はあるの?」

「少しダケありマス。音楽もかけておきマスね」


 わたしはテーブルの椅子に腰かけて、トミーが出してくれたミニカップのコーヒーを飲んだ。トミーがかけてくれたのは一年前にかかっていたあのボサノバ。ちょうど一曲聞き終わったところでコーヒーを飲み終わった。


「……トミー、ライブラリから明るい曲かけて」

「了解デス」


 トミーが別の明るい曲を流し始める。わたしはそれを聞いて立ち上がった。


「わたし、負けないからね。トミー、もうちょっとの間だけ、わたしに付き合ってくれる?」

「分かっていマス。ご主人サマを護るのがワタシの使命デス」

「それと、コーヒー、ちょっと苦すぎたわよ」

「ワタシは調理ロボットではありマセン。被雷観測ロボデス。味覚の微調整には対応できマセンデス」

「コーヒーの淹れ方ぐらい覚えなよ、まったく、ポンコツだよね。さ、行くわよ、相棒!」

「了解デス」


 世界中の誰よりきっと、熱い夢見てたから

 目覚めて始めて気づく、募る思いに


 トミーの流す音楽を背にして、ログハウス風のカフェの扉から砂まじりの街に出た。わたしたちの前には青い空と白い砂丘が広がっている。


 それでも、わたしは、この世界を生きていく。


(了)

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