第4話 九十九神って、もっと渋いと思ってた

 しのぶさんの店は、古道具屋である。


「骨董店じゃないの?」

 訊いてみたら、

「うん。べつに骨董店でもいいんだけどね。ただ、〝骨董〟って、何かしらの価値が誰にとっても認められないとダメな気がしない?」

 柔らかな視線を手元に注ぎながら、おっとりと返された。


 文祢かざねのそれよりも大きくて骨張った手が、小ぶりだが厚地の陶器を磨いている。


「あー、まー、そうかなぁ」


 きゅ、きゅきゅ、と小気味よい音が聞こえてくる。


「実際、骨董品って呼ばれるには定義があって。製造されてから100年間は経っている手工芸品、工芸品、美術品であることって、世界貿易機関World Trade Organizationも同じ定義を採用しているんだそうだよ。WTOに加盟している国の間では、この製造年を証明できるなら関税がかからないんだって」


 すらすらと答えて、しのぶさんは湯呑みを置く。柔らかい布巾で磨いた湯呑みは五つ。その横の籠から次の湯呑みを取り上げて布巾で擦る。並べてはいても、それぞれ大きさも色も違う。

 ひとつだけ割れたことがあるのだろう。金繕いされていて、なんだか貴重な品に見える。けれど、しのぶさんの手つきは、ほかのものと変わらない。


「古いものってことに変わりはないのだから、うちには欠けた茶碗でも、半分しかない鋏でも、100年が経っていようがいまいが、道具は道具なのだよ」

「せやね。ありがたやぁ。わても、しのぶはんのもとに来られへんかったら、とうのとっくに、お天道さんも拝めんようになっとったわ」

 はぁ〜あ、という溜め息を長々と吐いて、細長い竹の筒が、かたかたと震えた。


「サタケくん、今日は、お花を飾ってないのね」

「文祢はん。わては、本来は茶筒ですよって。そう毎日毎日、一輪挿しの働きぶりを求められても、困りますねや。びてまう」

 すると、横から、ふくよかな女性の声がした。

「あら。お役に立てるだけで道具の幸せでしょう。私なんて、玉杓子たまじゃくしなのに、穴が空いてしまって」

穴杓子あなじゃくしでも働けるやろ」

「こんな大きな穴ではすくえるものは限られるのよ! 誰も、不便な道具をすすんで使おうとなんてしないわ!」


 きいいぃいっと歯軋りのような音まで聞こえる。


 しのぶさんが穏やかな声で、

「たま子さん。今夜、湯豆腐にしようと思うのですけど。手を貸してもらえますか?」

 微笑みながら言うと。

「まあぁっ! 勿論だわ、しのぶさん! 大きめに切ってくだされば、昆布だって白菜だって大根だって掬いますとも!」

 歓喜の返答が弾けた。


 文祢は、つい、くすくすと笑ってしまう。


 そこに、鈴を鳴らしながら三毛猫がやってきた。


「あっ、那津女なつめちゃん! 抱っこしていい⁉︎」


 もふもふ中毒の文祢が鼻息荒く懇願したが、黄色味の強いアンバーの瞳に拒絶と非難を浮かべた猫は、サッと身を翻して階段のほうへと逃げてしまった。


「あああ〜……つれない愛らしい尊いぃ……」


 ばたりと畳に身を伏せる。


「ただいま帰りました、しの兄さま……あれ? 文祢ちゃん? なにしてるの?」

「五十鈴くぅん。私、私、那津女ちゃんに抱っこさせてもらえないのぉ」

 学校から帰ってきた五十鈴が、畳に頬を擦りつけて嘆く文祢を見て、苦笑する。

「ああ。那津女は千剣破ちはや兄さまくらいにしか抱っこさせてくれないから。でも、たまになら、撫でさせてくれるよ」

「えっ、それ、ほんと⁉︎」

 がばっと身を起こした文祢に、ランドセルを下ろしながら五十鈴は頷く。

「夜、寝てて、目が覚めちゃったとき、たまに枕元に座っててくれるの。そういうときは、少しだけ撫でさせてくれるんだよね。でも、撫でてるうちに寝ちゃうから、ほんとに少しだけ」


「しのぶさん今晩泊まりますね私」


 しのぶはにっこりして。

「おかえり五十鈴。冷蔵庫に、おやつの琥珀羮が冷やしてあるよ」

「わぁ、やった。お茶を淹れるね」

「五十鈴さん、私、今晩の食卓でお役目があるの。台所で清めてくださる?」

「いいよ、たま子さん。今日は湯豆腐なんだね」

「真夏なのにな」

「お黙りなさい、茶竹サタケ! 黴びるって、ちゃんと小瓶に生けてもらった花を飾ってもらっているのに我儘を言ってばかり! 身の程を弁えなさいっ」

「おい蒸れるんやぞ! わては漆塗りじゃないんや! 配慮してもらわな、真っ黒になってまうやろ!」

「ねぇ私、泊まりたいです」

「お役目に文句をつけるなんて、いっそのこと生ゴミ入れにでもして貰えばいいんだわっ!」

「あんたさんかて、具材を大きく切れって注文つけとるやないかい!」

「そのほうが私の働きがお役に立つからでしょうがぁ注文じゃないわよぉっ助言よ助言!」

「ああ、そうだね。うん、二人とも言い分があるのは分かるよ。五十鈴、たま子さんを宜しく」

「うん。行こう、たま子さん。熱いお湯を浴びてスッキリする? 洗剤だけだと、ぬるぬるするのが厭だって、前に言ってたでしょ?」

 ぜいぜい息を弾ませながらも、玉杓子は気を取り直したようだ。

「……ええ、そうね。予洗いで洗剤を使ってもらってもいいけど、仕上げ洗いは熱めのお湯が嬉しいわ」

 そして、しのぶは何気ない口調で言った。

「茶竹さん、羽ぼうきしてあげましょうか? あれ、お好きでしょう」

「なに羽ぼうき! ええやん、ええやん。あの感触、たまりませんわ。ほな、お願いしまひょか」


 しのぶも五十鈴も、それぞれに荒ぶる付喪神を宥めながら退室してしまった。残された文祢は、畳に寝そべったまま、ぐるりと身を回して仰向けになる。


「なにあれ。九十九神って……」


 落ち着いて、趣き深い、厳かな存在だと思ってたのに。


 ちりりん、と鈴の音がして、視線を向ける。

 廊下には、誰の姿も無かった。

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しのぶさんと、ちょっと お喋り(仮題) 汐凪 霖 (しおなぎ ながめ) @Akiko-Albinoni

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