第3話 神の御姿

 姉のゆずるには、常人にはない、感覚があった。

 視えないはずのモノ、知りようがないモノ、聞こえるわけがないモノ。

 そういったモノを視て、知って、聞いていた。


 本当に小さい頃は、さすがに本人も、まだ信じきれないことも理解しきれないことも多かったようで。

 面白い思い出がある。


 祖母は祛を、それこそ赤ん坊の頃から、あちこち連れ回していた。日本中、至る所に。話を聞くと、湖や清流や名滝ばかり訪れていたようだが。そして、祖母は祛に、「ここの守護は、どんな御方だい」と、訊いてくるのだという。


「ここは龍神さま」

「ここは蛇神さま」

「ここは白鷺の神さま」


 祖母は、祛の答えを聞くと、満足げに頷いたらしい。


 守護を支えるのであれば、それを理解しなくては、出来よう筈も無いのだと、そう言って。


「良かったね、祛。お前には、お役目が果たせそうだ」


 けれど、ある古い湖だけは。


 祛は最初、分からなかったのだそうだ。

 水鳥かもしれない。龍でも蛇でもないのは判る。でも……。

 分からないというより、信じられないと思っていた。


 何故かとしのぶが訊くと、祛は苦笑した。


「トカゲとかヤモリみたいな姿が視えたの。って言っても、ハッキリは視えなくて。庭で見るような、すらっとした身体じゃないんだけど、なんとなく、あんな感じ。でも、それはないでしょ〜って思って。勘違いかな? と思ったのよ。だって、子供心に強くなさそうじゃない。水場の守護に向いてるとも思えないし。で、考え抜いた末に、亀さまじゃないかと、おばあちゃんには言ってみた」


 そうしたら、祖母は。


「……こちらの守護さまのお力には、お前は邪魔になるのかもしれないねぇ。気をつけて、あまり場に分け入らないようにおしよ」


 そう言った。


 結局、数年は、守護の正体を知らずにいた。


 教えてくれたのは那津女なつめだった。


「大山椒魚?」

「そう。大山椒魚」

「あそこは大鯰じゃないの? 固有種がいたと思うけど。それに、大山椒魚って山奥の川にいる筈だし」

 祛の表情に困惑が滲んだのを覚えている。


「大鯰はヌシではあるけど、守護じゃないんだって。何ていうか……琵琶湖って本来は川の一部なのよ」


「は?」

「とんでもなく幅が広がっちゃった川なの。あの部分だけ、陸地が低いから、水深も深くて、湖っぽいけど」

「……またまた」

「出鱈目じゃないわよ。河川法の解釈でも川としていいらしいもの。で、琵琶湖の守護は、川だから、全体の統括として大山椒魚さまなんですって」


 えぇえ〜っと思ったが、面白いとも思う。


 千剣破ちはやに話したときも、彼は微妙な表情をしたものの、否定しなかった。

 祛のような力は千剣破にはない。だが、彼は偲よりも以前から那津女との接点があったから、きっと聞いたのだろう。


「神の姿や、神使の姿は、人間が知ってるものを模してはいるけど。いつも本質ってわけではないよ。まあ、生き物だったときの姿を残してることもあるし、連想ゲームみたいなものも、あるっちゃあるが」


 それだけ言って、千剣破は上を向いた。


「光しか視えない場合も多いからね。人間の創造力で出来たものを、お気に召して使うこともあるっていうし」

「人の姿をとるのも?」

「あー、普通に散歩してたりするね。気まぐれに人間に軽く関わることもあるよ。気まぐれで終わらなくなることも多いけど。現在いまの偲なら、気づくんじゃねぇの?」


 温めた豆乳を飲んでいた那津女が、ぷはっとカップから口を離した。


「気づかぬぞ。こやつ、未だに桐生きりゅう羽生はにゅうを人間と思うておるからの」

「えっ、桐生さんと羽生さん、人間じゃないの⁉︎」

 驚く偲の叫びを聞いて遠い目をした千剣破に、那津女が笑いかける。

「ほれ。言うたとおりじゃろ。邪気には気づいても、隠された神気は見抜けぬのだ」


 頭を抱えている偲に、千剣破は忠告してやる。


「まあ、今度、会ったら、いつもより振る舞う酒を増やしとけばいいだろう。御二方は偲のことを気に入っておられるから、心配するな。っていうか俺なんか口止めされてたくらいだからな。偲に人間扱いされるのも楽しんでおられたぞ、あれは」

「いやいやいや怖いから」

「じゃあ、櫛羅くじら酒造の純米大吟醸を用意すればいい。『雪白峯ゆきしらみね』だったら絶対アタリだろう。あれが一番、効くから」


 御神酒ごしんしゅとして妹尾がいつも巴羽瀬はわせ神社に奉納している清酒の銘柄を告げる千剣破に、

「それ、凄い高価たかいやつ」

 言ってみる。

「じゃあ、質より量だな」

 効果は無かった。

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