百寿のおばあちゃん
増田朋美
百寿のおばあちゃん
百寿のおばあちゃん
朝から降っていた雨は、午後には止んだ。雨が降っているのが嘘だったかのように、おだやかに晴れて、のんびりした日になった。杉ちゃんはいつも通り、自宅内で鼻歌をうたいながら、着物を縫っている作業をつづけていたのだが、、、。
突然、杉ちゃんの家の固定電話がなった。杉ちゃんは、針を動かすのをやめて、急いで電話台のある方へ、車いすを移動させていく。
「はいはい、影山ですが。」
電話をかけてきたのは、カールさんだった。
「ああ、杉ちゃん、一寸手伝って欲しいんだけど、今すぐ店に来てくれないかな?もちろん、タクシー代は、こっちで払うから。直ぐにタクシーで迎えをよこすよ。」
カールさんは、何か困ったことがあるような声で、そういっている。
「大丈夫?何だか変に落ち込んでいるみたいだけど。」
と、杉ちゃんが言うと、
「ああ、まあ、こういう時は、ちゃんとした日本人で、なおかつ着物の知識のある人に来てもらった方が、より、説得できると思うのでね。よろしく頼む。僕からは、幾ら説得しても、いうことを聞いてくれないのでねえ。」
と、カールさんは、非常に困っているようだ。
「分かったよ、じゃあ、迎えを頼むな。」
杉ちゃんがそういうと、カールさんは、よかったやっと救いの手がみつかったといった。きっと、着物にまつわる事だろうが、幾ら日本国籍を取得したと言っても、外国人であれば、着物のことをちゃんと知らないんだと言われてしまったら、もう二の句が継げない。
「よろしくお願いします。」
と、カールさんは言って、直ぐに迎えをよこしますと言って電話を切った。杉ちゃんが、受話器を電話機の上において、数分後、岳南タクシーが、お迎えに参りましたと、やってきた。杉ちゃんは、運転手に手伝って貰いながら、タクシーに乗り込んで、カールさんの住んでいる店に向った。
「おーい、来たぜ。一体何のようで僕の事呼び出したんだ?」
杉ちゃんが、運転手に手伝って貰ってタクシーを降りて、カールさんの見せである増田呉服店と書かれた、ドアをがちゃんと開けると、ドアについていた、コシチャイムが、カランコロンとなった。
「ああ、杉ちゃんか。ちょっと、この女性を説得するのを手伝ってやってくれないかな。彼女、さっきから、この銘仙の着物が欲しいと言っているんだが、どうもね、その使い道が問題なんだ。それを何とかして、是正させなくちゃ。僕みたいなもぐりの外国人販売者に説得されるよりも、杉ちゃんみたいな、現役の和裁士さんに、説得して貰わなきゃだめだと思うのでね。」
と、カールさんは、そういった。そこには、ひとりの若い女性がいた。まだ、30代にも届かない、若い女性である。身長は158センチ程度の中背の女性で、服装はズボンとブラウスに、首から名札を下げているので、何処かに所属している女性のようである。
「えーと、お前さんの名前を教えてもらえるかな?」
と、杉ちゃんが言うと、
「はい、人見由夏と申します。デイサービスセンター菜の花の施設長をやっています。」
と、彼女は答えた。
「施設長?そんな若いのにか。でも、今の時代だったら、若い奴でも事業所をやれることはできるのか。デイサービスセンターっていうことは、お年寄りの世話をする事業所だな?」
杉ちゃんがまた聞くと、
「ええ。そういう感じの施設です。私が経営しているところは、入所ではなくて、半日か、一日通って頂いて、運動をしたり、お料理をするなど、活動的な高齢者が多い施設になっています。表向きは、高齢者専用のスポーツクラブのような感じでやっています。」
と、彼女は答えた。まあ確かに、アクティブシニアという言葉がある通り、すべての高齢者が病気だったり、認知症だったりということはない。中には高齢者であっても、スポーツ大好きな人もいるだろう。
「それで、今日は、なんで銘仙何か買いに来たんだ?スポーツクラブをやっている奴が、着物という物に、縁はあまりないと思うけど。」
と、杉ちゃんが言うと、
「はい。実はですね、うちの施設を利用している、久保田百代という女性の方が、明日、100歳になります。その誕生パーティーを明日開催することになりました。その時の衣装ということで、こちらの、こちらの、ピンクの着物が欲しいと言ったのですが、パーティーに、銘仙の着物は、失礼になるからやめた方が良いって、店の方が。」
と、彼女、人見由夏さんは、そういう事を言って、近くにあった赤い着物を見せた。確かに、赤色に、かわいい黄色の菊の花が銘仙柄と言われる技法で織りだされた、若い人には喜ばれそうな着物である。
「ほう。なるほどな。確かに銘仙はかわいいなあ。でもな、お前さんは、今、利用者さんの百寿のお祝いに着たいと言ったな。でもな、銘仙というものは、祝い事に着るもんじゃないんだよ。ほら、銘仙は家で着るものって言葉を聞いたことがなかったか?お前さんのお母さんか誰かだったら、聞いたことがあると思うけど?」
と、杉ちゃんは、着物を眺めながら、できるだけ丁寧に言った。
「それが、私の母は、全く聞いたことがないそうなんです。それに、銘仙の着物という言葉も、店の方から初めて聞きました。私は、ただ、このお着物が花柄でかわいいと思ったから、それに袖も長いし、振袖と同じものなのかと思っただけの事です。」
「そうか、お前さんは、悪気はないんだな。お前さんは、利用者の100歳のおばあちゃんを、馬鹿にしているとかそういう気持ちはないんだな?」
彼女がそういうと、杉ちゃんはそう彼女に念を押した。
「ええ。そんな気持ちは、毛頭ありません。そんな、私が利用者さんの事を馬鹿にしているなんて、あるわけないじゃないですか。私はただ、学生時代スポーツがやるのも見るのも大変好きだったんで、それを、高齢者の方にも、たのしんで貰いたいなと思っただけの事で。」
そういう由夏さんに、杉ちゃんは、そうだなあと言った。
「もしもなあ、そういう気持ちがお前さんの中に一寸でもあるんだったら、銘仙の着物はやめろ。銘仙の着物で人前に出てはいけないというお年寄りも多いよ。ほら、着物代官という言葉もあっただろ?着物のことについて、いろいろ注意する奴。そういうやつは、若い人が着物を着ていると、何か言いたくなってしまうんだろうな。それで、銘仙を人前で着るなという人が多い。そういうお年寄りを中心に扱っている事業所をやっているんじゃ、お前さんが、お年寄りから、嫌われる可能性もあるかもしれない。だから、やめた方がいい。誕生日パーティーするんだったら、パーティーにふさわしい、訪問着とか、江戸小紋を着るようにしろ。」
「どうしてですか?私は、かわいい着物を着た方が、利用している方も喜ぶと思ったんですけど?」
由夏さんがそういうと、
「うーん、ぬか喜びになると思うな。すくなくともお年寄りは、銘仙の着物というと、貧しい人が着るものという認識を持っていると思うからね。確かに、明治時代から、大正時代に大ブームを巻き起こしたけれど、始まりは、大変貧しい人が、日常的に着ていた着物だからね。だから、偏見を持つ奴は多いんだよ。そういうお年寄りが多い職場だったら、銘仙の着物で百寿のお祝いなんて、年寄を馬鹿にするのかって怒る人もいると思うよ。」
と、杉ちゃんは説明した。
「ええ。僕もそういったんですけどね。かわいいからと言って、無断で着てしまって、損をされるのは、あなたのほうだと。」
カールさんが、やれやれという顔をしてそういうのであった。
「まあ、変な外人よりも、日本の方のほうが説得しやすいですかね。」
「そんなことは気にしないでいいよ。ちゃんと若い奴が、伝統をしっかり引き継いでくれるように注意することも必要だからね。それは誰が言っても、同じだと思うから。誰が言うというよりも、着物であればなんでもいいかっていうわけじゃないってことを覚えてもらいたいな。もし、そのあたり、ちゃんと知りたかったら、僕が教えてあげるから。なんでも質問しな。」
と、杉ちゃんはにこやかに言った。
「でも、私は、かわいい方がいいんじゃないかと思います。だってそれを言うなら、ほかに私が似合いそうな着物が無いと思うんですが。だって、ここにあるの、みんな、こんな事言うと失礼ですけど、なんか私には合わなそうな着物ばかりだし。」
「しかしですね。着物は、ルールというか格というものがあってね。それは、忘れちゃいけないと思うよ。それぞれに歴史があって、良い歴史の物もあれば、そうじゃないものもあるんだよ。それを身に着けていったら、まずいだろっていう着物もあるわけだ。まあ、別の奴の言葉を借りれば、ラッパーの服とか、そういうのと同じ。」
反論する彼女に、杉ちゃんがそういうが、
「いいえ、ヒップホップもレゲエも私、好きな音楽です。みんなメッセージ性があって、クラシックよりずっといいもののような気がします。その衣装と同じなら、私は喜んで着たいと思います。」
と、彼女は若者らしく答えた。確かに、クラシック音楽を好む若い人はとても少ない。逆に西洋の下層市民の憂さ晴らしのような音楽である、ヒップホップをかっこいいという若い人は多いのだ。何だか日本では、歴史のある音楽よりも、そういう下層市民の音楽だったものが、良いものだと勘違いしている若者が多いようなのだ。
「うーん。たとえが出てこないな。まあ、ツィガーヌとか、インディオの衣装と一緒という説明をする奴もいるが、其れだってピンとこないだろうしねえ、、、。」
杉ちゃんが頭をかじると、
「私、そんな昔のことに偏見は持っていません。そういう異民族の人たちは、ちゃんと受け入れるべきだって思ってます。アイヌとか、そういうひとだってそうでしょう。差別とか、偏見とか、そんな気持ちはありません。先生は、偏見がある着物だと言いましたが、其れだったら、より多く着てあげた方が、いいんじゃないかしら。そういう偏見は、別の使い方をすることによって、解除できるのではないかと、思うんですが?」
と、由夏さんはまた主張した。其れには、今どきの若者に見られる、チャラチャラしたとか、だらっとした雰囲気は何処にもなかった。ちゃんと、彼女なりに考えて発言しているのである。
「そうだけどねえ。そうじゃなくて、お前さんが、利用者のおばあさんから馬鹿にされたら、施設の信用はがた落ちってこともあり得ると思うけどね。」
と、杉ちゃんは、もう一回言った。
「でも、利用者さんたちも、私が、かわいい恰好をしていれば、喜んでくれると思います。馬鹿にするなんてことは無いと思います。それに利用者さんが馬鹿にされるのではなくて、私が馬鹿にされるだけですから。」
「ずいぶんしっかりした女だな。」
と、杉ちゃんは大きなため息をついた。
「まあ、そこまで自己主張できる女も、日本人には珍しい。そうだよね、カールさん。」
「そうですねえ。何だか僕たちが持っている日本人のイメージとは、一寸違う気がします。」
杉ちゃんとカールさんが相次いでそういうと、彼女は、
「やっぱり私、そう見えますかね。私は、意識してないんですけど、周りの人からそういわれるんです。自己主張が強すぎるとか。私はただ、思っていることを、黙っていてはいけないと思うので、其れでなんでもいってしまうんですけど。」
と小さくうつむいてそういうことを言った。
「周りの誰かから、そういうことを言われるの?」
と、杉ちゃんが聞くと、彼女は、
「はい。うちの家族にも言われるんです。」
とだけ言った。
「そうか、其れなら、一度銘仙の着物を体験してみるといいよ。きっとお前さんのような人は、口で言っても何のことなのか分からないで終わっちまうことだろう。其れなら、体験して初めて身につくというタイプなんだろうな。よし、明日、その銘仙の着物を着て、百寿のおばあちゃんの誕生会に出るといいよ。ただ、もしもの時のために、僕も一緒に行っていいかな。それが第一条件だ。其れなら買ってもいいよ。」
と、杉ちゃんは、ため息をついてそういうことを言った。
「分かりました。じゃあ、明日の九時にこの店でお待ち合わせしましょう。うちに車いすの乗れる車はいっぱいありますから、あなたが乗るのに問題はありません。えーとあなたのお名前は?」
そう返す彼女に、カールさんは、立場とかそういうことを一切気にしないでずけずけと話を進める彼女に、本当に、日本人からかけ離れた人だなと思うのだった。
「おう。僕の名前は影山杉三だ。杉ちゃんって呼んでね。杉ちゃんって。」
と、杉ちゃんは急いで答える。
「職業は、現役の和裁技能士さん。それでいいですね。」
「まあ、そうなるのかな。そんな事どうでもいいや。適当に紹介してくれや。じゃあ、明日の九時、ここで待ってるよ。」
ということで、交渉は成立したらしい。彼女は、銘仙の着物をくださいと言った。カールさんは、1000円で結構ですと言った。彼女は、リサイクルですと、そんなにかわいそうな値段をつけるんですねと言いながら、カールさんに1000円を渡した。カールさんは、はいありがとうございますと言って、領収書を書いて、彼女に渡した。
「じゃあ、明日の九時に迎えに来ます。」
と、由夏さんはそういって、銘仙の着物と領収書を受け取った。そして、ありがとうございましたと言って、店を出ていった。
その翌日。
杉ちゃんが九時にカールさんの店に行くと、立派なワゴン車が店の前で待っていた。そして、銘仙の着物を着た、人見由香さんが、杉ちゃんを手早く車に乗せた。そして、じゃあ行きますよと言って、事業所に向って車のエンジンをかけた。
デイサービスセンター菜の花は、ショッピングモールの近くにあった。確かに建物を見ると、お年寄り向きの施設とは言いにくい。杉ちゃんが、由夏さんに下ろしてもらって中に入ると、五人くらいのお年寄りが、ランニングマシーンで走ったり、室内自転車を走らせたりしている。その中で確かに、100歳になるおばあちゃんが、テーブルの前に座っていた。職員は人見由夏さんのほかに二人ほどいたが、二人とも着物を着てはおらず、洋服姿でいる。
「皆さん、紹介します。和裁技能士の影山杉三さんです。」
と、由夏さんが紹介すると、ランニングマシーンを動かしていたおばあさんが、マシーンから降りて、由夏さんを見た。
「あら、施設長さん今日はどうされたんですか?」
おばあさんは、何だか由夏さんに懐疑的な目をしている。
「ええ。今日は、百代さんの100歳のお誕生日ですよね。今から皆さんと一緒にお祝いをしようと思いまして。いつもと同じ格好では、面白くないと思ったから。」
と、由夏さんが答えると、別のおばあさんが、
「あら、お祝い事って、銘仙の着物でするのかしら?」
と、ちょっと疑わしく言った。
「ええ、かわいいと思ったので、買ってみたんです。増田呉服店っていう、リサイクルの着物屋でね。」
由夏さんがそういうと、おばあさんたちは、由夏さんを変な目で見た。
「そんな着物で、百代さんの誕生日祝いをするなんて。」
「あたしたちだったら、使ってもらいたくないな、、、。」
「あああのねえ。この人は、別にお前さんたちを馬鹿にしているとか、わざと見下しているとかそういう気持ちでこの着物をかったわけじゃないんだよ。ただ、着物がかわいかっただけの事だ。それは、僕も買う瞬間を目撃したから分かる事だ。」
と、杉ちゃんが急いで説明すると、おばあさんたちは、こういうのだった。
「ただでさえ、あたしたちは、役に立たないと言われて、こういうところに来させられているのに。」
「こんな着物で祝い事されちゃ、あたしたちは余計に、この世から必要ないみたいに見られているようだわ。」
杉ちゃんは、ほらやっぱりという目つきで由夏さんを見た。
「そんな気持ちはありませんよ。私はただ、かわいらしい恰好をして、お祝いしてあげた方が喜ぶかなと思っただけなんですよ。」
と、由夏さんが言うと、
「そんな着物をかわいらしいとかこつけるなんて、何も知らないのね。」
「若い人は、何でも自分さえよければにしちゃうから。銘仙なんて、あたしたちのころは、部屋着だから、家で着るようにと何回注意されたと思っているのかしら。」
おばあさんたちは、変な目で由夏さんを見た。
「そういうわけじゃないんだよ。誰も、馬鹿にしているなんておもっちゃいない。ただ、由夏さんは、着物のことをあまり知らないだけだよ。」
と、杉ちゃんがデカい声で言った。おばあさんたちは、由夏さんを変な目で見ている。由夏さんは、どうしようという顔つきに変わった。まさか予想していなかったのだろうか?かわいければ通用するとでも思っていたのか。杉ちゃんは、一寸ため息をついた。
「由夏さんは、本当に、何もしらないんだ。お前さんたちも、今日は勘弁してやってくれよ。ただかわいいと思っただけの事だから。」
と、杉ちゃんが急いで訂正すると、
「そうよ。私のために、由夏さんが企画してくれたんだもの。」
と、椅子に座っていた、おばあさんが言った。この人が、今日百寿を迎えた百代さんという女性だろう。
「でもね、百代さんのことを思って、注意してるのよ。せっかく百代さんがここまで生きてくれたのに、こんな着物を着てお祝いされちゃたまんないわよ、あたしたちとしては。あたしたちも、百代さんも、役に立たない年寄と言われて、ただ時間だけが過ぎていくような存在よ。だからこそ、あたしたちは、若い人に対して、」
と、おばあさんのひとりがそういうと、
「いいえ、若い人と敵対するのは、今日はやめましょうよ。せめて私の誕生日位は。」
と、百代さんは言った。その顔には、何処か優しさがある微笑みが浮かんでいる。大体のお年寄りは、若い人に対して嫌な顔をすることも多いけど、百代さんはにこやかな顔をして、
「さあ、私の誕生会を始めましょう。施設長さん、よろしくね。」
というのだった。泣きそうになっていた、由夏さんも、笑顔になって冷蔵庫からケーキを出してきた。そこには、百代さん、100歳おめでとうと、チョコレートで丁寧に書かれていた。
「やれやれ。めでたしめでたしか。」
杉ちゃんは大きなため息をついた。
百寿のおばあちゃん 増田朋美 @masubuchi4996
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