#5 色彩 前

 授業を終えた岸守一は特に予定もなく、普段通り待ち合わせていた怜音と帰路を共にした。

行くときが同じような繰り返しであるのなら帰るのもまたいつもと同じ繰り返し。

見慣れた景色を無感情に見渡す。

大学は駅から近く、家もまた最寄駅から近い。

道草を食うことなく真っすぐ帰るのなら何かが起こる余地というものはあまりない。

だが今日はその限りではなかった。

ふと時間を確認するべくスマホをのぞき込んだのを見計らったようにメッセージが転がり込んできた。


『はじめちゃん頼み事!ヘルプミー!』


間の抜けるようなうるさく点滅する感嘆符の絵文字からして非常事態ではないことを告げている。

歩きながら手早く返事を送った。


『どうした』

『昨日一つ忘れてたの思い出したけど』

『バイト探し手伝って欲しかったんだった』


「歩きながらは良くないですよ」


スマホをのぞき込むやいなや思案しはじめた彼に怜音が少し訝し気に声をかけた。

彼はクインへの返事を中断して躊躇うように怜音に視線を向けた。


「クインからの相談事。バイト探しだとか」

「協力してあげてください。役者に学業にバイト。三足は難しいもの」


怜音が快諾したことに岸守一は目を丸くした。

昨日のことを思えば接触もある程度制限かけられてもおかしくはないと思っていた。

クインのことが気になって調べ物をしたが昨日のことに対する怜音への負い目もあってクインとは少し距離を置こうかと考えていた矢先のことだった。


「手伝うといっても今の時代、人に聞くより求人探した方が早いんじゃないのか」

「土地勘がないとか」

「通学自体は変わってないらしいから土地勘ならあると思う」


怜音は顎に手を当てた。


「ならこちらで探したいということでしょう。それか求めている条件が細かいから伝手で滑り込めたりしないか、とか」

「そういうことになるのかな」

「向こうに時間の余裕があるのなら会ってあげたほうがいいと思いますよ。それに私は人助けをやめてまで私に寄り添え、なんて小さいこと言いません」

「いいのか」

「ついでに会う約束を取り付けてきて欲しいのだけれど。できたらでいいですから、ね」


この頼みごとの解決、つまりはバイトが見つかれば会うための時間の余裕が作りにくくなる。

ただでさえクインには学業に加えて劇団での活動があるのだから。

けれども怜音は言い方はお使いを頼むようなものであり、念を押すといったニュアンスのない軽い調子からしてそこは承知の上なのだろう。


「まあ、頼むだけ頼んでみるよ」

「ええ、お願いします」

「あと……悪い、聞いておきたいんだが協力の上限ってどれくらいだ?もちろん最後の手段なんだが」


自分でも分かる歯切れの悪い言葉に怜音は眉をひそめる。

言わんとしていることを理解したのか彼女は腕を組んで考え込んでしまった。

やがて彼女はため息を一つついた。


「悪い」


一は怜音と共に道路脇に寄ってから通話に切り替えた。


『今から時間はあるか?』

『あるよ。手伝ってくれるんだね』

『ああ。待ち合わせ場所は?』

『昨日と同じは?』

『なら三十分ほどかかる』

『了解』

『また後で。切るぞ。あと求人の情報いくらか送っとくぞ』


岸守一は通話を打ち切ると怜音に確認、というよりも謝るような形で手伝いに行くことを伝えた。

怜音は目を細めると気にしなくていいですよ、と呟く。

彼女は神経質に周囲を確認してから、


「いってらっしゃい、ワン君」


いつものように微笑んだ。



 休日だった昨日とは違って人の往来はまばらだった。

岸守一はクインを見つけて軽く手を上げると彼女は昨日と同じ流れだと笑いをこぼした。

白いワイシャツにネイビーのスラックス。

暗い茶色の靴やベルトがアクセントになっている。

自分と同じく帰りなのか黒いバッグを下げていた。

一目で分かる男性的な恰好であり、マニッシュスタイルというやつだったか。

怜音がすることのない装いのためか新鮮な刺激に感じた。


「また待たせてしまったか」

「ここと学校すぐだから。気に病むことじゃない」

「入るのか?」


彼が店を指差すとクインは惜しむように店内に視線を巡らしてから首を振った。


「いや、食べてから用件を済ませるには遅いかな。それで早速で悪いけどどう?」

「いいバイトと一口に言っても色々あるぞ。何を重視しているんだ」

 

クインはばつが悪そうに苦々しい表情を浮かべる。


「そうだね……シフトに融通が利くのが一番。劇団のこともあるし、今はそこまで忙しくないけどこれから学科に所属すると厳しくなっていくから。都度変えられるようのがベストかな。……だいぶ都合が良いことを言っているとは自覚しているよ」


クインの言葉の中には岸守一の興味を惹く言葉が紛れ込んでいた。


「理系なのか」

「うん。はじめちゃんはその聞き方だと文系かな」

「そう、文系。理系やる理由みたいなものはなんかあるのか」

「あるさ」


そう答えるクインは確固たるものを抱えているようで、それを単なる好奇心で聞き出すのは憚られた。


「……優先するのは融通だったな。送った求人はどうだった?」

「まだ決めらんない。はじめちゃん用意よすぎ。すぐに探して送ってこれる量じゃなかったよね。さては最近はじめちゃんもバイト探してたな?」

「うっ」

「それなら最初に教えてくれていいのに。はじめちゃんは幼なじみと一緒に働くなんて恥ずかしい?」


やはりというか鋭いクインには勘づかれた。

怜音を思えば自分のバイトを教えるつもりはなかったがクインにかける善意に手を抜くつもりはなかった。

一方で嘘を言って遠ざけるほど彼女に不義理を働く気にもなれなかった。


「確かに最近変えたは変えたがそのバイトまだ募集してるか分からないんだよな」

「適当だね。一応条件は」

「待遇や給与が応相談ばかりだ」

「うん?あやふやすぎないか」


クインの疑問は最もであり、一は言葉を付け足す。


「紹介を渋る訳がわかるだろ」

「それもそうだね。場所は?」

「……ここから十分ほど」

「わーお」


クインの目が輝く。

これはもう言っても聞かないことを一は悟った。


「ダメ元で案内頼むよ。ちなみにどんな感じ?」

「求人にも出してない、店主自身が忘れているような適当さ加減だ」

「なにからなにまで変だね。とはいえだ、はじめちゃんのバイト先はとりあえず見てみたいね」


クインは案内人たる一の言葉を待たずに引きずり歩きはじめた。


 一はクインの横を歩いていると視線が集まるのを感じた。

クインは一見して海外モデルのそれだ。

昨日とは違って行きかう人々と見比べる余裕があると多くの男性よりも背が高いのが分かる。

足は長いし歩き方も堂々としたものでお忍びで来たモデルだと紹介しても誰一人疑いはしないだろう。

だが横に並んでも不思議と気後れしない。

彼女と一緒にいた幼い時期の賜物だろうか。

けれども幼い時の記憶とは重ならない部分もある。


「はじめちゃんどうしたんだい」

「いや抜かれていた身長を抜いてやると心地いいものだなと思っただけだよ」


一は自分の目線よりわずかに低いクインの目を見た。

幼い時の背丈は最初出会った時から最後に別れるまでずっとクインの方が高かった。

幼く、成長に差がない頃ではあったが、一度も彼女の背丈を抜かせなかった記憶がある。

横に並んでも彼女の横顔を見上げるような形になっていた。

クインも一度見上げてこちらの目を見ると歩きながら転がっていた石を突っつくように蹴った。


「……思い出してみると確かに負けた気分。もやしのはじめちゃんが今や、か」

「俺が百八十あるからクインはそれより五低いくらいか」


一は誇示するようにクインの目の前で五センチほどを親指と人差し指の間で示した。

再度彼女の足が石を求めて彷徨ったが見当たらず諦める。

代わりに一の腕にクインの肘が突き刺さる。


「百七十六。はじめちゃん昔は男の子とは思えないほど細くて弱かったね」


細かな訂正は彼女の負けず嫌いな性格を物語っていた。

昔の記憶と重なって口の端から笑いが漏れる。


「男の成長期は遅いんだよ」

「今は体格もしっかりしてるけど喧嘩してみたら……流石に負けなしの昔と違っていい勝負ってところに落ち着くのかな。身長は抜かれたけどそこまで差もないでしょ」

「やってみるか」


一が売り言葉に買い言葉とばかりにじろりと力強く上から睨むとクインも負けじと視線を返した。


「悪くない。それよりまだかい」

「いや。すぐに。もう着く」


一が足を止めて指をさすと次いでクインも足を止めてそちらを見る。

指の先にとまっているのは賑わいとは離れた場所にある少し古めの建物の一階。

扉の傍には『りんご舎』とやや分かりにくく掘られた古ぼけた看板が立っている。


「古本屋、だね」

「好みとは合わないか。理系って言ってたしな」

「それは偏見。割と、いや結構気に入ったよ。学校から時間かからずで閑静な場所にあるのもいい。さっき言っていた応相談ばかりなのは気がかりだけど」


 店の中でひしめきあっている高い本棚は人が通るスペースのことを考えていない。

店内は本棚の高さ故か陰が濃くかかっているが手入れが行き届いているのか埃っぽさやかび臭さとは無縁だった。

品のある店内はそのまま主を表しているようでいない。

カウンターで本に没入していた目が唯一店主の雰囲気にそぐわないサングラス越しに闖入者へと向けられる。


「雪さん。まだバイトは募集してます?」

「誰も来てない」


一はカウンターの周辺を確認した。

前に見たカウンターに貼られていた募集の旨を記した紙。

その切れ端が積み上げられた本の山からほんの僅かに覗いていた。

来ないのも当然で今日呼ばなければこれからも来なかっただろう。


「それを連れてきました」

「榮辺クインと申します。ええと」


一歩進み出たクインが頭を下げる。

店主も応じるように座ったまま軽く頭を下げた。


「はじめまして、雪代優です」


雪代は探るように一と初顔のクインをその関係性を探るように交互に見比べていた。

やがて気にすることでもないと結論づけたのかそっけなく一を見るのをやめてクインに店の奥を示した。


「面接やるからこっちに。岸守くんはそこで時間潰してて。店番しててもいいよ給料は出ないけど」


雪代とクインは店内の奥へと消えていった。


店番をする気もなく、客が来るはずもなく暇を持て余した一は店内を忙し気に見渡した。

面接というと三十分から一時間くらいはかかるとみるべきだろう。

立ち読みには申し分ない。

本棚を隅々まで見渡すのは業務をのぞけばレポートに役立つような文献を探すとき。

あるいは、暇つぶしに安くてなんとなく気になる本を手に取るぐらいのものだった。

店内の奥をちらりと横目で見る。

次いで普段は探さないようなジャンル、演劇についての本が陳列されている棚を見た。

こうしてみると存外品揃えは豊富なものだと感慨に耽る。

タイトルを見て素通りしていた本達にも自然と意識が行く。

何の意味も持たない墓標であり、商品に過ぎなかったが、今は違って見えた。

昼間に怜音と読んでいた雑誌もある。

その中から一は厚くて読み応えがありそうな本を手に取った。

何気なく値段を確認し、顔をしかめる。

買ってみようかとも思ったがちょっとした好奇心で踏み出すにはためらう値段。

ではあるが立ち読みするのはタダだ。

紹介料代わりに読み進めてしまってもいいんじゃないかと自分に言い聞かせ本を開いた。


 クインが出てきたのは一の予想に反して二十分ほど後だった。

結果を聞くまでもなくクインの表情は晴れ晴れとしている。

その場で採用が決まったのだろう。


「はじめちゃん。一件目から大当たり。なにかおごらせてくれないか」


クインに繰り返し肩をたたかれた一は読んでいたページ数を確認する。衝撃に揺さぶられながらどこも折れないように読んでいた本をゆっくりと戻す。

そのまま雪代に声をかけカウンター近くの本の山に指を向けた。


「雪さん、募集の張り紙本の山で隠れてますよ」


雪代はカウンターから覗き込むようにしてそれを確認すると髪を少しかき上げて指を額に当てた。


「……道理で誰も来ないわけだ。もう必要ないものになったけど」


一はクインに向き直った。


「無事決まったし特に用がないなら帰るか」


「雪さん。明日からよろしくお願いします」


一が去り際に身を翻すと返事がわりにカウンターから軽く手が揺れる。

その手が戻されると店主はまた本の世界に戻っていった。


 二人が街に戻ると学校の帰りの寄り道なのか子供が増えていた。

一は身振り手振りでクインの誘いを遠慮する姿勢を示したが、勢いに押されて結局昨日と同じような勢いで喫茶店に連れ込まれた。


「相変わらず好きなんだな」


クインが選んだのはハチミツのかかったフレンチトースト。

クインは一が注文した一杯のコーヒーを見て頭をひねった。


「おごりだからって気にしなくていいよ」

「別にそういうわけじゃない。気にするな」


コーヒーを僅かに傾けながら一は怜音に連絡を入れた。

抱えた懸念は怜音と、口では言ったがクインの両方だった。

家で怜音が待っており、夕食を用意しているかもしれない。

一人にした手前極力早く帰ってやりたいところだった。

クインに対してもバイトも決まったばかりで貯えも心もとない身のはず。

今は浪費を避けるべきだと提言しようとしたがどこかで彼女に接する時間を望む己を呪った。

一はコーヒーをこぼさない程度に揺らす。


「それにしても本当にあの条件でいいのかな」


フレンチトーストをフォークで切り分けながらクインがひとりごちた。

よほど良い条件で締結したらしい、自分で紹介しておきながら羨ましく感じた。

その内容を知ってしまえば悔しい思いをするのだろうが、幼なじみが丸め込まれていないかと不安に思う気持ちもある。


「利益は度外視しても何とかなるそうだ。いわば道楽だな。だから気にすることじゃない」

「夢のある生活」

「まったくだ。あやかりたいね。それで、そんなにいい話だったのか」

「普通免許持ってる時点で即採用だった」

「買い取りで車使うなら俺でもできるのに。まあ、もう一人くらいできるやつが欲しいか。条件のほうはどうだ?」


喜んでいたことを考えれば決して悪いものではなかったのだろう。

それでもこの喜びようは気になるものがあった。

そして聞かされたのはあり得ないものだった。


「時間の都合もあって厳しいことを伝えたけどそれでも了承してくれた。ほとんど日給制に近い感じ。入れそうな日をあらかじめ伝えて急用が入ったとしても当日連絡をくれればいいって。日雇いを探す手間を考えるとありがたいよ」

「そんなのありかよ」


岸守一は自分のところより余程よい条件に少し妬いていた。

自分の場合、給料は安くないもののきっちり時間を決めていた。

当日連絡などもっての外だろう。


「俺の方も幼なじみに合わせてくれるとか言ってなかったか」


クインが指でバツをつくる。

バイト募集の張り紙がもう必要なくなったという言葉を思い出す。

つまりはこの体制でやっていくつもりなのだ。

一はコーヒーカップの持ち手を軽く指ではじいた。

コーヒーの水面が揺れる。


「まあだいぶ渋られたけどね。けど理由が劇団と学業の両立であることを打ち明けたら、いやだからこそ、なのかな。すぐ頷いてくれたよ。縺れるものばかりかとひやひやしたけど理解があってよかった」

「道楽する余裕があって芸術の周辺理解がありそうだしなあの人。文化資本様様だ」

「万事解決。これもはじめちゃんに頼んだ甲斐があった」

「正直面白くねえなあ」


頼み事。

怜音からも頼み事があったことを思い出した。

あっと声に出しそうになったのを堪えて、取り繕うようにコーヒーを口に運ぶ。

コーヒーの苦さが頭の中身を整理する。


「まあ俺は連れてきただけだ。にしても随分と半端な時期に探し始めたな」

「引っ越すにあたって元々のバイト先が遠くなったから辞めたんだ」

「成程ね。あと一つ助けたから一つ頼まれてくれないか」


思い出したはいいが気の重さからか声が上ずった。

クインはそれを感じ取って一切れ口に運んでからぴたりと口を一文字に結んだ。


「クインに会いたいって奴がいるんだよ」

「私に?誰が?」


クインの雰囲気が思った通り固くなったのを岸守一は感じとった。

彼女とは昨日あったばかりで話が持ち上がるには早すぎると自分でも思う。

女優の卵とはいえ無名も無名であり、話が急だと考えない方がおかしいだろう。

とはいえ変にぼかそうとすると拗れるだけ。

こちらも正直に明かすほうが結果としてはまとまるはず、といった打算も兼ねて彼は畳み掛ける。


「なんというかな、俺の隣人、というか、彼女、なんだが」


彼の言葉にクインの警戒の姿勢こそ緩んだが、顰められた眉はますます険しくなった。


「はじめちゃんの彼女?私と話してて大丈夫かいそれ。浮気に思われるぞ。それとも進行中?」

「そうではないんだ。とにかく会うのは了承済みだから大丈夫だし怪しい話じゃないってことを理解してくれ」

「わかった。それにしてもはじめちゃんも隅に置けないな。この前のは軽口のつもりだっだけど本当だったとは」


クインははっとして口を止めると謝るように手を合わせて頭を下げた。

 

「はじめちゃんがバイト紹介渋った訳がそれか、ごめん」

「それも……言った。困らせてしまったが」

「でもそれを隠してたなんて実は二股かけようとしてたのかな。今なら白状しても怒らないよ」


分かっていたとはいえ変な方向に話が拗れていく。

だから言いたくなかったとばかりに嘆くより先に体がため息がもらす。


「ほっとけ」

「それでいつ。どういう理由なんだろう」


「理由については分からん。聞いてないからな。日時は改めて連絡する。というよりクインに合わせる形になる。忙しいだろ」


「そうだね。それじゃあ都合ついたら連絡する」


怜音に伝えるべくメモをスマホに残しておくと時間が一の目に入った。

向こうも用件が分かっているとはいえこれ以上待たせるわけにもいかなかった。


「ああ。どちらの用件も終わったしそろそろお開きにするか。もう遅いしな」

「確かに。はじめちゃんも疲れているようだから」

「切り出すのにだいぶ気分が重くなったからだ」

「それはかわいい彼女さんに言うべき」

「駅までさっさと歩くぞ。それでこの話は終わり」

「拗ねてる」


一が肘付きながらカップの底のコーヒーを飲み干すのを尻目にクインは領収書を指で挟んで弾むようにレジに向かっていった。


 駅までの人ごみを除けば長くない道のり。

クインの歩幅にあわせれば根掘り葉掘り聞かれる前に駅に着くと一は見積もった。

しかし、クインはいつもよりゆっくりと、人ごみに合わせるように歩きだした。


「きりきり歩け」

「もっと色男のはじめちゃんの浮いた話聞かせてくれないか。そうしたら思わず足も軽くなるかも」

「クインのほうがモテただろ絶対」

「実はそこまでじゃない、というと語弊があるけどまあそんな感じ」

「マジかよ」


一はクインの頭から爪先へと視線を流した。

どこを取ってもそうは見えない。


「小学校の頃背がぐんと伸びて一部の先生や親より高くなったからそういう対象にならなかったみたい。卒業時には百七十近くあったから」


今のクインより五センチ少し落としたら小学生の時の背丈になるらしい。

それがランドセルを背負っている姿を一は想像しようとして、しきれなかった。

代わりに、単純な感想が口に出る。


「マジかよ」

「マジだよ。女子の成長期は早いという話さ。それでまあ中学生も半ばになってぼちぼち男子の背が追いつくようになってその対象に入ってきたらしくて」

「モテてるじゃないか」

「それでまあ今度は会ったこともない相手から告白されるようになるのがずっと続いて嫌気がさしたとさ」

「ああ」


確かに思春期に入って色々と浮ついた気分になれば軽はずみに自分本位な行動に走る奴もいるだろう。


「絶対見た目狙いだな。というかある種のトロフィーか」

「そんなところだろうね」


普段は余裕を見せているクインが煩わしそうに首を掻いた。

多感な時期に内面をないがしろにされる、それも粘ついた理由によるものというのは気分のいいものではないだろう。

一は恵まれているからこその苦難の匂いを感じ取った。

怜音の悩みに付き合ってきたから他人事には思えなかった。


「そんな深刻な顔をしなくていいよ。とはいえたしかに困らされていたから避けるように女の子と遊び通したよ。そっちの方が少しは気楽だから」

「少し?」

「女の子からも迫られることはあるって話。こっちは話したから次ははじめちゃんの番」


話を逸らすべくこちらに矛先を向けたのは分かっている。

しかし、ここで逃げたところで今後つつかれ続けるのが目に見えている。

それにあまり言いたくないことを言わせてしまったことを良心が咎めたこともあって素直に応じた。


「俺もまあ小学校の頃はほとんどモテなかったな」

「ほとんど」

「クインの言うとおりはじめちゃんは貧相のもやしだったからな。一応小学校の終わりには親しい女子が一人。もやしを卒業できた中学高校では人づてで人気がそれなりとは」

「人気者」

「それでその小学校の時のその子が今にいたるまでの彼女なんだよ」


クインは囃し立てるためにわざわざ口に手を当てて大げさに驚いてみせている。

人に一部分を欠落させたおおよそを話すとむず痒いものだとつい宙を仰いだ。

懇切丁寧に話すことができれば全く羨ましがられるものではない。


「アツアツだ。ひょっとしなくても私はお邪魔虫」

「もう駅だ。この話はおしまいだ。ホームは違うだろ」


遅く歩いていたのが嘘のように軽やかに跳ねていくクイン。


「またねはじめちゃん。かわいい彼女さんによろしく」


改札をくぐったクインが見えなくなるまで手を振ると一は足を速めた。

どうしてかクインと話していると胸が跳ねる。

確かにクインは美しい。

のぼせ上がることもあるとは思っていたがそういった感覚ともまた違う。

この感覚は何なのだろう。

服の内側が熱くて蒸れたように錯覚した。

振り払うよう人の波を半ば駆けるようにして潜り抜けた。

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