第2話 神使の那津女&出仕の千剣破
「ほら、
挨拶もそこそこに幼馴染みの
退魔、破魔、護身の札は、ありがたくも宮司さまの直筆で、ご祈祷もしっかりなされ、神威に充たされていると一目で解るほどの拝領品であり、一般の参詣客が頒布で授与される札とは異なっている。
ご祭神さまの神力が、札が耐えられるだけ宿っているのだ。
「今回も、ご神威が漲ってる」
「そう、重いんだよ、早く受け取れ」
しのぶの身に“ケガレ”が憑いたとなった日から、有難いことに氏神さまの加護が与えられている。だが、どうも氏神さまは、それでも充分ではないと考えておられるようで、守札を託けるのだそうだ。千剣破に。そして、伝言を承けて宮司が守札を謹製する。
神棚に並べて祀っている札と、那津女から指示のあった場所に貼ってある札と、種類も多い。墨の字が薄くなった頃に、新しい札が届く。既に皆は慣れきっていて、誰もその不思議を不思議と指摘しない。
「ありがとう。お礼参りに行かなくちゃ」
「古札は預かるから、夢参りにしとけ。いまは気が佳くない」
「そうなの?」
「──そうじゃな」
下げ
那津女だ。
この神使は千剣破がお気に入りで、彼が来れば、必ず姿を現す。那津女が仕えている神をご祭神として祀る
灰色の瞳には、ときに虹色が煌めく。その目で、那津女はしのぶを見た。
「天御津羽神が仰せじゃ。そなた、暫く出歩くな。何ぞあれば五十鈴に使いを頼むが良い」
「昼間でも?」
「なんじゃ、用向きでもあるのか、しのぶ」
「んん、用向きと言いますか、
「千剣破の気でも吸えば好かろうに」
「えっ、俺ですか那津女さま」
「残念ながら人間の気はちょっと……神子さまなら、まあ……」
「やめろ偲。不埒な目で、うちの神子を見るなよ。変態に目をつけられるなんて噂でも出たら
「近く禰宜になるというに、遣る気が無いゆえ祝詞の覚えも芳しくはないが、千剣破の気は
「すみません那津女さま。意欲については父には何卒、内密に」
「
「うぇえ〜」
「……まあ、上がりなよ、千剣破。お茶くらい出すから」
「とりあえず、水羊羹と冷茶でー」
古い道具が並ぶ店舗の奥にある座敷に腰を下ろして膝の上に那津女が落ち着くと、千剣破が言った。
「和風喫茶のお店は、お隣ですよ」
急須を手にして返すと、千剣破はけろりとしている。
「
「それは
両眼がきらきらしている。
「抹茶ラテですかねー? 偲」
「多分、そうじゃないかな」
やれやれと電話機を操作して、しのぶは隣の『
「あれ、今日は文祢ちゃん、居ないんですか?」
千剣破の質問に、店主が頷く。
「今日は大学の先輩に呼ばれたそうですよ。なんでも、論文の資料を探す手伝いとか」
「へぇ。それは大変そうだ」
「お忙しいのに、ありがとうございます」
代金を支払いながら頭を下げるしのぶに、店主は朗らかな笑顔を向けた。お釣りを渡して、
「いえいえ、こちらこそ、ご愛顧をありがとうございます。あ、食器やグラスは、店を閉める頃に取りにきますから」
「いや、そこまで甘えるわけにも」
「気にしないでー。私も、うちの子たちも、みんな、しのぶさんファンなんだから」
よく解らないが好意はありがたい。
「あっ、でも、千剣破さんにも信者が居ますから! 私は、しのぶさん派だけどね、千剣破さんの信者ってば熱烈な子ばかりだからねぇー。この配達も、私が来て良かった。でないと帰ってこなくなっちゃうわ」
「えっ、信者?」
引きつった声で聞き返す千剣破は確かに迫力のある美形だ。出仕として松葉色の袴を履き、境内を竹箒で清掃する姿でさえ、女性たちから熱い視線を向けられている。「よく見るとイケメン」と言われるしのぶと違って、凛々しい整った眉目と長身の身のこなしは涼しげで、10人に訊けば10人ともがイケメンと声を揃える。町内の女性は老若問わず、「イケメン神職」と呼んでいるらしい。親しい人の前では、こんなにチャラいが。
「おっと、いけない。私も長居しちゃうとこね。じゃあ、また〜」
最後まで那津女に気づかないながらも3人分の飲み物と菓子を疑問に思っていない様子で、店主は慌ただしく隣に戻って行った。多分、五十鈴のぶんとでも思ったのだろう。その五十鈴は、学校なのだが。
「そういやさぁ。うちって神社じゃんかぁ」
水羊羹に黒文字を刺し、那津女の口元に運んでやりながら千剣破がふと言い出した。
「よく子どもたちが遊んでるんだけど、日没前に帰せって宮司が五月蠅いのよ。隠れんぼなんかされてると、そうもいかなくて、困るんだよね」
「まあ、そうだろうね。とりあえず神域から出て貰えば、まだ安全だろうけどね。神社のお役目的に、日没後はね」
「……でもさぁ、俺たちは住んでるわけじゃん。社務所兼住宅に。うちの神社の場合だけど。そこを突っ込まれてさぁ。危ないって言っても聞いてくれないんだよねー」
嘆きつつも水羊羹を口に入れる。
飲み下した那津女が静かに言った。
「聞かぬ子らの皆が
「無事で済まないことが考えられるから困ってるんですよー」
「悪しきも善き、善きも悪しきじゃ。
「えええ、神使どの〜」
「ふん。たまに
「えっ、教えろよなぁ、親父」
「おのれで気づけという教えじゃろ」
「まあ、そうだね。神さまだって常に気を張っておられるわけじゃないでしょう。〝尊び〟づきあいもおありだろうし。千剣破が竹万童に甘えないようにってことだね、たぶん。子どもたちと仲よくやりなよ」
「そうじゃ。しのぶは暫く
──甘味を携えてなければならぬでな。日替わりぞ。
付け加えて、抹茶ラテをストローで飲む狩衣姿の神使が膝の上でご満悦でいるのを見下ろし、千剣破は黙って深く息を吐いた。
やっぱり、このふたりの会話は面白いなぁと思っている偲は、まるきり他人事である。
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