恋
ひとで
出会い
「どうして、こうなった」
切れた口の端を拭いながら、転がった男たちを見下す、路地裏の昼。
睨みつける男もいれば、意識のない男、泣きそうな顔でうずくまる男。
筋肉でほんの少し膨れた白かった女の腕には、青い花が刻まれている。
その腕で、ここにいる屈強な男たちを殴り、殴り、殴った。
金銭の取引を断った、呼び出された、殴られそうになった、だから、殴った。
女とて無傷とは言わない。
腹に一発、口元に一発、ナイフの切り傷が数か所。
女はそれを隠すように折った袖を戻しながら歩き出した。
炎天下の真昼とはいえ、少し薄暗い路地裏からみる公道は、とても眩しく見えた。
「白華の女…覚えてろよ!!」
先ほど女を睨め付けていた男が声を振り絞るように叫んだ。
女はもう一度殴ろうかと思ったが、やめた。
面倒だったから。
白華の女。女につけられた安易で、ださくて、誰もが恐れるあだ名。
「白華」とは女が属する自警団(世間一般にはヤクザ、任侠といわれる組織)の名前だ。
「白華一族」と呼ばれるその組織は、主に自警を生業としており、
この地域が商業の街として発展したのは、白華一族あっての功績といえる。
世間の目はヤクザとは変わらないが、犯罪行為は一切行わず、
清廉潔白な功績を次々と重ね、一族の長「雁与一」は市長と大の仲良しである。
イメージ的には、江戸時代の任侠。地元を守り、市民を守り、ルールを守る。
そんな組織でも、悪い種は蒔かれ、それを摘む仕事が必要なのだ。
7で組織に拾われ、悪い種を摘み続けた女は、白華の女としておそれられるようになった。
女は、明るさに惹かれ広い道へ一歩踏み出した。
すると突然、女を上回る濃い影に覆われた。
驚いた女は、顔を上げその影の主を見た。
後ろに太陽の光を背負い、顔は陰で覆われながらもやわらかい笑顔を浮かべる天の使いのような男。
否、男子。
「大丈夫ですか?あなた、体調が悪そうだ…」
そういって男子は、女の顔を覗き込むように身を寄せた。
女は、声が出なかった。
男子のその顔に、声に、優しさに、自らを失ってしまった。
女に存在しなかった、かき消されてしまった「恋」という感情が一気に押し寄せ、
女の思考は一時的に停止した。
「………大丈夫です。」
やっと振り絞った言葉に安心したような男子は満面の笑みで
「よかった」と。
またしても、その笑顔の虜になってしまう。
というか、男子には女の後ろに転がる男たちの存在が見えていないのか。
「なんだか男の人がなんちゃらの女、って言ってたから…
なんか危ないことに巻き込まれてるんじゃないかなって思って、思わず覗き込んじゃって」
「そしたら、女の人は無事みたいだったから、よかったです!」
見えていた。
「ご迷惑をおかけしたようで、申し訳ない」
女はやっとの事平常心を取り戻し、キリリとした表情を浮かべながらそういう。
「何か、お詫びがしたいんだが、欲しいものはないか?」
女に手に入らないものなどなかった。金でもブランド物の時計でも、何でもかんでも。
女の手中に収められないものなどないのだ。
「あ、それなら…」と大きなリュックをごそごそと探りだす男子。
お目当てのものを見つけたときの顔は、かわいいの一言に尽きた。
「俺これからバイトなんですけど、そこのカフェ!
これ、クーポンよかったら使ってください」
受け取った小さな紙にはおしゃれなカフェの内装、パンケーキ、珍しく紅茶の写真が載っていた。
女は動揺した。クーポンなんて渡したら、私が得をしてしまうではないかと。
「俺、あなたに遊びに来てほしいから、これ…」
どんどん小さくなる声に、男子の恥ずかしさが垣間見える。
女の顔はほんのり赤く染まったが、薄い影にそれはかき消されたようだった。
女はジャケット裏のポケットから、名刺を一枚取り出し、
「私は、こういうものだ。」と一礼した。
物珍しそうに名刺を受け取る男子に
「私は一度事務所に戻らなければならない。そのあとでも、君はいるだろうか?」
男子はうれしそうな顔になり、
「今日は6時までいます!」と元気よく言った。
「待ってますね、律さん!」
男子と女の、恋の話が始まりかけていた。いな、始まっていたのかもしれない。
恋 ひとで @hitode86
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